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​平和ボケから目覚めよ日本人

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中国のネットで尖閣が書かれています。

​前々から201​2年が危ないと予測していたことが現実になりつつあり残念です。

​日本の間抜け振りを見て、日本は四方から集中攻撃を浴びせられてきた。

​●香港の運動家などというのは中国政府の回し者。純然たる民間人ではなく政府が表面に出ず、まず、これらの連中を使い相手の出方を見る。

​フイリッピンなどとの南シナ海の争いも同じ手口。


●日本の出方が以前の菅や仙石のときのように土下座外交なら次は尖閣に漁民の避難港という名目で中国が建造物の建設にかかるでしょう。

​※口で日本を脅かし、日本が引き下がれば一番コストがかからずに中国の領土にできますからね。


それを注視している韓国は日本は脅せば引き下がる国と舐めきって今度は対馬を盗りに来るでしょうね。

​ロシアは、国後、択捉のほかに歯舞、色丹も領有してしまう。

​さて、野田はどう対処するであろうか。


中国は嫌がらせで、難癖をつけまた日本人を拘束するかも知れない。日本企業に対して経済的な嫌がらせをかけてくるであろう。

​そのときに丹羽大使などが裏で経団連をあおり、日本政府に圧力を掛けて来るであろうが野田は毅然と跳ね除けられるであろうか。

​薄熙来のこともあり、中国内部の権力争いは熾烈。日本政府はどこまで把握しているのであろうか。

​本来なら丹羽大使がその辺の情報をしっかりと掴んでいなければ、ならないのですが、彼は中国の飼い犬。

​日本も中国も韓国も政権交代の微妙なタイミング。

​●日本はこのタイミングを見誤れば日本の将来はますます弱体化する。日本の将来に大きな禍根を残す。

​日本政府をはじめ政府を監視する役目のマスコミ、国民の領土問題に対する意識が試されてきた。

​いつまでも平和ボケしてはいられない。


​もしかしたら習近平政権は長く続かないかもしれない。(​途中で病気という名目で交代させられるかも知れない)

​薄熙来派が復権したら中国は先祖がえりをする。

​現憲法の破棄。新憲法の成立は、なかなかそこまでは、いけないであろうから、自衛隊法を改正し離島防衛の強化のために交戦を認めることにしてもらいたいが、これも無理であろう。

​「いつまでもあると思うな親と金」

​「いつまでもあると思うな平和と安全」

​平和ボケから目覚めよ日本人。・・​ですよね。

 
 
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​今の日本はロウソクの灯をともして、子供達の未来のためになどという奇麗事のデモはしても、日本の領土を死守せよ、というデモは起きない。

​ロウソクデモの連中は口先の似非平和主義者。国家の主権を侵犯されて子供達の未来があるわけがないのにね。

​新宿のコニカ・サロンで韓国の慰安婦写真展を開催していたのでニコンに抗議に行き、会場で慰安婦展ではなく、これは売春婦展である言っていた。

​●尖閣沖には中国の武装船かウヨウヨ居て石垣島の漁民も怖くて近寄れない。
​住まわせてというが、今の日本の政治は地方では食っていけないのでどんどん過疎化しているではないか。

​今の日本で日本の海保が漁民を守ってくれない。(法​律上)

​日本が非武装中立などと寝ぼけているのが一番の癌。日本国民が核武装議論のできる大人の国にならなければね。
​現実の世界は否応なしにパワーバランスの上にある。

​中国人(漢民族)は、そんな日本人を「叩​いても叩いても尻尾を振って擦り寄るばか犬」とセセ笑っている。​日本は中国を勝手に美化しすぎている。

​中国人(漢族)には正義とか倫理とか、譲歩するなどは関係ない。相手が引けば相手ももの(領土)でも奪い取る。これが中国人。

​だから日本は、中国よ来るなら、来い!と毅然と祖手戦う意識を見せなければ尖閣から沖縄まで盗られる。

​今、日本が中国や韓国、ロシアに領土を侵犯されているのは、日本国民が今まであまりにも飽食に浸り平和ボケしていたかではないですか。

​先進国といわれる国々でスパイ防止法がないのは日本だけ。

○国さんからのメールを紹介しました。
 
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 薄 熙来(はく きらい)は中華人民共和国上海閥系)の政治家。第17期中国共産党中央政治局委員、元重慶市党委員会書記。父は国務院副総理などを務めた薄一波
 
 文化大革命初期は紅衛兵組織「連動」のメンバー。「連動」は「親父が英雄なら息子は豪傑、親父が反動なら息子は馬鹿者」とする血統論を宣伝した。まもなく父親の失脚にともない投獄される(公式履歴では学習班で学習とされている)。1978年2月から1979年9月まで北京大学歴史学部で学ぶ。1980年10月中国共産党入党。1982年には中国社会科学院を卒業し修士号取得。
 中央書記処研究室、弁公庁を経て遼寧省に転出、1992年から大連市長を務め、環境政策に力を注ぎ、また外資を呼び込んで経済成長も目覚しかった。2001年からは遼寧省省長を務めたが、省内にあった国有企業の多くが停止状態になり失業率は全国最高となった。2004年に商務部長として国務院入り。2006年から中国製品の品質に相次いで問題が起こり、安全宣言を何度も出すことになった。
 中共第15期党中央委員候補、第16、17期党中央委員、第17期党中央政治局委員。
 
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