『周易について』
先日、『周易』の六十四卦爻辞の解釈の書直しが終わりまして、キズは少なくなったと思います。『周易』への理解もいっそう深くなり、ここで三つの部分(『周易』の生立ち、『周易』の読み方、『周易』(易経)の使い方)にまとめて言いたいと思います。
『周易』の生立ち:
人は不幸苦境に陥ったら、その運命の出口それとも曲がり角を探り始める。
-1076年に、周の文王(名は姫昌)が殷の紂王にユウ里(ユウ=羊+久)に拘束された。-1070年釈放までの七年間(足かけ算)に退屈を紛らすために、『易』を演算して、断片的な文字を卦爻の行間に綴り書いた。これは『周易』の最初である。
『繋辞下』に云う、「易の興や、それ殷の末世、周の盛徳に当るか、文王と紂との事に当るか。」
司馬遷も任安への手紙に「文王拘して周易を演す」と言った。
十数年後のー1058年、周の武王(名は姫発、姫昌の子)が紂王をほろぼして、周という王朝時代を開いた。その国祚が810年に長く流れて、-249年秦国の強兵に終焉してしまった。
-213年、天下を統一した八年後の秦政府が「挟書律」を施行して、民間の医薬・卜筮・農業の書以外の書物を所蔵することを禁じ、いわゆる「焚書」を行った。
歴史は過ぎたものを記録するがごとく、『周易』は周王朝滅亡(とくにー221年秦統一)のあとから、焚書までのあいだに成立したと思われる。
あの最後の編集者は、文王からの無数の書き手を経た六十四卦の卦爻辞をもう一度整理して、また焼かれる災厄を避けるために、曖昧的言葉をつかって、ほぼ現存の様子をなした。おそらく、あの時点にも、『周易』はすでに解らない書物であったかもしれない。
『周易』の上下経の両部分が西周と東周二つの大きな時代区切りを示し、{離}{咸}{既済}{未済}などを以て重要な歴史折節を画したので、周代の歩みが薄くても見える。
上経30卦*10年/卦=300年
下経34卦*15年/卦=510年
300+510=810年
-212年、秦の思想統御がもっと厳しくなり、数百人の儒者(学者)を埋め殺した。(坑儒)
-206年、楚の覇王項羽が咸陽に入り、宮殿全焼、秦政府に所蔵した書籍も全滅。
この一連の圧政・兵火のなかに、『周易』を解った学者および『周易』の原意が徹底的に灰に帰した。-191年、漢の恵帝が「挟書律」を解禁したが、もう死んでしまった『周易』の原意はよみがえることができなかった。
時間が続いて二千二百年以上に経って、歴代の学者たちはさまざまな努力をしたが、『周易』原意の還元作業はやはり結果がなかった。
謎の文字ははたして解読できるか?読める方法はほんとうにあるか?
『周易』の読み方:
解らない文字を読むのは、辞書が欠くべからざるものである。
『周易』と同時代の『尚書』、『詩経』、『春秋』三伝(公羊伝、穀梁伝、左伝)、『三礼』(周礼、儀礼、礼記)、諸子の本、さらに『史記』『竹書紀年』などの歴史書は、みな『周易』の辞書また百科全書である。『周易』自身も所々にみずから注脚をして、「経を以て経を解す」ことである。ある角度から見れば、『周易』が解らないのは、読書の量が足りないと言えよう。
しかし、人生短い、汗牛充棟で『周易』の難しさに劣らない書物をぜんぶ読み上げる時間は無い。どちらが有用、どちらが無用、選択は知識知恵の水準にたよるといえども、たまに運命的な出会いも必要とする。
神様が人間の手を借りてものを作ろうとすれば、必ずある方法でこの人を鍛錬して、適当なときに助けをしたり、進路を悟らせたりするのだ。「天」がおられずんば、人間はなにもできず。
『周易』は本文(卦爻辞)のほか、十翼(彖伝上下、象伝上下、繋辞上下、文言伝、説卦伝、序卦伝、雑卦伝)との『周易』をたすけて付く十篇の論文がある。
ところが、この十翼はそれぞれの学者が『周易』への個人的雑感にすぎなくて、『周易』本体への解釈ではあらず。参考する価値有るが、これをたどって『周易』を会得しようとするのは、かげを見て顔を描くことと同じく不能である。
『周易』の使い方:
『周易』はよく占卜や陰陽道に使われる。そんな神秘的術は師伝家伝がないと、解るわけが無い。
スミレ荘は独学してごく普通な人間で、知らぬことを言わぬことにしなければいけない、自分に信用させることができるものだけを述べるべき。
岼廖廚藁顱覆海茲漾砲任△襦
「来年は、夏暑い、冬寒い」という「予言」はまったくつまらんことだが、事実道理はこのまま。
こよみは時間の周期を表せば、「易」も同じ。起点・振幅・長さなどの要素が見つかったら、法則が出る。「易」の予測性は周期法則によってはたらく。
『易史伝』にの「正周方復」四つの輪はこの原則に作ったが、これほど限らなく、きっとほかの周期法則も存在する。
◆惻廖戮麓紊亮匆饑験茲梁進未魑録したので、古人が物事に対する遣り方や経験などは時代遅れになったかもしれないが、けっこう現実に活かせるところも多いそうだ。
二千三千年の長年月には、生存環境また科学技術が進歩したものの、人類の心理欲望は根本的な変りは見えない。原意(真義)が読めるならば、『周易』がまた使えると思う。
『周易』の六十四卦の内容をあらまし分ければ、十の類別にあたる。
政治(19):屯、益、随、明夷、革、臨、履、泰、大畜、大有、乾、鼎、井、蠱、渙、咸、否、観、坤
経済(3):頤、賁、恒
軍事(4):離、同人、夬、師
法律(2):噬「口+盍」、訟
制度(4):損、艮、晋、比
祭祀(4):復、豊、升、萃
国際関係(8):中孚、帰妹、小畜、「女+后」、解、蒙、小過、謙
自然災害(3):震、需、豫
時勢変化(4):既済、大壮、巽、未済
人間生活(13):無妄、家人、節、「目+癸」、兌、大過、困、坎、遯、旅、漸、蹇、剥
『易』の勉強は終わりが無い道でありますが、いまの解釈にすこし満足しております。一人のいのちに載せる使命もだいたい果たしたと思います。これからの生命は自分のものになり、個人にとってもと肝心な作業があるので、『易』のことを二の次にするつもりでございます。
今後、誤りや不届きなところがわかり次第、また修正します。
皆さんのお教えをお待ちしております。
先日、『周易』の六十四卦爻辞の解釈の書直しが終わりまして、キズは少なくなったと思います。『周易』への理解もいっそう深くなり、ここで三つの部分(『周易』の生立ち、『周易』の読み方、『周易』(易経)の使い方)にまとめて言いたいと思います。
『周易』の生立ち:
人は不幸苦境に陥ったら、その運命の出口それとも曲がり角を探り始める。
-1076年に、周の文王(名は姫昌)が殷の紂王にユウ里(ユウ=羊+久)に拘束された。-1070年釈放までの七年間(足かけ算)に退屈を紛らすために、『易』を演算して、断片的な文字を卦爻の行間に綴り書いた。これは『周易』の最初である。
『繋辞下』に云う、「易の興や、それ殷の末世、周の盛徳に当るか、文王と紂との事に当るか。」
司馬遷も任安への手紙に「文王拘して周易を演す」と言った。
十数年後のー1058年、周の武王(名は姫発、姫昌の子)が紂王をほろぼして、周という王朝時代を開いた。その国祚が810年に長く流れて、-249年秦国の強兵に終焉してしまった。
-213年、天下を統一した八年後の秦政府が「挟書律」を施行して、民間の医薬・卜筮・農業の書以外の書物を所蔵することを禁じ、いわゆる「焚書」を行った。
歴史は過ぎたものを記録するがごとく、『周易』は周王朝滅亡(とくにー221年秦統一)のあとから、焚書までのあいだに成立したと思われる。
あの最後の編集者は、文王からの無数の書き手を経た六十四卦の卦爻辞をもう一度整理して、また焼かれる災厄を避けるために、曖昧的言葉をつかって、ほぼ現存の様子をなした。おそらく、あの時点にも、『周易』はすでに解らない書物であったかもしれない。
『周易』の上下経の両部分が西周と東周二つの大きな時代区切りを示し、{離}{咸}{既済}{未済}などを以て重要な歴史折節を画したので、周代の歩みが薄くても見える。
上経30卦*10年/卦=300年
下経34卦*15年/卦=510年
300+510=810年
-212年、秦の思想統御がもっと厳しくなり、数百人の儒者(学者)を埋め殺した。(坑儒)
-206年、楚の覇王項羽が咸陽に入り、宮殿全焼、秦政府に所蔵した書籍も全滅。
この一連の圧政・兵火のなかに、『周易』を解った学者および『周易』の原意が徹底的に灰に帰した。-191年、漢の恵帝が「挟書律」を解禁したが、もう死んでしまった『周易』の原意はよみがえることができなかった。
時間が続いて二千二百年以上に経って、歴代の学者たちはさまざまな努力をしたが、『周易』原意の還元作業はやはり結果がなかった。
謎の文字ははたして解読できるか?読める方法はほんとうにあるか?
『周易』の読み方:
解らない文字を読むのは、辞書が欠くべからざるものである。
『周易』と同時代の『尚書』、『詩経』、『春秋』三伝(公羊伝、穀梁伝、左伝)、『三礼』(周礼、儀礼、礼記)、諸子の本、さらに『史記』『竹書紀年』などの歴史書は、みな『周易』の辞書また百科全書である。『周易』自身も所々にみずから注脚をして、「経を以て経を解す」ことである。ある角度から見れば、『周易』が解らないのは、読書の量が足りないと言えよう。
しかし、人生短い、汗牛充棟で『周易』の難しさに劣らない書物をぜんぶ読み上げる時間は無い。どちらが有用、どちらが無用、選択は知識知恵の水準にたよるといえども、たまに運命的な出会いも必要とする。
神様が人間の手を借りてものを作ろうとすれば、必ずある方法でこの人を鍛錬して、適当なときに助けをしたり、進路を悟らせたりするのだ。「天」がおられずんば、人間はなにもできず。
『周易』は本文(卦爻辞)のほか、十翼(彖伝上下、象伝上下、繋辞上下、文言伝、説卦伝、序卦伝、雑卦伝)との『周易』をたすけて付く十篇の論文がある。
ところが、この十翼はそれぞれの学者が『周易』への個人的雑感にすぎなくて、『周易』本体への解釈ではあらず。参考する価値有るが、これをたどって『周易』を会得しようとするのは、かげを見て顔を描くことと同じく不能である。
『周易』の使い方:
『周易』はよく占卜や陰陽道に使われる。そんな神秘的術は師伝家伝がないと、解るわけが無い。
スミレ荘は独学してごく普通な人間で、知らぬことを言わぬことにしなければいけない、自分に信用させることができるものだけを述べるべき。
岼廖廚藁顱覆海茲漾砲任△襦
「来年は、夏暑い、冬寒い」という「予言」はまったくつまらんことだが、事実道理はこのまま。
こよみは時間の周期を表せば、「易」も同じ。起点・振幅・長さなどの要素が見つかったら、法則が出る。「易」の予測性は周期法則によってはたらく。
『易史伝』にの「正周方復」四つの輪はこの原則に作ったが、これほど限らなく、きっとほかの周期法則も存在する。
◆惻廖戮麓紊亮匆饑験茲梁進未魑録したので、古人が物事に対する遣り方や経験などは時代遅れになったかもしれないが、けっこう現実に活かせるところも多いそうだ。
二千三千年の長年月には、生存環境また科学技術が進歩したものの、人類の心理欲望は根本的な変りは見えない。原意(真義)が読めるならば、『周易』がまた使えると思う。
『周易』の六十四卦の内容をあらまし分ければ、十の類別にあたる。
政治(19):屯、益、随、明夷、革、臨、履、泰、大畜、大有、乾、鼎、井、蠱、渙、咸、否、観、坤
経済(3):頤、賁、恒
軍事(4):離、同人、夬、師
法律(2):噬「口+盍」、訟
制度(4):損、艮、晋、比
祭祀(4):復、豊、升、萃
国際関係(8):中孚、帰妹、小畜、「女+后」、解、蒙、小過、謙
自然災害(3):震、需、豫
時勢変化(4):既済、大壮、巽、未済
人間生活(13):無妄、家人、節、「目+癸」、兌、大過、困、坎、遯、旅、漸、蹇、剥
『易』の勉強は終わりが無い道でありますが、いまの解釈にすこし満足しております。一人のいのちに載せる使命もだいたい果たしたと思います。これからの生命は自分のものになり、個人にとってもと肝心な作業があるので、『易』のことを二の次にするつもりでございます。
今後、誤りや不届きなところがわかり次第、また修正します。
皆さんのお教えをお待ちしております。