中国で行われる反日教育の目的
また近年ではそれら反日教育を徹底的に教え込まれて育った、反日が社会常識である世代が政治・行政の中枢に携わる様になっており、もはや思想教育・感情教育の段階に移行し、青少年教育・国民感情に大きな先入観を及ぼし、靖国問題・歴史教科書問題などに見られるように日本に強いプレッシャーを及ぼし、歴史認識としての政治的問題、さらには領土を巡る紛争に発展する危険性をはらんでいる。
反日教育の目的
- 一つは中華人民共和国の日中戦争に於ける日本に対する嫌悪感
- 一つは例えば、プロレタリア民主主義国家である為、中国共産党の一党独裁体制が現在も続いている。
- 政治においては国会議員の選出は立候補に制限を設けた間々接選挙であるので、国民の意見が薄まってしまう傾向にあり、国民の不平不満の矛先をプロパガンダとして統制し仮想敵国=日本の構図で政権の安定を図る為、反日教育をしているという主張がある。
- 中国の愛国教育はアヘン戦争から日中戦争の一連全てを教えていて、反日だけでなく、反英、反仏、反露、反米なども当てはまるという意見もあり(特に華北ではアロー戦争で英仏軍に焼き討ちにされた円明園の方が日中戦争関係の史跡よりも愛国教育に使われる事が多い、ちなみに円明園は1988年に愛国主義教育重点基地に指定されている)、教科書には「悪いのは日本の一部の軍国主義者であり、日本人民も被害者である」という記述もある事から共産主義の祖の一人レーニンの著書「帝国主義論」にある「資本主義が独占資本の段階になると帝国主義になる」事の実際例として利用し共産主義思想の伝播が本来の役割であるという意見も一方である。
- 例えば2008年のカルフール不買運動や1999年のユーゴスラビア内戦における米軍による中国大使館誤爆事件に対する過激な反米運動(米国大使館が数百人により襲撃)が起きている。
中華人民共和国における反日教育の実態
1994年に中国共産党の中央宣伝部が「愛国主義教育実施要綱」を起草し、愛国心教育が制度化された。祖国を愛することが国民の義務とされ、学校では国旗の掲揚は毎日行い、小中高校生は全員国歌が歌えなければならないとされている。
中国では教師のマニュアル書である「中国歴史・教師用指導書」というものが存在しており、そこには歴史教育について次のように日本を恨むように子供の感情に訴える指導がなされている。
- 「日本帝国主義を心より恨み、蒋介石の無抵抗を心より恨み、国土の喪失を悲しみ、憂国憂民の感情を心に持たなければならない。」
- 「教室の雰囲気に気を配って、思想教育の実質的効果が上がるように心がけなければならない。」
- 「『石井部隊が被害者の死体を焼却した焼人炉』と、『日本の侵略者が中国人を用いて行った細菌実験』の二枚の画像を組み合わせ、生徒の思いを刺激して、日本帝国主義の中国侵略の罪状に対して強い恨みを抱くように仕向けるべきである」
- 『南京大虐殺』については「残虐性と野蛮性を暴露せよ」「教師は日本軍の残虐行為の部分を生徒に真剣に読ませて、日本帝国主義への深い恨みと激しい怒りを生徒の胸に刻ませよう」「南京大虐殺の時間的経過と人数を生徒に覚えさせよ」
教科書記載例
中国側首脳が言及する日中戦争の「犠牲者数」「虐殺被害者数」は戦後一貫して増加し続けており、これを反日プロパガンダと看做す意見もある。
日中戦争の中国側犠牲者数
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中国
「中国はなぜ反日になったのか?と問うこと自体がおかしい。中国は、歴史上ずっと反日だったのであり、何かのきっかけで反日に「なった」のではない。「倭寇」は実際には中国の貿易業者が多かったのに、日本だと決めつけて敵視する思考様式に反日の源流がみられる。『史記』以来の中国の史学はイデオロギーの表明であり、ありのままの事実から出発する近代歴史学が欠落しているのが、歴史認識問題の本質である。「正しい」歴史認識というスローガンがすべてを物語っている」、と岡本隆司は述べている。
中国が反日教育に初めて着手したのは1928年5月、国民党が南京において排日教育方針を決議したことに始まる。中国が反日運動に狂奔する理由としては、中華思想と、日本に対する嫉妬心、多面的な視点がなく他人と視点や思想を共有できないこと、などがある、と拳骨拓史は述べている。
日清戦争中には、日本を「倭」、明治天皇を「倭酋」などと呼び、人種差別的なプロパガンダが行われ、中国にある日本の企業や商店が襲われる事件が相次いだ。
1908年に辰丸事件による日本製品不買運動が起こり、1928年には済南事件をきっかけに中国各地で「反日会」が結成させた。反日会は「奸民懲戒条例」を制定し、反日会の規則に違反した者に罰金を課したり、木製の檻に監禁して街路に曝す、等のことを行った。
1930年代には、日本人に対する暴行、虐殺事件が、中国各地で多発している。また、「漢奸狩り」(漢奸#日中戦争における「漢奸」参照)として、日本に協力的とみなされた多数の中国人が虐殺された。
反日映画や反日ドラマが多数作られている(反日感情#抗日神劇参照)。また、中国でのサッカーの試合でたびたび反日行為がみられる(AFCアジアカップ2004#中国人による反日行為、2007 FIFA女子ワールドカップ#エピソード、AFC U-19選手権2010#中国人による反日行為参照)。
近年の動きでは、2005年の中国における反日活動、2010年尖閣諸島抗議デモ、2012年の中国における反日活動などがある。2010年9月の尖閣諸島中国漁船衝突事件以後、頻繁に中国船が紛争地域に入している。
反日活動の年表
- 811年 弘仁の新羅の賊
- 820年 弘仁新羅の乱
- 869年 貞観の入寇
- 893年 寛平の入寇
- 997年 長徳の入寇
- 1882年7月23日 壬午事変
- 1884年12月 甲申政変失敗
- 1894年 金玉均が暗殺され、遺体はバラバラにして晒された
- 1895年 朝鮮で乙未義兵
- 1896年2月11日 露館播遷
- 1896年3月9日 鴟河浦事件
- 1908年 中国で辰丸事件による日本製品不買運動
- 1909年10月26日 伊藤博文を安重根が暗殺
- 1914年9月 東京日日新聞が中国の反日的な教科書を批判したことをきっかけに、日中両国が互いに相手の教科書を問題にして外交問題となる
- 1919年3月1日 三・一運動
- 1919年5月4日 五四運動
- 1920年3月 尼港事件
- 1920年10月 間島事件
- 1924年 排日移民法
- 1927年4月 漢口事件
- 1928年5月 済南事件をきっかけに中国各地で「反日会」結成
- 1929年9月頃 日本の世界征服計画だという「田中上奏文」が流布され日本非難に使われる
- 1930年 間島共産党暴動
- 1932年1月8日 桜田門事件(昭和天皇暗殺未遂)
- 1932年4月29日 上海天長節爆弾事件
- 1935年11月 中山水兵射殺事件
- 1936年 東北抗日聯軍
- 1936年8月 成都事件
- 1936年9月 北海事件、漢口邦人巡査射殺事件、上海日本人水兵狙撃事件
- 1937年7月 通州事件
- 1942~1946年 日系人の強制収容
- 1945年8月 小山克事件、葛根廟事件、牡丹江事件、敦化事件
- 1945年10月15日 在日本朝鮮人連盟
- 1945年12月8日 『太平洋戰爭史』全国の新聞紙上に連載開始
- 1945年12月9日 『眞相はかうだ』NHKラジオで放送開始(後に『眞相箱』)
- 1945~1956年 シベリア抑留
- 1946年2月 通化事件
1959年12月4日 新潟日赤センター爆破未遂事件