$ 0 0 白 川【しらかわ】昭和28年水害 熊本市新市街裏通り付近昭和28年水害 熊本市下通り付近昭和28年水害 熊本市上通り付近昭和28年水害 熊本市泰平橋付近昭和28年水害 熊本市役所付近平成2年水害 熊本市二本木地先白川橋下流(白川右岸10k500)付近 上流から下流を望む平成2年水害 熊本市二本木地先白川橋下流(白川右岸10k500)付近 上流から下流を望む平成2年水害 熊本市渡鹿町 小磧橋下流 (左岸17k300)付近平成2年水害 熊本市九品寺1丁目付近 (左岸13k000)平成2年水害 熊本市水道町子飼地先 (右岸13k500)付近 下流から上流を望む平成2年水害 熊本市二本木、世安町 JR豊肥本線白川第一橋梁 (10k200~9k400)付近 下流から上流を望むもっと詳しく知りたい方は熊本河川国道事務所 http://www.qsr.mlit.go.jp/n-kawa/r_shiro/suigai.html 歴史6・26水害 1953年(昭和28年)6月26日、梅雨前線による集中豪雨で白川が氾濫し熊本市の広い範囲が床上浸水、またその2ヶ月前に阿蘇山が噴火していたことで大量の泥(火山灰)が市街地へ流入した。この白川流域の水害についてを「白川大水害」、または日付から「6・26水害」と呼ぶ。熊本のほか福岡・佐賀などでも大きな被害をもたらしたこれらの水害の詳細は昭和28年西日本水害#白川大水害を参照。 白川大水害白川に架かる代継橋。白川大水害と直後の豪雨で二度流失した。写真は2005年(平成17年)に架け替えられたもの。 県都・熊本市では市内を流れる白川が氾濫した。白川上流部では阿蘇郡黒川村で5日間の雨量が888.4ミリを記録するなど阿蘇地域一帯で猛烈な豪雨となった。白川水系流域面積の80パーセントを占める阿蘇地域は阿蘇熔岩を主体とする岩盤の上に「ヨナ」と呼ばれる火山灰を多く含む土壌が堆積していた。 鹿児島県薩摩半島のシラス台地と同様に豪雨が降ると容易に崩壊する土壌であったため、1952年(昭和27年)には「特殊土壌地帯災害防除及び振興臨時措置法」、いわゆる特土法の規定する特殊土壌地帯]に阿蘇地域は指定されていた。 こうした土壌が堆積していた阿蘇地域で4月27日に阿蘇山が噴火して大量の火山灰が堆積、そこに大量の豪雨が降り注いだことで大量の火山灰や「ヨナ」が土石流となって広大な白川上流域から黒川合流点より下流の河川勾配が急な峡谷を一挙に下り、下流の熊本市内に流入した。 さらに熊本市内の白川は天井川となっていて、熊本市役所庁舎をはじめ熊本市中心部は白川の水面よりも低い位置に存在していた。こうした複合的な要因が熊本市内の被害を増幅させる結果をもたらした。 熊本市では京町や健軍といった高台を除く全市の70パーセントが浸水し、熊本市中心部では平均で水深が2.5 - 3.0メートルに達した[15]。また白川の橋梁は17箇所市内に架けられていたが、国道3号長六橋と大甲橋を除いて残らず流失し上流・中流部でも七障子橋・代宮橋・赤瀬橋以外はことごとく流失した。 特に子飼橋では至近距離にあった避難所で避難していた住民約40名が橋もろとも白川に流され、死亡した。熊本市内は噴火した阿蘇山の火山灰が混ざった大量の泥や「ヨナ」で市街地などが埋まり、その総量は実に600万トンにも及び熊本城の堀の一部を廃土で埋めることになった。 また養老院が倒壊して52名が一度に圧死するなど、土砂災害による要因が死者を増加させている。熊本市の被害額は約173億円(現在の金額で約1219億円)にもおよぶ壊滅的被害となった。 また上流の阿蘇郡長陽村(南阿蘇村)などでも土石流によって家屋や道路、鉄道への被害が大きく孤立した村落も発生、白川上流部のいわゆる「南郷谷」と呼ばれる阿蘇山カルデラ南部では死者・行方不明者が66名を数えた。熊本県ではこの白川流域で甚大な被害をもたらした今回の水害を特に白川大水害または6.26水害と呼ぶ。 なお白川ではこの水害の半月後7月16日から17日にかけても集中豪雨があり、仮橋を架けたばかりの国道266号代継橋や明午橋、白川橋、泰平橋が再び流失したほか床上・床下浸水の被害を受けている。またこの水害を契機に建築された白川沿いの住宅が、その後の白川治水事業を困難にする要因ともなった。 平成24年7月九州北部豪雨による氾濫詳細は「平成24年7月九州北部豪雨」を参照 7・12九州北部豪雨、白川 熊本 大雨 白川が氾濫寸前 2012・07・12 熊本水害H24.7.12 白川氾濫 (H24.7.12 AM10:25) 救助ヘリ到着 ご意見募集↓