「地球の上に生きる2014」-DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展
- ジャンル:報道 / 人物 / 動物
- 開催地:コニカミノルタプラザ
- 開催日:2014年04月25日(金) - 2014年05月08日(木)
2004年3月20日、イラク戦争開戦1周年の日に創刊されたフォトジャーナリズム月刊誌「DAYS JAPAN」は、今年、創刊10年目をむかえました。イラク戦争では「テロとの戦争」という大義に隠され「被害者の姿」が大手メディアでは伝えられず、知らなければならなかった情報の多くが、私たちの元には届きませんでした。以来、権力を監視し、戦争や人権侵害に反対するという本来のジャーナリズムの役割を果たすことを使命としてきました。
2005年から開催してきた「DAYS国際フォトジャーナリズム大賞」は、フォトジャーナリストたちが真実を発表できる数少ない機会として、世界からも高い評価をえています。10回目の今回も、彼らが命の危機に関わるぎりぎりの所でとらえた作品、人間と自然の尊厳が奪われていることを告発する作品が届きました。中には、目を覆いたくなるような作品があるのも事実です。
この写真展を通して、多くの人々が、いま世界で何が起きているかを知り、それが記憶の一枚として残り、より明るい未来を創るきっかけとなることを願います。「1枚の写真が国家を動かすこともある」「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」と信じ、この写真展を開催いたします。
2005年から開催してきた「DAYS国際フォトジャーナリズム大賞」は、フォトジャーナリストたちが真実を発表できる数少ない機会として、世界からも高い評価をえています。10回目の今回も、彼らが命の危機に関わるぎりぎりの所でとらえた作品、人間と自然の尊厳が奪われていることを告発する作品が届きました。中には、目を覆いたくなるような作品があるのも事実です。
この写真展を通して、多くの人々が、いま世界で何が起きているかを知り、それが記憶の一枚として残り、より明るい未来を創るきっかけとなることを願います。「1枚の写真が国家を動かすこともある」「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」と信じ、この写真展を開催いたします。
INFORMATION
〒 160-0022 東京都 新宿区 新宿3-26-11 新宿高野ビル4F |
10:30~19:00 最終日のみ15:00まで |
無料 |
会期中無休 |
約60点 |
http://www.konicaminolta.jp/plaza/ |
シリア内戦
バングラデシュ縫製工場の倒壊
シベリア ネネツ人 遊牧民
ガザに生きる子どもたち
フィリピン巨大台風 破壊された村
シリア内戦 戦闘の只中に生きる市民
「エジプト革命」以降の混乱
フィリピン巨大台風ハイエン
アルゼンチンの農薬被害 撮影者:ナターチャ・ピサレンコ(AP)
バイオテク大豆農園付近で、パチンコをして遊ぶ少女達。アルゼンチン、チャコ州アビア・テライにて。
農薬汚染は、アルゼンチンでは全ての大豆と、大半のトウモロコシと綿花に17年前からアメリカのモンサント社が特許を持つ、遺伝子組み換え品種を使っていることに起因する。当初、この種子とセットになった同社の農薬を使用すれば、少量の農薬で収穫量の増大がみこめると約束された。
農薬汚染は、アルゼンチンでは全ての大豆と、大半のトウモロコシと綿花に17年前からアメリカのモンサント社が特許を持つ、遺伝子組み換え品種を使っていることに起因する。当初、この種子とセットになった同社の農薬を使用すれば、少量の農薬で収穫量の増大がみこめると約束された。
しかし農薬使用量は1990年に900万ガロンだったのに、現在ではその約9倍に増えた。アメリカのバイオテクノロジーはアルゼンチンを農業大国にしたが、一方で、農薬は環境全体を汚染した。医師や科学者は、農薬の使用に声高に警告を発している。
カミラ・バーロン(2歳)は生まれつき複数の臓器に重度の障害がある。医師たちは母親に、付近の農地に大量の農薬が散布されており、それが原因の可能性があると伝えた。
彼らはある特定の化学物質が先天性障害やガンを引き起こしたと証明するのは困難だが、政府による調査の必要だと語ったという。チャコ州アビア・テライ。
アイカ・カノ(5歳)は生まれつき体中に黒斑がある。医師も説明できないというが、農薬に関連している先天性障害と考えられる。アルゼンチンで農業にバイオテクノロジーが爆発的に使われるようになってから、チャコ州では重度の先天的障害児が 4倍に増加した。農薬は日常的に家、学校そして飲料水を汚染する。チャコ州アビア・テライ。
リサイクルセンターの敷地に、空になった農薬の容器が無数に廃棄されていた。モンサント社のものも含まれている。サンティア・ デル・エステロ州クイミリ。
元農場労働者ファビアン・トマシ(47歳)が自宅で立ち上がり、衰弱した体を見せる。彼の仕事はタンクに農薬を速やかに詰めることだったが、農薬を扱う訓練を受けたことはなかった。手袋やマスク、防護服もつけずに数百万リットルの毒物を扱った。科学者に会って初めて、何が病気の原因かわかった。 現在彼は多発性神経障害により死を迎えようとしている。 エントレ・リオス州バシルバソ。
T:大豆の大規模栽培がおこなわれているこうした地域での子どもたちの健康状況はどのようなものですか?
L:複合的な問題を抱えています。たとえば、免疫系統の重篤で目に見える疾患もありますし、多様な数多くの白血病、様々なガン、腎臓芽腫や網膜芽腫という珍しい病気を持って生まれる子どもたちもいますが、これは遺伝形質の低下が頻発していることや、それが子どもたちの人生の早い段階で現れることを示しています。
一方で私たちは多くの皮膚の異常、てんかん、あらゆる種類のけいれんの症状、内分泌系にかかわる多くの症状を目にしました。少年たちの間には発育不良や、逆に発育しすぎるという問題を抱えている子もいますが、それはこのような毒性物質や、遺伝子組み換え作物の消費によってもたらされる内分泌軸の変質によって引き起こされたものです。
また、行動にも異常が見られます。無症候のADHDが子どもたちの間に見られています。そしてこれに影響される人口が増えつづけているために、まるであたりまえのことのようにとらえられ、子どもたちは本来自分に合わない学年に編成されています。
今年私たちが発表する最新の研究のひとつでは、私たちは特別学校にいる子どもたちの人数に注目しています。1万人の住民のコミュニティで、100-150人の子供たちが特別学校にいるのですが、その数は現在のような大豆生産のシステムとそれに伴う農薬散布のなかった15-20年前に比べるとほぼ三倍になっています。
ノーベル環境賞とも言われるゴールドマン環境賞をアルゼンチンで遺伝子組み換え大豆の農薬散布を止めた母親たちの運動のリーダーのソフィア・ガティカ(Sofia Gatica)さんが受賞した。
この賞は権威あるもの。賞のことより、Sofiaさんの活動のすばらしさに感動を覚えた。
ラウンドアップ
有効成分名はグリホサートイソプロピルアミン塩 、IUPAC名ではイソプロピルアンモニウム N-(ホスホノメチル)グリシナート である。グリシンの窒素原子上にホスホノメチル基が置換した構造を持つ。イソプロピルアンモニウム塩ではないグリホサート自体の分子量は169.07で、CAS登録番号は1071-83-6である。
5-エノールピルビルシキミ酸-3-リン酸合成酵素阻害剤で、植物体内での5-エノールピルビルシキミ酸-3-リン酸 の合成を阻害し、ひいてはアミノ酸(トリプトファン、フェニルアラニン、チロシン)やこれらのアミノ酸を含むタンパク質や代謝産物の合成を阻害する(シキミ酸経路参照)。(茎葉)吸収移行型(接触した植物の全体を枯らす)で、ほとんどの植物にダメージを与える(非選択型)。
虚偽広告の判決
1996年、ニューヨークで、モンサントのグリホサート製品のラウンドアップ除草剤に関し、「ラウンドアップが生分解性で土壌に蓄積されません」「安全で人や環境への有害な影響を引き起こすことはありません」といった一連の安全性に関する広告が、虚偽かつ誤解を招く広告と判決された。
フランスの最高裁は、ラウンドアップの主な成分のグリホサートは、欧州連合(EU)が環境に危険だと分類しているため争われていた裁判で、生分解性できれいな土壌を残すという広告を虚偽広告と判決した。
映画『モンサントの不自然な食べもの』
農業大国フランスで150万人が観た、「食」、ひいては「いのち」をめぐる グローバル企業の実態を描いたドキュメンタリー
─日本も現在TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)という経済のグローバル化の岐路にあります。日本のTPP参加について、どうお考えですか?
TPPの問題は私が最近制作した番組の中のNAFTA(北米自由貿易協定)の問題が参考になるのではないでしょうか。メキシコを取材しましたが、本作で描いたように日本ではお米に相当するメキシコの主食トルティーヤとなる多様なトウモロコシが栽培されています。それが自由貿易ということでアメリカから工業化された農業で作られたトウモロコシが押し寄せ在来種が絶滅の危機にさらされています。しかも自由貿易というのは決して相互に平等なことではありません。 自由貿易という名のもとで、メキシコ政府はメキシコの小さな農家の助成金や支援をカットしなければならなかった。それなのにアメリカ政府は大規模なアメリカの農家に助成金を与えているのです。そのために北米の助成金を受けた遺伝子組み換えのトウモロコシがメキシコを席巻してしまったのです。私は食料に関しては、自由貿易という概念は成立しないと思っています。
北朝鮮
2013年7月27日、祖国解放戦争勝利記念館の開館式で、建国者の金日成像に敬礼している北朝鮮の女性兵士たち。この開館式は、朝鮮戦争休戦60周年記念の式典に先駆けて行われた祝賀行事の一環だ。
北朝鮮、ピョンヤン、祖国解放戦争勝利記念館
北朝鮮、ピョンヤン、祖国解放戦争勝利記念館
記念式典が行われている金日成スタジアムのフィールドで、整列して前方を見ている何千もの若者たち。女性たちはみな、色とりどりのチマチョゴリを着ている。
ピョンヤン、金日成スタジアムにて。
ピョンヤン、金日成スタジアムにて。
スタジアムの祝賀行事で行われたマスゲーム。大きな競技場の観客席で、学生たちが色紙を使って、軍服を着ている子どもと戦闘機の絵を表現した。このとき手前のフィールドでもマスゲームが行われており、アリランの音楽に合わせて集団体操やダンスが披露された。世界各国の要人も招待されており、国威発揚の最大の機会だ。
ピョンヤン、金日成スタジアムにて。
ピョンヤン、金日成スタジアムにて。
報道写真
報道写真とは、主として印刷媒体での報道に際して、報道内容を視覚的に伝えるために用いられる写真のことをいう。報道写真を撮影する写真家はフォトジャーナリスト(英: Photojournalist)と呼ばれる。
カテゴライズの仕方として、報道写真の場合特別であるのは、それが写された内容や様式に基づくのではなく、その用いられ方による、という点である。
しかし、まったく同じ写真であっても、新聞社のカメラマンが、報道目的で撮影したものであれば、結果的に、新聞等の印刷物で採用されなかったとしても、報道写真といえる。さらに、同じ写真を、たまたま通りかかった人が撮影した場合に、それを、個人的に持っている限りは報道写真とはいえないが、ある新聞記者が火事の写真を撮影した人がいるという話を聞きつけて、その写真を借りて新聞に掲載したら、その時点で報道写真と呼ばれることになる。
報道写真には、古くから次の2つの問題がある。
(1)報道写真の真実性の問題(報道写真をどのように使用するかという問題、撮影する場合に誇張はどこまで許されるのかという問題、「やらせ」の問題、報道写真に撮影された内容をどこまで信用できるのかという問題など)
(2)報道写真にまつわる権利(者)の問題(報道写真の使用の仕方を誰が決めるのかという問題、撮影者の意図と利用のされ方の乖離の問題、報道写真には撮影者を必ず明記すべきかという問題、撮影者の著作権・著作者人格権の問題など)
また、最近では、新たな問題として
工業都市ノリリスクの汚染
17万5300人の人口を抱えるノリリスクは、北極圏最大の都市のひとつだ。この都市の工場は、世界最大の冶金コンビナートと鉱山を維持し続けるというたったひとつの目的のため、存在している。このコンビナートはロシアのGDPの2パーセントを支える。
用語
日本語の「報道写真」にあたるような使い方をされている外国語はいくつかあるが、主たる用語は、おおむね、次のような使い分けがなされている。
「報道写真」と対照すべき最も一般的な用語であるが、「写真」ではなく「報道」の一規定と捉える点に大きな違いがある。(2)以下と比較して、新聞や雑誌などに掲載される、ある事実の瞬間を捕らえた、ニュース性(事件性・スクープ性)のある1枚ものの写真を意味することが多い。
なお、報道写真家にあたる言葉は、フォトジャーナリストである。また、「ジャーナリズムフォト」とはいわない。
上記 (1) に比べて、ある程度の枚数の写真によって、ある種のストーリーを語らせるような、作品を意味することが多い。ニュース性(事件性・スクープ性)がある場合も、ない場合もある。ある種の主張を含んでいる場合も、淡々と事実のみを伝える場合もある。
最近はほとんど使われないが、日本語では、以下の (3)(4) も含めて、「組写真」と呼ばれることもある。
そもそも「報道写真」という日本語は、この「フォト・ルポルタージュ」が分かりにくいと写真家の名取洋之助に言われて、写真評論家の伊奈信男が作った訳語である。上記 (2) と近い意味もあるが、より、現地報告的な色彩(記録性)が強い作品(探訪記のようなもの)を意味する。
ニュース性(事件性・スクープ性)はうすまり、一方で、主張よりも事実を前面に押し出す傾向が強いかもしれない。
(4) フォト・エッセイ (photo essay)
上記 (2) を、より厚く、深くしたような作品を意味することが多い。したがって、事件性が欠けることが多く、むしろ、社会的な問題を浮き彫りにしているような作品やある種の主張を含んでいる作品が多いと思われる。写真の枚数も、上記 (2)(3) よりも多くなることが予想され、新聞では、到底対応しきれないと予想される。
例えば、Life誌に掲載された、ユージン・スミスの「カントリー・ドクター」のような作品は、フォト・エッセイと呼ばれることが多い。