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[転載]中国版・対日アヘン戦争に屈するな

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中国版・対日アヘン戦争に屈するな
 
 日本政府は、尖閣沖で領海侵犯、当て逃げ、公務執行妨害行為をした中国漁船を逮捕しながら、捜査の過程で中国側の不法で許難い無法の圧力によりやむを得ず無条件で釈放した。
 あろう事か、中国政府は、かさに掛かって損害賠償と損害賠償を要求してきた。この行為は、170年前の英国の中国に対して行った理不尽な「アヘン戦争1840」の様相を呈してきた。当時、愛国者・林則徐は、清国防衛に獅子奮迅の働きをしたが如何にせん、全く戦う気のない清朝政府にはどうにもならなかった。その後、清国は、屈服に屈服を重ね、1860年の北京条約(奴隷国家容認)へと至る。
 
 
1、アヘン戦争 1840
 18世紀、英国、インド、清国との間で三角貿易を開始し、英国の清国への阿片輸出の勢いは止まらない。清国の銀が減少するばかりか、国民の健康はむしばまれ、清国は一層「眠れる獅子」へと転落した。
 見かねた清朝は、林則徐に命じて阿片の輸入を禁止する(1839)。これに怯む英国ではない。となれば、林の、強制的に阿片の没収となった。待っていましたとばかりに、英国は清国攻撃を開始する。アヘン戦争開始だ(1840)。林が抵抗する。だが、戦う気力のない清軍は逃げ惑うばかり。15隻ほどの軍艦で、広州が陥落してしまう。これで清国が降伏してしまうわけではないが、次第に抵抗は弱まった。
 英国は、香港を占領し、更に東の玄関長江を遡上し、南京を攻略する。そして、南京陥落、南京条約により、香港の割譲となる(1842)。
 
 
2、アロー号事件(第2アヘン戦争) 1857
 南京条約により、英国の清国への阿片持込みは自由になり、清国は哀れな病国と化していく。愛国者は、この惨状に心を痛み、全国で反英闘争が始まった。英国の阿片は思うように売れない。
 清国は、英国船と名乗る中国船アロー号の臨検を行い、船員を逮捕した185610)。英国は、これに因縁を付け、戦争を始めたのだ(1857)。まず、広州を占領、次いで、フランスに働きかけて天津攻撃。そして、天津条約(1858)。
 まだ、清国の抵抗は続く。反対に、英仏の要人の被害も続く。怒った英仏軍は、北京を占領して破壊・略奪の限りを尽くした。そして、北京条約へと相成る訳だ(1860)。九龍(香港の対岸)の割譲苦力貿易の受忍(中国人を荷役奴隷とすることへの受忍)となる。
 ここに、屈辱的な阿片持込みに始まる中国の蚕食が完成するわけだ。ついでだが、遅れて大陸進出を開始するのが、30年後の1894年の日清戦争だった訳だ。
 
 
3、いよいよ始まった中華帝国の膨張作戦
 1992年、突如として中国は、南シナ海の領海を宣言し、その根拠法を定めた。南シナ海は、6カ国が海岸線を接する内海であるはずだが、一方的な中国の領海宣言。沿岸国が怒らないわけはない。だが、改革開放以来、軍拡を最優先していたが、この軍事力に物を言わせて沿岸国の抵抗を抑えてしまうのだ。小競合いは続いたが、沿岸国は手も足もでない。
 南シナ海を抑えた中国政府は、次は、東シナ海に向かった。2000年くらいからだ。圧力を強めてきた。その前提は、1970年から始まり、この東シナ海が資源豊富だと分かると「尖閣諸島」の中国領有を宣言し、さらに、2004年からは、経済水域を沖縄のぎりぎりの所までを宣言してきた。また、日中中間線付近に天然ガス掘削基地を造った。
 日本は、まさかと思っていたが、中国の動きを止めねばならない。どうしたか、2008年、ガス田の共同開発を約束したはずだが、中国の行為を容認する事になった。政府は、そんな事は微塵も言わないが、中国は、この地域は、中国の主権の下に資源開発をする事になったと言っている。
 また、時期を同じくして、中国潜水艦が先島諸島だけでなく、四国沖の日本領海に出没するようになった。危ない兆候は、日増しに増えていった。
 
 
4、中国の領土教育
 中国学生に聞いてみると、尖閣は勿論の中国領だし、沖縄も江戸時代までは中国領だったと教えている。また、学生の中には、日本本土も古代は中国領だったと言う者もいた。私は、十年間中国で就職をしてきて、自分の耳でその事を聞いてきたので、この事実は正確だ。
 中国政府は、2000年頃から急速に愛国教育という名の「反日教育」を強めてきた。例えば、私が最初に訪れた瀋陽の「918戦争記念館」は、2001年の建設だ。いや、まあ、その広いこと、5万平米はあっただろう。中に入ってみると、中国語、日本語、英語の説明があり、日本語文を読むと、お前達・日本人よく見ておけ、お前達はこんな悪い事をしているのだ、という論調の文が並ぶ。多くの日本人は贖罪の気持ちでこの施設を訪問しているのに、これでもか、これでもか、と雑言悪罵を並べている。これでは、日本人は、その館を出てくる時は、胸くそが悪くなって「バカヤロウ」と叫びたくなる
 これには驚いたが、ええっ、という気持ちでその他の愛国基地を訪問すると、他の施設も似たり寄ったり。最大の驚きは、「南京大虐殺記念館」。私は、2003年に訪問した。その後、2006年には、面積を10倍に拡大した。十万平米を遙かに超える。私は、中国滞在中、何十回となく「大虐殺を認めるか」との質問を受けたが、それほど中国政府の反日教育が凄いことを思い知らされた。
 
 
5、中国公安の日本人逮捕の手口
 日本政府は、尖閣領海侵犯の犯人を圧力に屈して無条件に釈放した。と、中国政府は、謝罪と損害賠償を要求してきた。こんな理不尽な事があるか。この事件の最中、フジタの社員4人が軍事施設内の無断撮影の疑いで逮捕された。この逮捕は本当に正当な逮捕だったのか、大いに疑問だ。私は、勿論、でっち上げの逮捕だと思う。私も、非常に危険な目にあった。その時の話をしよう。
 
 2003年、私は、上海のある日本語学校の講師をしていた。理事長が学生を騙して450人いる内200人を退校処分にし、1ヶ月半授業短縮した。当然ながら、学生が怒って立上がった。私たち講師の日本人9人は、勿論学生を支持した。その9人の代表が私だった。
 何とか学生を救わねばならない、賠償金を取らねばならない。とは言え、日本人は、この争いに荷担できない。そこで、私は、上海教育局、テレビ局、新聞社、更に、日本のマスコミにも救済を求める手紙を20数カ所に送った。その内容は、どこの局からも発表されることはなかったが、校内では騒ぎが大きくなり、理事長が窮地に陥ると同時に、私に怒りをあらわにしてきた。
 ある時、中国公安、やくざ風の男5人が私に話があるから同行してくれと言ってきた。逮捕に来たのだ。私は、急いで傍に居た学生に日本人を集めてくれるように頼んだ。血相を変えた男達の顔色を見ているともうダメかという感じだ。直ちに50人くらいの人垣ができた。
 
 まさかと逮捕だとは思いもしなかったが、やはり逮捕だった。通訳を介する話が始まった。大事だ、時間を稼ぐことが大事だ。私は、逮捕だとは思わなかったが、不測の事態に備えて在上海日本領事に連絡を入れておいた。これがやくにたった。次第に容易ならざる事態。そこで、人垣の中で領事に電話した。
 危ない、助けて下さい。今次のフジタの社員と同じだった。分かりました。領事が公安に話を付けてくれて、やっと逮捕を免れたのだった。
 
 
6、証拠の捏造はお手の物、理事長一味
 私がやったことは、お願いの文書の郵送、それ以外の事はやっていない。逮捕なんてあり得ない、私はそう確信していた。だが、悪い奴に掛かれば、証拠の捏造はお手の物、そして、その証拠での逮捕も好き勝手。理事長は、俺に出来ないことはない。上海の官僚は、全て俺の知り合いだと豪語した。女たらしでも、上海で知れ渡っていた。後から知って、足がくがくの思いだ。どうしたか。
 
 学生の一人を捕まえて、あの日本人は悪い奴だ、お前の知っていることを喋ってくれと切出した。その学生は、私を尊敬している学生。そんな事を言うわけがない。そこでどうしたか。
 学生を紛争当事者として逮捕し、車に監禁し、学外のどこか遠い所に連れて行った。ヤクザか公安の専門家が乗込んできて、「奴は、日本のスパイダ」「右翼だ、面汚しだ」と吹込んだ。そんな事は知りません。いや、それは自明の事実だ。そんな問答があり、時間がないから早くその事を紙に書けと要求した。学生は、釈放されたいがあまり、その旨書いた。何故分かるのか。学生が私に謝罪し、その時の一部始終を手記にして発表したからだ。その原文は捜さねばならないが、その日本語訳は残っている。
 私を逮捕に来たのは次の日だった。つまり、理事長は、その文面を持って上海公安に走ったのだった。
 
 
7、日本は戦わねば、中華帝国に呑込まれる
 フジタの社員の逮捕の顛末は全く発表されていない。なら、私が酷い目に遭いそうになった状況からして、これは、全くのでっち上げだと確信する。何で、律儀で臆病な日本人に、基地内の危ない仕事ができるのか。日本政府は、禁止場所での撮影を前提とする交渉をしてはならない。また、早期釈放を得たいがための交渉をやってはならない。墓穴を掘るだけだ。次の謝罪と損害賠償のゴリ押しが来るだけだ。
 
 考えてみよう。中国のアヘン戦争。英国、後にはフランス、ロシアも荷担して清国を攻めまくった。清がその要求は受け入れられないと言っても、お構いなしに、只砲弾を撃込むだけ。
 中華帝国の今次の請求は、当時の英国の強盗的要求と同じではないか。謝罪と損害賠償要求。更に、領土主権は当然のこととしての主権主張。さらに、旅行社に圧力を加え日本旅行を止めさせ、希少金属輸出の実質的禁輸、文化交流の禁止と続いている。日本から要求を引出すには今この時だと言わんばかりだ
 見てみてば、日本政府の軟弱振りは極点に達している。なら、一つ譲れば、次の事件と同時に謝罪と損害賠償が続くことは火を見るよりも明らかだ。阿片戦争の教訓はその事を教えている。真に気の毒だが、フジタの社員には、日本全体が盗られる愚を犯さないために受忍してもらうほかない。
 
 日本国民の皆さん、腹をくくって中華帝国と戦うことを決意して下さい。
 

転載元: 日本の再生と国際化を考える


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