NHK「生活保護費3兆円」に意見した教授の勝手な言い分から考えてみる
9月16日、NHK番組「生活保護、3兆円の衝撃」があった。その中に、学習院大学教授・鈴木亘を取材し、その意見の一部が放映された。鈴木は、選択された放映部部が自分の真意ではないと言って、今後NHKの番組には出ないといって怒った。それが、ライブドアの記事に載っていた。
彼の怒りに耳を傾けるべきか、更に何か考えることはないか考えてみよう。
1、鈴木の意見は、彼が怒るほど偏向していたか
私は、考えてみた。彼は、この番組のために1時間半も喋ったのに、その内の1分程度が放映されたと言う。それは、自分の本意でない部分で、「稼働能力層(←若年者)を生活保護に入れるべきではない(→そんな奴らに保護を与えるから、ますます働かなくなってしまう)」、「指示義務(←労働)で自立支援プログラムへの参加を強制すべき(→強制労働させよ)」の部分だという。
鈴木は、確かに長い取材時間の中でそういう事も喋ったが、それと共に、そう回避する話もしたというから、その部分も放映してくれなければ公平じゃないという。
私も件の番組を見ていたが、正に鈴木は「生活保護を縮減すべし」の代表のように描かれ、これほど極端な意見をいうものかと驚いた次第だ。しかも、テレビの画面の影響もあるかも知れないが、彼は真っ赤な顔をして喋っていた。余にも激しい喋り方だったから、何気なくテレビに電源を入れたのだが、頭から離れなくなっていた。
なら、振返って、NHKは、鈴木を取材する時、彼を生贄にするために1時間半喋らせ、不本意な1分が出てくるのを待って、それだけを放映したのか。私の推測では、いや、確実にNHKは、鈴木が「反生活保護主義者」だと言うことを知っていて取材したのじゃないか。取材は、誰でもいいというわけではない。それでよければ、私でもいいはずだ。私は、よくNHKに意見している。やはり、意見の対立が予想されるから、予め出演者が両極になるように調整して意見を聞いた筈だ。そうでなければ、その番組その物が偏向番組になってしまう。その意味では、鈴木の弁解を聞く必要はない。
2、今や、底辺生活者費用に3兆円の血税が
私も、驚いた。1974年から日本の凋落が始って40年、その当時でも公的扶助費はあったが、それが3兆円にまで膨らんでいたとは、という驚き。大阪の保護費は11万円弱だという。だから、これから単純計算で、2800万人(←3兆円÷11万)の人が最低限の生活でもがいている勘定になるが、これは国民の22%になる。
この数値は、少し変だ。この数値は余にも多すぎる。最も保護者の多い大阪でも5%が保護を受けていて、全国的にはその半分かそれよりいくらか多い程度だから、保護者は400万人程度になるはず。いや、実数は、200万人(←統計値)くらいらしい。国家予算が正しければ、実際の保護費の10倍以上がその他費用として使われている。これも驚きだ。
この点は、もう少し調査しないと正確なことは言えない。だけど、いずれにしても驚きばかりだ。
3、貧困商務のための国家予算ならトンでもない
大阪に来れば、保護費がもらえる。これは、公知の事実らしい。近隣の自治体からは、大阪行を斡旋しているという(←これは、別の機会の放映)。その噂を聞きつけて大阪に行く。どうしていいか分らず、公園のベンチに座っていると、「保護勧誘師」が近づいてくる。こうして、生活保護手続が始る。いや、直接、保護手続を始める者もいる。まあ、いずれにしても、住所が定らないと正規の手続ができないので、広い意味で「勧誘師」の世話が実質必要になる。
そうすると、その後はどうなるか。保護費11万円の内3万円だけは本人に与えられるが、その他の部分は「勧誘師グループ」の収入となる。貧困者が仕事が見つかるまでということで保護費をもらう訳だが、この不景気、仕事なんかあるわけがない。結局、暇をもてあまして、その3万円ですら博打で使うことになる。それなら、食費はどうなるのか。賭場に行くと、食事だけはいくらでも出してもらえるという環境。それなら、もう、安心して賭場がよい。
貧困者に聞いてみると、それでも、路上生活をしているよりまだましだという。更に、悪いことが生じる。生活保護者の医療費は只。そこで、考え出した者がいる。病院からどんどん薬をもらってくるのだ。病院は、その事が分ってか、過剰処方すらするという。その薬が、裏に回されるという状況にある。
番組を見ていると、生活保護3兆円産業は腹の立つことばかりだ。
で、鈴木の言い分も、少しは分る。若者の生活保護に何らかの処置をすべきなのは当然なのだ。
4、生活保護者は、農村に集めよ
なら、どんな処置をすべきか。政府が、今の産業空洞化政策を続ける以上、年50万人速で日本から職場がなくなるのは止めることができない。いや、政府や、「さあ、職場をふやそう」とかけ声だけはかけているが、今の日本は、企業は、外国に夜逃げすれば法人税が少なくなり、向うの労務費は日本の10分の1以下。そして、そこで作ってきた製品は、安値で輸入できるので、日本では円高還元大売出しができるほど儲るというほくほく振り。かけ声とは逆の現象が起きていることに気づかねばならない。
ここで、注意せねばならないことは、なら、若者は都会に行っても仕事をしたがらないのは何故か、だ。
都会には自然がないから、人の心が渇いてしまう。私は、若者は3Kの仕事をするくらいなら、自宅でゲームでもやっていた方がましだと、家から出てこない。外に出ても心が癒されないからだ。
若者を救うには、今の日本の産業の空洞化を止めることが必須だが、よく経済論客は、それには、国家は、減る以上に新しい産業をつくる必要があるという。本当に、それができるのか。日本が高度成長期の頃は、日本の円は今の4.5分の1くらいだったから、いくらでも輸出産業が人を吸収していった。そんな時代なら、減る以上に仕事を増やせとの理論も理由があった。だが、産業が高度化するとは、労力を減らすことで、そんなことは理論上有り得ない。
となれば、政府は、若者救済の新たな政策を考えねばならない。私は、その仕事場とは、自然に親しめる職場を創るのがいいと考える。それならば、若者は、自然と親しみ、労働を惜しまないだろう。今、農業も林業も荒れに荒れている。余剰労働力が必然ならば、今こそ、政府は、財政出動して農村開発を進めるのが理に適っていると考える。農村の人口が増えれば、日本の人口減少にも歯止めがかかる。いいことばかりだ。
今日は、ここまでにしておく。