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[転載]竹島では1952年から韓国によって、日本人44名が殺傷され、3929人が抑留された

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竹島
1951年(昭和26年)8月10日:ラスク書簡により「竹島は日本の領土」という米国政府の意向が韓国政府に示された。
1952年昭和27年)1月18日大韓民国大統領李承晩が自国の支配下にあると国際的な反対を受けながら一方的に宣言し、占領すると同時に近海を含む李承晩ラインを設定。
1965年(昭和40年)6月22日日韓基本条約締結までに韓国により、このラインを越えたことを理由として日本漁船328隻が拿捕され、日本人44人が殺傷され、3,929人が抑留された。現在も韓国側が武力によって不法占有しているため、日本との間で領土問題が起きている。 
 
日本領海で違法操業していた韓国漁民や、当時の韓国の政治家及び軍人は名誉や富を得た。しかし、韓国は国際的な非難を浴び、韓国の国際的な信頼を失うと共に、韓国人が日本で差別や偏見を受ける理由の一つになっている。
 
領土問題を考える時に、軍の力や戦争の勝敗よりも、そこで生活している人や、生計を立てている民衆の視点に当てて考えるべきではなかろうか?
 
日本人44名が殺傷され3929人が抑留されたことは、そこで日本人が生活をしていたことを雄弁に語っている。
 
竹島問題が解決しないと、韓国は友人でないと考える日本人は多く、日韓友好の障害となっている。
 
 
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第一大邦丸事件
 
 第一大邦丸事件(だいいちだいほうまるじけん)とは、1952年2月4日公海上(済州島沖20マイル農林漁区第284漁区と思われる海域)で操業中であった福岡漁船第一大邦丸(57トン)』及び『第二大邦丸(57トン)』が、韓国の漁船『第一昌運号』及び『第二昌運号』(各約55トン)を利用した韓国海軍によって銃撃、拿捕され、その際に第一大邦丸漁撈長であった瀬戸重次郎(34)が被弾して死亡した事件である。
 
 
背景
1952年1月18日、韓国は李承晩ラインを設定し、竹島対馬及びその周辺海域における韓国の主権を主張し始めた。

状況・経緯

拿捕されるまで

 1953年1月22日に、第一大邦丸及び第二大邦丸は、福岡を出航し2月4日には二百八十四農林漁区で操業していた。
 同日午前7時ごろに、第一大邦丸の南西より韓国の漁船である第一昌運号及び第二昌運号が北上して接近してきた。そして日本語で「魚は獲れますか」と話してきた。韓国船はそのまま行過ぎ、付近で停止して操業(を装って日本船を監視)していた。
 しばらくして第一大邦丸が揚網作業に入ると、そのとき船尾から30メートル程度の距離にあった韓国船が、自動小銃で第一大邦丸への銃撃を開始した。
 日本側二隻は逃走を開始したが、8時15分には第二大邦丸が拿捕され、逃走していた第一大邦丸も銃撃が熾烈で、逃走を断念した。この時操舵室内に坐っていた漁撈長は、後頭部左側より銃撃をうけ、意識不明となる。第一大邦丸は8時30分に拿捕され、第一昌運号の船員に「翰林に行け」と日本語で命令された。

取調べが始まるまで

 同船は11時30分に済州島の翰林面に入港させられ、日本人船員は憲兵によって警察に引き渡され、船内の目ぼしい私物、装備及び漁獲物は警察に没収された。その際に日本人船員側が憲兵に対して負傷者がある旨を伝えたので、船員は翰林面の高医院に収容された。
 高医院とは名ばかりの医院で病室はもちろん設備も全く無く、医師は見ただけで「これは駄目だ」といって漁撈長の手当てを拒否した。船員たちは警察に行き軍病院かどこかへの入院を依頼した。
 しかし警察は「我々は軍の命令によって行動したのであって、我々に責任はない」と拒絶した。そこで船員たちは憲兵隊へ行き、病院への収容を再度依頼したが、憲兵隊長に「盲貫銃創だからとても駄目だ」と言われて再度拒否された。船員側の度重なる依頼の末、軍病院への入院が許可された。その際に「車は直ぐ来ますから」と言われたため、船員はそのまま漁撈長の元へ行った。
 病院までの搬送の間に漁撈長が死なないように、医者にリンゲルの注射を求めたが、医者はリンゲルは高価だと躊躇。結局船員が私物を売り払って金を払う約束をしてリンゲルを一本射ってもらった。
 しかし韓国側は結局車を出さず漁撈長を放置し、漁撈長は2月6日の23時に死亡した。翌日漁撈長の遺体は命中弾が軍のものか警察のものか判明させる為に韓国側によって解剖され、結果憲兵の銃撃によるものであることが判明した。
 同日より警察に火葬の手配を頼んだが黙殺され、船員は残った私物の一部を売り払って葬儀一式を整え、足りない薪を付近の松の枝などで補ってさらに翌日に火葬した。

帰国まで

 2月9日から、船員は全員警察署の前の防空団詰所に監禁された。詰所は約4畳の広さで、そこに18人が監禁され、食料は一切支給されなかった為、船内食料で食いつないでいた。
 取調べで韓国側は拿捕地点は翰林より9マイル付近であったと主張。日本人船員側が昌運号のコンパスの時差及び速力の矛盾を指摘したところ、韓国側に両者の主張の中間をとろうと言われて、13マイル付近を拿捕位置として捺印させられた。同時期に取調べを受けていた第二大邦丸の通信士によると、拿捕地点は翰林より30マイルである。
 2月12日に一行は済州に送られる事になったが、誰も漁撈長の遺骨を持ってきていなかったため、遺骨を取りに行くことを要求したが、警察署長に拒否された。船員が移送用の車に乗ることを強硬に拒否したところ、1人だけ残して、次の日に運ぶ事を認められ、残りの船員は車で済州へ運ばれた。
 同日23時頃、船員は済州警察査察課第二係に引き渡され、食事を与えられずにそのまま留置所に入れられた。この留置所も4畳ほどで、しかも他の韓国人と一緒に入れられていた。この留置所では粗末ではあるが食事は与えられた。
 済州での取調べでは、李承晩ライン侵犯との韓国側からの指摘に対し日本側は、同ラインは韓国が一方的に定めたもので国際法上認められていないと反論した。クラーク・ライン侵犯との非難に対しては、米国公使より作戦の妨害にならなければよいと説明されていたことを伝えた。この際に韓国は自国の領海は島と島を結んだ線から計測されると主張した。これは群島基線に基づく主張であるが、韓国は群島国家であると主張していないため国際法的には無効であると思われる。
 この後、警察は船員に対して領海侵犯をしたという嘘の調書をハングルで作成し、これに捺印させ、日本への通知とした。しかし、海図を出して調べるときには丁字定規一本とたばこ及びマッチを以て測るという具合に適当に作成された調書の矛盾より公海上の事件であった事がわかり、佐世保朝鮮沿岸封鎖護衛艦隊司令官グリッチ少将が、李承晩に会見を求め、これに対して李承晩は遺憾の意を表し、第一大邦丸の釈放に応じた。
 
 2月15日午前7時頃に、船員は外事主任より今日帰国させる旨通告され、中型ジープで水上署まで移送された。その際に査察課の課長から、「死亡した人に対しては非常にすまない。今韓国は戦時下であるので、君たちに食糧をやりたくてもやれないのだから。あまり内地へ帰っても韓国のいわば官憲の悪口を言わないようにしてくれ」との旨の挨拶を受けた。同日13時に船体の受け渡しがあり、同日済州を出航、米国フリゲート艦70号に護衛されつつ、2月17日17時半頃に佐世保に入港、2月21日に佐世保を出航して、2月22日7時に福岡に帰港した。

問題点

  • 民間船に対する無警告攻撃行為
  • 当初より明確な軍事行為目的を持っていた。外務委員会連合審査会によると、韓国船2隻には乗組員各12名のほか、憲兵1、特務隊員1、情報隊員1、警邏4、5名が分乗していた。
  • 拿捕後の取調べ時の虐待的取り扱い。食料を与えない、過剰な人口密度等、ジュネーヴ条約違反の疑いは払拭できない。
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関連項目

外部リンク

 
 
 
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 李承晩ラインとは、1952年に韓国の李承晩が日本海にアメリカの反対を無視し一方的に引いた不法なラインであり、本来日本が操業できる漁場を一方的に韓国のものとし、そこに入る日本漁船は武力を持って排除すると通告したものです。
 これは国際法無視もはなはだしい泥棒韓国の暗黒の歴史の一ページです。この結果、多くの日本漁船が韓国に不当に武力攻撃され、抑留者3929人、328隻が拿捕され、漁民44人が死傷しました。

 しかも、拿捕された日本の漁民を解放する条件として韓国が出してきた要求は、収監されている凶悪犯を多数含む、472人の在日韓国朝鮮人犯罪者を無条件に釈放日本国内に開放することと、在日韓国人全体に在留特別許可を与えることでした。
 日本政府は国民を助ける為、止む無くそれを呑みました。つまりこれは現在の在日韓国朝鮮人問題の根底に関わる事件でもあるのです。そして日本領土である竹島を韓国が不法占拠し、現在までに繋がる竹島問題を生み出したのもこの李承晩が不法に設定したラインがきっかけでした。
 この明らかな主権侵害と侵略行為、及び殺戮行為は、戦後間もない状況というのもあり、日本は韓国人強盗のなすがままにするしかありませんでした。

転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)


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