古代のパワースポットか、琵琶湖岸から“不思議な力”示す祭祀遺物が大量出土の「謎」
土の中から忽然(こつぜん)と姿を現した一対の石は、国内に存在しないタイプのデザインが刻まれた短剣の「鋳型」だった-。滋賀県高島市安曇川町三尾里の上御殿遺跡で見つかった弥生時代中期-古墳時代初め(紀元前4世紀~紀元3世紀)の製作とみられる短剣の鋳型は、春秋戦国時代(紀元前770~221年)の中国北方に分布する短剣に似ていたため、青銅器文化の新たな伝来ルートを示す大発見として一躍関心を集めた。
だが、それだけではない。
この遺跡の古代の河川跡からは、人や馬をかたどりけがれを清める祭祀(さいし)具「形代(かたしろ)」が大量に出土したり、特定の人物名を7回書き連ねた甕(かめ)が見つかったりと“不思議”な力の存在がうかがえるような遺物が相次いで見つかっているのだ。研究者たちは、この遺跡周辺が古い時代から連綿と続く「水辺のパワースポットだった」とみて、今後の調査成果に熱い視線を注いでいる。
(小川勝也)
「偽物かと思った…」
今回見つかった鋳型には、柄の先に円形の装飾が2つ並ぶ「双環柄頭(そうかんつかがしら)短剣」と呼ばれる形が彫り込まれていた。これは、春秋戦国時代に中国・華北地方や内モンゴル地方で、騎馬民族が武器などとして使っていた「オルドス式短剣」に酷似していた。
日本に銅剣文化がもたらされたルートは、朝鮮半島を経て九州北部に伝えられた、というのが定説。しかし、オルドス式短剣は日本だけでなく朝鮮半島での出土例もないことなどから、この鋳型の発見で、中国大陸から日本海を経て直接もたらされたとする新たなルートが浮上した。