田原総一朗:「脱原発」を唱えるだけの風潮は危ない
復興ニッポン 1月20日(金)
2011年3月11日の東日本大震災と津波で起きた東京電力福島第一原子力発電所事故は深刻な事態になっている。科学技術の進歩や近代化に対して大きな疑問を投げかけた事故とも言える。
「原発はとんでもない代物だ」と報道するメディアの姿勢は一種のファッションのようだが、果たしてそれでいいのだろうか。
■「脱原発」と言っても、原発問題は片付かない
週刊誌の編集者によると、最近は「原発特集をすると部数が落ちる」という。それは原発批判がファッションになり、編集者が原発批判さえしていればよいという誌面づくりに甘えてきたせいではないか。
多くの週刊誌は、「原発事故はこんなに深刻だ」「放射能はこんなに怖い」と書き、これでもかとばかりに原発の特集や記事を連発してきた。読者、国民が求めているのは「では、どうしたらいいのか」という対策なのに、それに取り組む企画はほとんどない。今でも、原発・放射能の危険性をあおる記事ばかりが目立つ。
私は最近、『日本人は原発とどうつきあうべきか 新・原子力戦争』(PHP研究所)を出版した。この本では「脱原発と唱えるだけでは無責任だ」ということを書いた。
「脱原発」とさえ言えば、それで問題は片付くと思われている節がある。しかし、「脱原発」と言っても、原発問題は少しも解決できないのだ。
■使用済み核燃料の再処理問題などはどうするのか
日本には54基の原子炉があるが、すべての原発で使用済み核燃料が大量に一時貯蔵されている。使用済み核燃料は、いわば放射能の塊である。これをどうするのか。その問題はまったく片付いていない。
使用済み核燃料にはまだ使えるウランやプルトニウムが残っているため、再処理工場で再び燃料として取り出せば使用できる。この再処理を行うまでの間、安全に貯蔵しておく施設を中間貯蔵施設と呼び、青森県・六か所村に建設を進めている。
再処理を行って燃料として使えるウランやプルトニウムを回収した後には、高い放射性レベルの廃液が残る。これにガラスを混ぜて固め、ステンレス容器で密閉して厳重に管理する。このガラス固化体を作る技術を国産化しようとしているが、まだ完全には確立されていない。
また、仮にガラス固化体の技術が確立されても、それを封入したスチール容器をどこへ処分するのか。30~50年かけて冷却した後、300メートル以上の地下に最終処分するとしているが、その処分場所は見当がついていない。
■日本が目指した「核燃料サイクル」と「夢の原子炉」
そもそも原子力発電が盛んになったのは1973年以降のことだ。きっかけは73年に起きたオイルショックだ。当時日本のエネルギーの中心は石油だったが、オイルショックで原油価格が急騰し、そのうえ産油国である中東の国々がイスラエルの味方をしている国には原油を売らないと言ったためだ。
原油を100%外国に頼っている日本はその輸入を止められたらどうにもならない。そこで原子力発電を増やしていくことにしたのである。原子力発電の燃料であるウランも輸入だが、ウランは長く保管できるので輸入に伴うリスクは原油に比べて少ない。
石油の埋蔵量が50年と言われるように、ウランの埋蔵量も80~90年とされる。ウランもやがてはなくなるのだ。それなのに、なぜ日本は原子力発電にシフトしたか。
その理由は、「核燃料サイクル」と「高速増殖炉」の開発にある。経済産業省(旧通産省)や東京電力はじめ電力会社は、これらを実現して原子力発電を日本のエネルギー政策の中心にしていこうと考えた。
高速増殖炉では、高速の中性子をプルトニウムにぶつけて核分裂を起こし、そこから生じた中性子をプルトニウムとウランにそれぞれぶつける。すると、ウランはプルトニウムに生まれ変わり、プルトニウムが「増殖」して連鎖反応を起こす仕組みになっている。プルトニウムは減らずに増えるのだから、高速増殖炉はまさに「夢の原子炉」と呼ばれた。日本は国家プロジェクトとして高速増殖炉「もんじゅ」の開発を始めた。
■高速増殖炉がダメならプルサーマル方式
ところが、もんじゅの開発には問題が山積していた。もんじゅは1995年に冷却材として使用しているナトリウム漏えいによる火災事故を起こし、その後も炉内中継装置落下事故などにより稼動できない状態が今も続いている。
学者の間では「もんじゅはダメだろう」という声が強まり、2012年度の政府予算案ではもんじゅの予算が削減された。
しかしその一方で、経産省や細野豪志原発事故担当大臣は、「高速増殖炉はやはり研究開発を続けなくてはならないだろう」と言っている。もんじゅはダメだが、別の高速増殖炉の開発は必要だというのである。
ただ高速増殖炉が難しければ、ブルサーマル方式を推進したいと経産省や東電は考えている。プルサーマルとは、ウランとプルトニウムによる混合酸化物燃料(MOX燃料)を利用するものだ。つまり、再処理したプルトニウムを通常の原子炉でもう一度燃料として使う方式で、高速増殖炉が実現できなくても、その代わりを一部果たすことができるというわけだ。
結局、問題は何かというと、高速増殖炉が今後実用化されるかどうかだ。それによって原子力発電の将来は大きく変わってくる。
■今夏までに見直すエネルギー政策の行方は?
「脱原発」になれば、高速増殖炉も核燃料サイクルも放り出されてしまい、使用済み核燃料の最終処分も未解決のままになってしまう恐れがある。
脱原発派は高速増殖炉を否定するが、しかし科学技術というものは「夢」がないと進歩しない。経済学者のシュンペーターが言うように、イノベーション(革新)がなければ経済は発展しない。脱原発の一番の問題は、「夢」を全部消してしまうことだ。
政府・民主党は今夏までにエネルギー政策の見直しを行う。枝野幸男経産大臣、細野豪志原発担当大臣、古川元久国家戦略担当大臣、仙谷由人政調会長代行が中心となって作業を進める。
そこで検討されているシナリオはこうだ。10年後の日本のエネルギー構成は、天然ガスを中心とした化石燃料40%、原子力20%、自然エネルギー20%、そして省エネ技術で20%をカバーとする――。
去年の夏に電力使用制限令にもとづいて行われた節電が東電管内で18%だったが、それを上回る20%の節電を省エネ技術によって全国的に実現させるという。そして自然エネルギーについては、現在の10%(そのうち水力が大部分を占める)から20%にするため、太陽光と風力、地熱のいずれも現在の10数倍に高めなければならないのである。
■脱原発の「イズム」の段階はもう終った
こうした難しい現実を前にして、「原発は危ない」とばかり繰り返しているのは一種のファッションに過ぎない。今もっとも考えるべき問題は「今後のエネルギーをどうするか」である。
新聞も雑誌も「脱原発というファッション」から一歩も踏み出さずにいる。これでは、読者は記事を読むはずがない。
脱原発は一種の「イズム」である。だが、その段階は終わった。現実にどう対応していくのか。それをまともに考えなくてはならない。
今の日本では、現実にどうするかを考えることがタブー視される。原発について現実的に考えると、「原発推進派」と言われ、「政府に癒着した考えだ」とされる空気がある。
しかし、それは違う。原発が抱える現実の問題を今こそ考えるときである。
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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120120-00000000-fukkou-bus_all
「原発はとんでもない代物だ」と報道するメディアの姿勢は一種のファッションのようだが、果たしてそれでいいのだろうか。
■「脱原発」と言っても、原発問題は片付かない
週刊誌の編集者によると、最近は「原発特集をすると部数が落ちる」という。それは原発批判がファッションになり、編集者が原発批判さえしていればよいという誌面づくりに甘えてきたせいではないか。
多くの週刊誌は、「原発事故はこんなに深刻だ」「放射能はこんなに怖い」と書き、これでもかとばかりに原発の特集や記事を連発してきた。読者、国民が求めているのは「では、どうしたらいいのか」という対策なのに、それに取り組む企画はほとんどない。今でも、原発・放射能の危険性をあおる記事ばかりが目立つ。
私は最近、『日本人は原発とどうつきあうべきか 新・原子力戦争』(PHP研究所)を出版した。この本では「脱原発と唱えるだけでは無責任だ」ということを書いた。
「脱原発」とさえ言えば、それで問題は片付くと思われている節がある。しかし、「脱原発」と言っても、原発問題は少しも解決できないのだ。
■使用済み核燃料の再処理問題などはどうするのか
日本には54基の原子炉があるが、すべての原発で使用済み核燃料が大量に一時貯蔵されている。使用済み核燃料は、いわば放射能の塊である。これをどうするのか。その問題はまったく片付いていない。
使用済み核燃料にはまだ使えるウランやプルトニウムが残っているため、再処理工場で再び燃料として取り出せば使用できる。この再処理を行うまでの間、安全に貯蔵しておく施設を中間貯蔵施設と呼び、青森県・六か所村に建設を進めている。
再処理を行って燃料として使えるウランやプルトニウムを回収した後には、高い放射性レベルの廃液が残る。これにガラスを混ぜて固め、ステンレス容器で密閉して厳重に管理する。このガラス固化体を作る技術を国産化しようとしているが、まだ完全には確立されていない。
また、仮にガラス固化体の技術が確立されても、それを封入したスチール容器をどこへ処分するのか。30~50年かけて冷却した後、300メートル以上の地下に最終処分するとしているが、その処分場所は見当がついていない。
■日本が目指した「核燃料サイクル」と「夢の原子炉」
そもそも原子力発電が盛んになったのは1973年以降のことだ。きっかけは73年に起きたオイルショックだ。当時日本のエネルギーの中心は石油だったが、オイルショックで原油価格が急騰し、そのうえ産油国である中東の国々がイスラエルの味方をしている国には原油を売らないと言ったためだ。
原油を100%外国に頼っている日本はその輸入を止められたらどうにもならない。そこで原子力発電を増やしていくことにしたのである。原子力発電の燃料であるウランも輸入だが、ウランは長く保管できるので輸入に伴うリスクは原油に比べて少ない。
石油の埋蔵量が50年と言われるように、ウランの埋蔵量も80~90年とされる。ウランもやがてはなくなるのだ。それなのに、なぜ日本は原子力発電にシフトしたか。
その理由は、「核燃料サイクル」と「高速増殖炉」の開発にある。経済産業省(旧通産省)や東京電力はじめ電力会社は、これらを実現して原子力発電を日本のエネルギー政策の中心にしていこうと考えた。
高速増殖炉では、高速の中性子をプルトニウムにぶつけて核分裂を起こし、そこから生じた中性子をプルトニウムとウランにそれぞれぶつける。すると、ウランはプルトニウムに生まれ変わり、プルトニウムが「増殖」して連鎖反応を起こす仕組みになっている。プルトニウムは減らずに増えるのだから、高速増殖炉はまさに「夢の原子炉」と呼ばれた。日本は国家プロジェクトとして高速増殖炉「もんじゅ」の開発を始めた。
■高速増殖炉がダメならプルサーマル方式
ところが、もんじゅの開発には問題が山積していた。もんじゅは1995年に冷却材として使用しているナトリウム漏えいによる火災事故を起こし、その後も炉内中継装置落下事故などにより稼動できない状態が今も続いている。
学者の間では「もんじゅはダメだろう」という声が強まり、2012年度の政府予算案ではもんじゅの予算が削減された。
しかしその一方で、経産省や細野豪志原発事故担当大臣は、「高速増殖炉はやはり研究開発を続けなくてはならないだろう」と言っている。もんじゅはダメだが、別の高速増殖炉の開発は必要だというのである。
ただ高速増殖炉が難しければ、ブルサーマル方式を推進したいと経産省や東電は考えている。プルサーマルとは、ウランとプルトニウムによる混合酸化物燃料(MOX燃料)を利用するものだ。つまり、再処理したプルトニウムを通常の原子炉でもう一度燃料として使う方式で、高速増殖炉が実現できなくても、その代わりを一部果たすことができるというわけだ。
結局、問題は何かというと、高速増殖炉が今後実用化されるかどうかだ。それによって原子力発電の将来は大きく変わってくる。
■今夏までに見直すエネルギー政策の行方は?
「脱原発」になれば、高速増殖炉も核燃料サイクルも放り出されてしまい、使用済み核燃料の最終処分も未解決のままになってしまう恐れがある。
脱原発派は高速増殖炉を否定するが、しかし科学技術というものは「夢」がないと進歩しない。経済学者のシュンペーターが言うように、イノベーション(革新)がなければ経済は発展しない。脱原発の一番の問題は、「夢」を全部消してしまうことだ。
政府・民主党は今夏までにエネルギー政策の見直しを行う。枝野幸男経産大臣、細野豪志原発担当大臣、古川元久国家戦略担当大臣、仙谷由人政調会長代行が中心となって作業を進める。
そこで検討されているシナリオはこうだ。10年後の日本のエネルギー構成は、天然ガスを中心とした化石燃料40%、原子力20%、自然エネルギー20%、そして省エネ技術で20%をカバーとする――。
去年の夏に電力使用制限令にもとづいて行われた節電が東電管内で18%だったが、それを上回る20%の節電を省エネ技術によって全国的に実現させるという。そして自然エネルギーについては、現在の10%(そのうち水力が大部分を占める)から20%にするため、太陽光と風力、地熱のいずれも現在の10数倍に高めなければならないのである。
■脱原発の「イズム」の段階はもう終った
こうした難しい現実を前にして、「原発は危ない」とばかり繰り返しているのは一種のファッションに過ぎない。今もっとも考えるべき問題は「今後のエネルギーをどうするか」である。
新聞も雑誌も「脱原発というファッション」から一歩も踏み出さずにいる。これでは、読者は記事を読むはずがない。
脱原発は一種の「イズム」である。だが、その段階は終わった。現実にどう対応していくのか。それをまともに考えなくてはならない。
今の日本では、現実にどうするかを考えることがタブー視される。原発について現実的に考えると、「原発推進派」と言われ、「政府に癒着した考えだ」とされる空気がある。
しかし、それは違う。原発が抱える現実の問題を今こそ考えるときである。
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