日本一の清流とヒ素を学ぶ環境・歴史ツアー
集合 9時 津和野駅 駅レンタカー 夕方解散
行先 鉱害対策事業跡 漁業協同組合 他検討中
連絡先 高津川 水・土壌汚染研究会準備委員会
図2 日本全国のヒ素の濃度分布 |
清流高津川流域情報
国土交通省による水質検査で日本一となった高津川は、島根県吉賀町の樹齢千年の「一本杉」からの湧水を水源とし、津和野町を経由し、益田市の日本海へ注がれています。流域面積は1,090平方km、幹川流路延長は81km。
高津川流域の概要
高津川は、島根県西部の日本海側に位置し、水源は島根県鹿足郡吉賀町田野原にあります。
高尻川、福川川等を合わせて北流し、津和野町日原で津和野川を、益田市で匹見川、白上川等を合わせて、益田平野を貫流し日本海にそそいでい
ます。幹川流路延長81km、流域面積1,090km2の一級河川で、92の支川を擁しています。
流域は益田市・津和野町・吉賀町からなり、土地の約96%は山地、約3%は水田や畑地等で、残りの約1%が宅地等の市街地となっています。
高津川流域の地形
上流域は、南の中国山地で広島県を流れる太田川水系、山口県を流れる錦川水系等に接しており、西中国山地国定公園の一部を擁しています。
本川最上流部は、錦川水系の深谷川によって高津川が河川争奪を受けたため、標高400m程度の平地が広がっています。中流域は、上流域よりも川幅が狭まり、V字渓谷を有しており、下流域は益田市神田付近か
ら広い谷底平野を形成しています。
河口の益田市は石見地方の中心都市で、木材加工業や繊維産業等が盛んです。また、中流域の津和野町は「山陰の小京都」と呼ばれ、多くの観光客が訪れています。
高津川は、島根県西部の日本海側に位置し、水源は島根県鹿足郡吉賀町田野原にあります。
高尻川、福川川等を合わせて北流し、津和野町日原で津和野川を、益田市で匹見川、白上川等を合わせて、益田平野を貫流し日本海にそそいでい
ます。幹川流路延長81km、流域面積1,090km2の一級河川で、92の支川を擁しています。
流域は益田市・津和野町・吉賀町からなり、土地の約96%は山地、約3%は水田や畑地等で、残りの約1%が宅地等の市街地となっています。
高津川流域の地形
上流域は、南の中国山地で広島県を流れる太田川水系、山口県を流れる錦川水系等に接しており、西中国山地国定公園の一部を擁しています。
本川最上流部は、錦川水系の深谷川によって高津川が河川争奪を受けたため、標高400m程度の平地が広がっています。中流域は、上流域よりも川幅が狭まり、V字渓谷を有しており、下流域は益田市神田付近か
ら広い谷底平野を形成しています。
河口の益田市は石見地方の中心都市で、木材加工業や繊維産業等が盛んです。また、中流域の津和野町は「山陰の小京都」と呼ばれ、多くの観光客が訪れています。
高津川流域の地質
流域の地質は、比較的明瞭に分かれており、上流部は主として中~古生代の火山岩類・堆積岩からなり、中流の山地の大部分は匹見層群と呼ばれる中生代白亜紀の流紋岩類から成っています。下流の山地の大部分
を占めるのは、頁岩・砂岩・チャートからなる中~古生代の堆積岩層で、「鹿足層群」と呼ばれています。
流域の地質は、比較的明瞭に分かれており、上流部は主として中~古生代の火山岩類・堆積岩からなり、中流の山地の大部分は匹見層群と呼ばれる中生代白亜紀の流紋岩類から成っています。下流の山地の大部分
を占めるのは、頁岩・砂岩・チャートからなる中~古生代の堆積岩層で、「鹿足層群」と呼ばれています。
日本で唯一ダムの無い一級河川です。その為、天然の鮎は流域のブランド品となっており、全国から多くの釣りファンを集めています。自然の素晴らしさは言うに及ばず人情・文化・食の恵みが味わえる川、自然と生き、人と生きるそれが高津川です。平成20年は水質11位でしたが、これを機に、環境保全面・文化生活面・流域振興面から名実ともに日本一を目指し、益田市・津和野町・吉賀町で一体的な取り組みを進めています。
イベント情報
関連リンク
圏域の宝「清流高津川」が平成22年・23年と2年連続で水質日本一となりました
水質日本一ってどうやって決めるの?
全国の一級河川(湖沼及び海域を含む)を、次のような調査項目で年間を通じて調査し、その平均値で河川をランキングしたものです。
1.生活環境の保全に関する環境基準項目のうち、BOD(生物化学的酸素要求量)またはCOD(化学的酸素要求量)の環境基準を満足しているかどうか
2.「ダイオキシン類対策特別措置法」で定義されているダイオキシン類について、全国一級水系で継続的に水質と底質の調査
3.人と河川の豊かなふれあいが確保されているか
4.豊かな生態系が確保されているか
5.利用しやすい水質が確保されているか
などの視点から、評価項目の一部を住民と河川管理者とが協働で調査しています。
高津川
地理
一級河川で唯一、支流を含めてダムが一切無い。規模の大きい河川ながら、上中流域に大きな人口密集地が無く、日本有数の清流として、中上流域では毎年鮎釣りが盛んである。毎年6月に吉賀町で「水源祭り」が、8月第1土曜日に益田市で「水郷祭」が行われる。 日本唯一の「放し鵜飼」としてカワウを使う漁があったが平成になってする人がいなくなった。
歴史
毎年5月第3週の日曜日は、全一斉河川掃除が早朝5時30分から行われる。2006年(平成18年)2月に、河川法に定められ河川整備の百年の計となる「河川整備基本方針」が策定され、国土交通省等により鋭意改修が続けられている。
伝説
田野原の一本杉に出雲から逃げてきたヤマタノオロチの魂が宿り、水が沸いて高津川となる。地元・有綱には4mを越す大蛇が地元の戦国武将・長嶺氏によって退治された逸話や日原の下瀬頼豊が川に潜った大蛇を追い払う逸話が残る。
流域の自治体
- 島根県
支流
外部リンク
石見銀山ねずみ捕り
石見銀山ねずみ捕り(いわみぎんざんねずみとり)は江戸時代、石見国笹ヶ谷鉱山で銅などと共に採掘された砒石すなわち硫砒鉄鉱(砒素などを含む)を焼成して作られた殺鼠剤(ねずみ捕り)であり主成分は亜ヒ酸。単に「石見銀山」や「猫いらず」とも呼ばれ、広く使われる。実際の「石見銀山」では産出されなかったが、その知名度の高さにあやかるため「笹ヶ谷」とは呼ばなかった。毒薬として落語・歌舞伎・怪談などにも登場する。
笹ヶ谷鉱山(現在の島根県鹿足郡津和野町)は、戦国時代から銀を産出していた石見銀山(同県大田市大森町)と共に戦略上から幕府直轄領(いわゆる天領)とされ、大森奉行所(のち代官所に格下げ)の支配下とされたので無関係ではないが、砒素の産地が何処であるか(正しくは前者)については混乱も見られる。元禄期には銀山の産出が減る一方で、その後も笹ヶ谷からの殺鼠剤販売が続き名前が一人歩きするようになった為、と考えられている。
また、1997年に同じ石見国の津和野町で日本最大級の間欠泉が発見され、観光資源としての活用が期待されたが、噴出する湯に安全基準を超えた砒素が検出されたため、封鎖されたという逸話がある。
笹ヶ谷鉱山は主に銅を採掘し、少量の銀や亜鉛、副産物としてヒ素を採集していました。
鉱山の開坑は鎌倉時代と伝えられ、江戸時代は石見銀山代官所支配下の天領になりましたが、直接経営ではなく地元の請負山師制でした。産銅高は、石見銀山配下の他の銅山の合計の3 ~ 4 倍を誇っていましたが、江戸後期には坑道が深くなって採掘が困難になり、減少しました。一方、この頃から硫砒鉄鉱(誉石とよばれていた)を焼いて作られる亜ヒ酸が銀山代官所を通して殺鼠剤として売り出されました。
鉱山の開坑は鎌倉時代と伝えられ、江戸時代は石見銀山代官所支配下の天領になりましたが、直接経営ではなく地元の請負山師制でした。産銅高は、石見銀山配下の他の銅山の合計の3 ~ 4 倍を誇っていましたが、江戸後期には坑道が深くなって採掘が困難になり、減少しました。一方、この頃から硫砒鉄鉱(誉石とよばれていた)を焼いて作られる亜ヒ酸が銀山代官所を通して殺鼠剤として売り出されました。
石見銀山からヒ素は産出しませんが、当時はすでに銀山自体の銀の生産が衰退していましたので、「いわみぎんざん」は毒薬の代名詞となり四谷怪談など芝居や小説に数多く登場します。
明治に洋式技術を導入して銅鉱の生産が飛躍的に伸び、人口約2000 人の鉱山町が砥石山南側の谷間に出
現しました。しかし、繁栄は長続きせず、第一次世界大戦後の銅価格の暴落により鉱山が衰退するとともに
亜ヒ酸の製造を再開しました。亜ヒ酸の用途は主に農薬でしたが、日本陸軍の毒ガス原料としても出荷され
ました。
現しました。しかし、繁栄は長続きせず、第一次世界大戦後の銅価格の暴落により鉱山が衰退するとともに
亜ヒ酸の製造を再開しました。亜ヒ酸の用途は主に農薬でしたが、日本陸軍の毒ガス原料としても出荷され
ました。
鉱山は昭和24 年に一旦閉山し、その後数人の個人や企業が鉱業権を取得しましたが本格操業しないまま、
銅価格の低迷と鉱害問題から昭和46 年5 月に完全閉山しました。
鉱山の操業に伴う鉱害は、大規模稼行を始めた明治17 年頃から水田への被害が記録され、亜ヒ酸の製造
で拡大しました。対策としては昭和20 年代に地元の努力で鉱さいの流出を防ぐ砂防ダムが建設されました
が、本格的には昭和45 年に島根県が農地の鉱毒汚染を認定した後です。住民の健康被害も明らかになったた
め、県の工事として昭和48 年から10 年余の年月をかけて汚染土砂の除去や耕地の客土などの鉱害対策事業
が行なわれました。
で拡大しました。対策としては昭和20 年代に地元の努力で鉱さいの流出を防ぐ砂防ダムが建設されました
が、本格的には昭和45 年に島根県が農地の鉱毒汚染を認定した後です。住民の健康被害も明らかになったた
め、県の工事として昭和48 年から10 年余の年月をかけて汚染土砂の除去や耕地の客土などの鉱害対策事業
が行なわれました。
現在、コンクリートで覆った川(写真2)やズリ捨て場、覆土して整地された汚染土壌の処分場などの対策工事
場所も草木に埋もれ、鉱山町は雑木林となり、往時を伝えるのは明治に開削された7 番坑のみとなりました。
所在地とアクセス方法
●7 番坑:
島根県鹿足郡津和野町大字豊稼字石ヶ谷地内
→国道9 号「にちはら道の駅」の南300mから程彼川沿いに県道日原須佐線を約10 ㎞。
または、津和野町長野から砥石山トンネルを経て県道日原須佐線を2 ㎞。
島根県鹿足郡津和野町大字豊稼字石ヶ谷地内
→国道9 号「にちはら道の駅」の南300mから程彼川沿いに県道日原須佐線を約10 ㎞。
または、津和野町長野から砥石山トンネルを経て県道日原須佐線を2 ㎞。
●鉱山施設、鉱害対策事業跡:
島根県鹿足郡津和野町内美、豊稼、長福地内
→津和野町部栄から町道笹ヶ谷線を5 ㎞で内美。三叉路を左折して笹ヶ谷川沿いに砂利
道を入るとかつての鉱山町。三叉路を直進すると峠を越えて程彼川沿いの県道に至る。
ジオサイトの特徴やみどころ
A:笹ヶ谷鉱山7 番坑 坑道はB の選鉱場へ通じていた。
B:選鉱場や精錬所など笹ヶ谷鉱山の主要施設が存在した場所。鉱山町もこの谷沿いに形成された。
C:笹ヶ谷鉱山鉱床範囲 この範囲に多数の坑口があり、内部でつながっていた。
D:豊稼鉱山跡ほまれいし
C:笹ヶ谷鉱山鉱床範囲 この範囲に多数の坑口があり、内部でつながっていた。
D:豊稼鉱山跡ほまれいし
E:木部鉱山跡
関連する見学場所と情報記念物指定など
堀庭園 (鎌倉時代から昭和まで600 年余り鉱山を経営した堀家の迎賓館)
津和野町邑輝795 0856-72-0010
津和野町観光協会 www.tsuwano.ne.jp/kanko
津和野町役場 www.tsuwano.ne.jp/town
堀庭園 (鎌倉時代から昭和まで600 年余り鉱山を経営した堀家の迎賓館)
津和野町邑輝795 0856-72-0010
津和野町観光協会 www.tsuwano.ne.jp/kanko
津和野町役場 www.tsuwano.ne.jp/town
益田観光ビデオ
堀庭園 [地図表示]
津和野の町中から山間に向けて約8キロ。かつて石見銅山で繁栄した豪族堀氏の名園があります。おすすめは書院造りの客殿「楽山荘」の二階から中央にある庭園 を眺めた様子。ぐるりと囲まれた木々と池からは凛とした空気が張りつめ、これ以上にはないほどの静寂があふれています。秋には特に紅葉が彩りを添えます が、季節折々の風景が楽しめます。
( 名所・旧跡 )
津和野泊 原田屋 泊 お寺でディスコ