日本統治時代の朝鮮
造林事業
1910年当時の朝鮮全体の山林面積は1585万ヘクタールで、全面積の71%に達していたが、木材資源を示す林木蓄積量は1ヘクタールあたり17立方メートルであり、2009年の韓国の16.5%水準に過ぎず、特に南部の海抜の低い低地帯では若い木と禿げ山が大部だった[46][47]。
朝鮮半島の造林事業は当初は河川保持などの砂防目的が主眼であり、地形調査の結果、朝鮮半島は花崗岩台地の山岳地帯で、緑が育ちにくいことが判明したことが始まりとされている。森林が無ければ、降雨で土砂が流れ込み、農林業に影響を及ぼす。1924年の京城日報によれば、造林事業は1911年には約4千町、1152万本だったが1922年までの累計は個人の造林事業などを含めると約36万町、10億本に至ったと報告されている[48]。造林方法は植林・接木や普通播種などもおこなわれたが、国有林制の導入などによる自然復元によるところが多い。
朝鮮半島北部では軍部が木材伐採事業を直接経営しており、ここでは当時の山林経営の常識として自然収奪(伐出)的側面のつよいものであった。一方で保安林の確保や林道整備など評価される点も多いが戦争末期には朝鮮半島の造林事業は放置される傾向が強くなった。