上京龍泉府
歴史
中京顕徳府から第三代王の大欽茂が755年遷都した後、東京竜原府に遷都されていた9年間を除き渤海が滅亡するまで首都であった都。唐の長安城を手本として造営され、当時の東アジアにおいて長安城に続く大都市であったと考えられる。
概要
上京城は外城・内城・宮城の三重の城壁を備えた長方形の都城である。外城の長さは周囲16.3km、四面に10門が設けられており、城壁は平均2m前後の土壁であったと推測される。市域の東半分を東京(とうけい)、西半分を西京(さいけい)といい、東京の名は現在の地名(東京城〈とうけいじょう〉)に引き継がれている。内城の周囲は約4.5kmであり、周囲は石垣で囲まれていた。宮城は周囲約2.5Km、石垣で囲まれた城壁の高さは平均3m以上であった。
現在は宮城内の五重殿及び宮城内部の午門の基礎部などが残っている。発掘調査により多くの建築資材が確認されており、有宝相花紋煉瓦や文字瓦、蓮花瓦等の各種彩色瓦が確認され、当時の建築技術を知る上での重要な遺物となっている。