「竹島の日」記念行事、竹島・北方領土返還要求運動大会の参加者を募集します。
平成24年2月22日(水)に、第7回「竹島の日」記念行事、竹島・北方領土返還要求運動大会を開催します。募集の内容については、こちら(参加者募集案内)をご覧ください。(H24.1.20更新)
1.開催日時等
(1)日 時 平成24年2月22日(水) 午後1時30分から4時10分まで
(2)場 所 松江市殿町158 島根県民会館中ホール
(3)主 催 島根県、島根県議会、竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議
(4)募集人数 80人
2.内容
(1)記念式典 (13:30〜14:30)
主催者・来賓の挨拶、感謝状の授与等
(2)「竹島問題を語る」 (14:40〜16:10)
テーマ 「竹島問題、過去から現在、そして未来へ」
登壇者 下條正男氏(拓殖大学国際学部教授、島根県竹島問題研究会座長)、ジャーナリストなど(調整中)
竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議啓発活動
(1)県民大会などの啓発事業を実施しています。
- 平成15年11月「竹島北方領土返還要求運動県民大会」の開催
- 平成17年3月島根県告示100周年記念行事
「領土問題講演会」の開催 - 平成18年2月竹島の日記念行事(PDF 6.67MB)
「竹島の日の集い」、
「竹島を考えるフォーラム」の開催 など
竹島問題研究会 座長 下條 正男
竹島問題研究会 委員 谷口 博繁
国立国会図書館 参事 塚本 孝
竹島問題研究会 委員 舩杉 力修(PDF 6.66MB)
- 平成19年2月竹島の日記念行事「領土問題を考えるフォーラム」「竹島問題研究会からの報告」(PDF 10.9MB)
「絵図・地図にみる竹島・鬱陵島の歴史」 杉原 隆(PDF 6.80MB)
「二年間を振り返って」 下條 正男(PDF 1.24MB)
「絵図・地図にみる竹島・鬱陵島」 舩杉 力修(資料提供) (PDF 2.87MB) - 平成20年2月竹島の日記念行事
- 平成21年2月竹島の日記念行事
(2)啓発資料「竹島 かえれ島と海」の作成
(3)研修会・パネル展の開催
最近の主な動き
■第7回「竹島の日」記念 竹島資料室「特別展示」の開催
平成24年2月22日、第7回目の「竹島の日」を迎えます。その日を記念して、竹島資料室「特別展示」を開催します。
是非、ご覧いただきますようご案内します。
テーマ : 「李承晩ラインと竹島」
戦後、韓国に拿捕された日本漁船は326隻、抑留された日本人は3,904人にも上ります。その大半は李承晩ライン宣言以後のことであり、被拿捕漁船乗組員やその家族、漁業関係者に大きな苦痛を与えました。また、この問題は日韓会談(国交正常化交渉)をはじめとする日韓関係にも大きな影響をもたらしました。そして、漁業問題を深刻化させ、また竹島問題を表面化させた李承晩ラインに焦点をあてた企画です。
期間 : 平成24年1月18日(水) − 2月29日(水)
これまで2月1日から28日の間、開催していましたが、今回は1月18日が竹島問題の発端となった李承晩ライン宣言から60周年を迎えることから、開始時期を前倒ししています。
(開室時間) 午前9時 − 午後5時 (休室日) 土・日曜日、祝日
李承晩ライン(りしょうばんライン、이승만 라인/李承晩 라인)は、1952年(昭和27年)1月18日、大韓民国(韓国)大統領・李承晩の不法な海洋主権宣言に基づき、韓国政府が一方的に設定した軍事境界線。韓国では「平和線(평화선)」と宣言され誤った認識を韓国人に与ええている。
概要
海洋資源の保護のため、韓国付近の公海での漁業を韓国籍以外の漁船で行うことを禁止したものである。これに違反したとされた漁船は韓国側による臨検・拿捕・接収の対象となり、乗組員が銃撃され殺害される事件が起こった(第一大邦丸事件など)。
日米両国は「国際法上の慣例を無視した措置」として強く抗議した。日韓漁業協定の成立(1965年)によりラインが廃止されるまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えた。抑留者は6畳ほどの部屋に30人も押し込まれるなどの劣悪な抑留生活を強いられ、抑留期間も数年間におよんだ。
李承晩ラインの問題を解決するにあたり、日本政府は韓国政府の要求に応じて、日本人抑留者の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人を放免し、在留特別許可を与えた。一方、韓国政府は日本人抑留者の返還には同意したが、日本政府が摘発した韓国人密入国者の強制送還は拒絶し、日本国内に解放するよう要求した。
背景
韓国は第二次世界大戦の講和条約であるサンフランシスコ平和条約に戦勝国として参加することを希望していたが、連合国が大韓民国臨時政府を承認した事実がなく、イギリスやアメリカによって拒否された。また、対馬、波浪島、竹島を自国領土であると主張していたが、対馬が日本領であり、波浪島は実在しなかった。
韓国は日本が平和条約で放棄した領土に波浪島・竹島を追加すること及びマッカーサー・ラインの継続を要望したが、アメリカは1951年8月10日に「ラスク書簡」にて、韓国の要求を拒否した。「ラスク書簡」の約1ヶ月後の1951年9月8日にサンフランシスコ平和条約は調印され、翌1952年4月28日に条約が発効される手筈となっていた。
この時代に背景のもと、李承晩は1952年1月18日に、突如として李承晩ラインの宣言を行い、多くの日本人漁民を拿捕し殺傷した。
韓国の主張とアメリカの抗議
韓国は1952年1月27日に李承晩宣言韓国政府声明を発表し李承晩ラインを国際法において確立されたものとした。その主要な主張は以下のとおりである。
- トルーマン宣言、メキシコ、アルゼンチン、チリ、ペルー及びコスタリカ諸国政府による宣言と同性格である
- マッカーサーラインは有効に存続している
- 接続水域の地位は国際法上確立しており、接続水域において漁業の絶対的自由は認められない
しかし、李承晩ラインがトルーマン宣言と性格が異なることはアメリカによる南米諸国の宣言への抗議でも明らかであり、ラスク書簡によりマッカーサーラインの継続はアメリカから拒否されている。韓国政府は60海里に及ぶ漁業独占権を接続水域として整理しているが、当時のアメリカ、イギリスが主張する接続水域は12海里(22km)であり、フランスは20kmであった。また、接続水域とは、関税や検疫のために限定された管轄権を行使できる水域を示しており、漁業独占のための水域ではなかった。
1954年に作成された米国機密文書・ヴァン・フリート特命報告書によれば、アメリカ政府は竹島問題をサンフランシスコ平和条約により日本領として残したこと、李承晩ラインの一方的な宣言が違法であることを韓国政府に伝達している。
竹島問題パンフレット・冊子 プリントアウトしてご活用下さい。
概要版パンフレット[Web版:2008年9月改訂]
竹島問題啓発冊子[PDF版:2006年2月22日発行]
Web版はこちら↓
「竹島の日」条例制定5周年記念誌[2010年2月発行]
外務省作成竹島啓発パンフレット「竹島 竹島問題を理解するための10のポイント)
画像をクリックすると、パンフレットの内容(PDF版)がご覧いただけます。(外務省ホームページにリンクします。) 外務省ホームページの「竹島」ページはこちら
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