良識ある日本国民の皆様には、韓国の反日団体が対馬返還運動を始めるのはご存知だと考えます。
「証拠は無いが国際裁判で対馬が韓国領だと証明する」日本が不法占拠した韓国領奪還のために政府次元で対応が必要だ
8月5~7日独島国土巡礼の時「スタート」…糾弾声明も出してhttp://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50376304.html
キル・ジョンソン会長「国民的共感が形成された時に国際司法裁判所に返還を訴える」
(高陽(コヤン)=聯合ニュース)ウ・ヨンシク記者= 11年をむかえた独島(トクト)守護団体「独島サラン(愛)会」が日本の独島領有権主張に対抗して対馬返還運動に出る。
独島サラン会は8月5~7日、中・高・大学生110人が参加する独島国土巡礼の時に日本糾弾声明を発表して対馬返還運動を始めると31日、明らかにした。
独島サラン会は今後、対馬が私たちの領土であるという事実を立証する資料を収集して、これを国民に知らせるために汎国民100万署名運動を展開することにした。
特に国民的共感が形成されれば国際司法裁判所と日本政府に対馬返還訴訟を提起する方案を積極的に検討している。
独島サラン愛会のキル・ジョンソン(51)会長はこの日、「三国史記など歴史的資料を見れば対馬は明確に私たちの領土だった」として、「日本の独島領有権主張に対抗して、日本が不法に占領した対馬の返還運動を展開する」と明らかにした。
NAVER/聯合ニュース(韓国語)抜粋
>独島サラン会は今後、対馬が私たちの領土であるという事実を立証する資料を収集して、これを国民に知らせるために汎国民100万署名運動を展開する
これまでの資料はどうしたんだ^^
私は本ブログで、韓国の大学教授などが対馬は韓国領土と立証する資料を発見したという度に、それらの資料が無効だという事実を書き記してきました。
後述しますが、対馬は他国の領土になった史実はないのですから、韓国が収集する資料とは捏造したものしかありません。
2010年に韓国の国会議員らは、「対馬住民の血統調査でも韓国血統とほとんど一致することが明らかになった」としていました。
しかし、韓国が対馬市の住民に対して、血統調査をしたという事実はありません。
>特に国民的共感が形成されれば国際司法裁判所と日本政府に対馬返還訴訟を提起する方案を積極的に検討している
竹島を国際司法裁判所へ付託して解決しろ!
日本政府は竹島領有権問題について、「日韓紛争解決交換公文」に基づき調停の場を国際司法裁判所に付託するように、韓国政府に提起をしていました。
しかし、韓国政府が拒否をしました。
韓国政府が日本政府に対して、対馬の領有権を国際司法裁判所に付託するように提起するのであれば、竹島も国際司法裁判所で解決すべきです。
>「三国史記など歴史的資料を見れば対馬は明確に私たちの領土だった」として、「日本の独島領有権主張に対抗して、日本が不法に占領した対馬の返還運動を展開する」
寝言は寝て言え!
韓国政府は、日本がまだGHQの占領下だった1951年(昭和26年)から、対馬の返還を要求しています。
韓国政府は、主権回復後の日本の領域を定めるサンフランシスコ講和条約の草案が作成されていた時期に、米国政府に対して、対馬と竹島が韓国の領土であることを認めるように要求しました。
しかし、米国政府は、「対馬は日本が長期間にわたり完全に統治しており、講和条約は対馬の現在の地位に影響を及ぼさない」として、韓国政府の要求を拒否しました。
米国政府から竹島と対馬の領有権を否定された韓国政府は、1952年1月18日に国際法を無視して「李承晩ライン」を引いて、竹島を不法占拠しました。
2005年3月18日、韓国の馬山市議会(現在の昌原市)は「對馬島の日」(対馬の日)条例を可決しました。
条例は、「対馬島が韓国領土であることを内外に知らしめ、領有権確立を目的とする」と規定しています。
2008年7月21日、韓国の国会議員50名が国会に「対馬は韓国の領土であり、日本は対馬を韓国政府に即時返還すること」を求める、「対馬の大韓民国領土確認および返還要求決議案」(対馬島返還要求決議案)を提出しました。
韓国内で同案に対しての世論調査によると、「日本に対馬返還要求すべき」に賛成した韓国人は50.6%もいます。
2008年7月23日、韓国の退役軍人らで構成する抗議団21人が対馬市役所前で、「独島は韓国領土 対馬も韓国領土」とする横断幕を掲げて抗議活動をしました。
2009年、「民団」対馬島地方本部事務局長の妻を持ち、日本に帰化した元韓国人男性が、20年間に渡って自衛隊との親密な交流を深めながら自衛隊基地を訪れて、自衛隊の演習や人員配置などを書き写していた問題がありました。
また、海上自衛隊対馬防備隊本部の隣接地を、韓国資本が日本人名義で土地の買収をした問題もありました。
韓国の忠清南道・天安にある「独立紀念館」は、日本人向けパンフレットに描いた地図で、対馬を韓国領にしています。
韓国の独島博物館は、鬱陵島の薬水公園内に「対馬島本是我国之地」(対馬島は元々我が国の地)と彫られた石碑を設置しています。
対馬は日本固有の島で、他国に支配された事実はありません。
建国神話である「古事記」には、最初に生まれた島々の1つとして「津島」と記され、また、日本書紀には「対馬洲」・「対馬島」と記されています。
淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の順で国産みがなされた(大八洲)「天瓊を以て滄海を探るの図」小林永濯
3世紀末に編纂された中共の歴史書、「魏志倭人伝」(正式には三国志・魏書・東夷伝・倭人条)には、「倭人帯方東南海の中に有り、山島に依りて国邑をなす」ではじまり、「はじめてひとつの海を渡ること千余里、對馬國に至る」とあります。
朝鮮半島の沖に倭人(日本人)の住む対馬があり、倭(日本)の一国として倭国の北岸の狗邪韓国の次に対馬国として登場します。
対馬国は邪馬台国に属して、他の倭の国にも見られる卑狗(ヒコ)という大官と卑奴母離(ヒナモリ)という副官が置かれ統治していたと記されています。
古墳時代初期に築かれた出居塚古墳(対馬市 美津島町 )は、前方後円墳(大和地方で発達した古墳の形態)です。
出土した有茎柳葉式銅鏃は、古式畿内型古墳の典型的出土品で、この時代、すでに対馬は大和朝廷の強い影響下にあったことを示しています。
出居塚古墳
古墳時代は、大和朝廷が度々朝鮮半島に出兵して交戦を繰り返した時代です。
これらの史実の状況は、日本書紀・広開土王碑文・宋書倭国伝・三国史記の記載により知ることができます。
1274年文永の役、1281年弘安の役と2度に渡る元(モンゴル帝国)とその属国高麗による日本への侵略(元寇)を受けました。
対馬はその最初の攻撃目標となって、守護代の宗助国以下80騎の守備兵が全滅しました。
対馬侵略という元寇が残虐だったことは、「日蓮聖人註画讃」に、「上陸した蒙古・高麗軍は、男を殺戮あるいは捕らえ、女は一ヶ所に集め、手に穴を開け、紐で連結し、船に結わえ付た」と記されています。
「蒙古襲来絵詞」より「文永の役」
1145年、高麗王の時期に出来た朝鮮半島に現存する最古の歴史書「三国史記(さんごくしき)」には、「王、倭人が対馬島に営を置き、貯うるに兵革資粮を以て我を襲わんことを謀ると聞き、我はその未だ発せざるに先んじて、精兵を揀び兵儲を撃破せんと欲す」とあります。
倭人、つまりは、日本人の対馬島と読めます。
三国史記
李氏朝鮮領議政(宰相)「申叔舟」(しんしゅくしょう)が、1471年に編纂した「海東諸国紀」は、「日本国対馬島の図」を掲載しています。
本文で対馬島を、「日本国西海道に属す」として対馬島内の事情を詳述しています。
日本国対馬島の図
豊臣秀吉の九州征伐に際しては、対馬の守護である宗氏は豊臣秀吉への臣従を決定し本領を安堵され、1590年、従四位下侍従・対馬守に任ぜられて、以後その官位が宗氏の慣例となりました。
関ヶ原の戦いでは、宗氏は西軍に加わり伏見城攻撃・関ヶ原本戦に参加し、西軍敗北後は徳川家康から許されています。
以後は代々、徳川氏に臣属して、李氏朝鮮に対する外交窓口としての役割を担いました。
江戸時代は、宗氏が対馬府中藩(通称対馬藩)10万石として引き続き対馬を任せられました。
参勤交代制度に基づき、3年に一度江戸の征夷大将軍の元に出仕することとされ、江戸に藩邸を構えて大名行列を仕立てて行き来しました。
外交面では鎖国体制の中、朝鮮通信使を迎える等の日朝外交の仲介者としての役割を果たして、また、日朝の中央権力から釜山で倭館貿易を許されていました。
江戸時代後期の1861年には、ロシアの軍艦が浅茅湾に投錨し、対抗したイギリス軍艦も測量を名目に同じく吹崎沖に停泊して、一時占拠する事件が起こりました。
5月に外国奉行の小栗忠順が派遣され、7月にイギリス公使オールコックがロシア軍艦を退去させた、「対馬事件」がありました。
東郷平八郎が率いる帝国海軍の連合艦隊と、ロジェストヴェンスキーが指揮を執るロシアのバルチック艦隊の日本海海戦は、海外では「battle of tsushima」として知られています。
直訳すると、「対馬の戦い(海戦)」となります。
大日本帝国陸軍は、1878年に熊本鎮台から対馬分遣隊を対馬に派遣して、1886年12月3日に「対馬警備隊」が置かれました。
これまで韓国は、竹島だけではなく対馬の領有権まで主張し、対馬の土地を買い漁って、マナーの悪い韓国客も押し寄せています。
そして、次から次へと嘘を重ねては、対馬を奪おうと狙っています。
このような状況の「対馬」には、経済的に韓国人を受け入れる人が増えてしまいました。
2010年にロケットニュース24の取材班が、対馬の現状を取材しました.
対馬は、韓国に間接侵略をされたような状況です。
対馬にいる韓国人はマナー悪いのも「観光客として受け入れざるを得ない」(抜粋)
最後に取材班は「韓国人お断りの店」の張り紙がある店を数時間かけて探した。だが、見つからなかった。これに関してホテル従業員のAさんは「数年前まではチラホラと張り紙を見ましたね。でも最近は景気悪化で韓国人でもいいから、客として欲しいと思っている店が増えています。こっちはもう選択の余地もありません・・・・」と話す。
韓国では対馬は韓国領土であるという主張がある。そんな根拠のない主張を知りながらも対馬島民は韓国人を歓迎しているのだ(もちろん生活の為という理由はあるが)。もしかしたらこの「仕方がない」は今の日本の全体像を映し出しているのではないか?そう思えて私も仕方がないのである・・。
▼公衆トイレは島内にたくさんあり、このようなハングルの張り紙も目に付く。
▼こんな山の中でもパチンコ屋がある。ちなみに対馬には多くのパチンコ店がある。韓国に近いからか・・・
▼ショッピングセンターには、韓国語支援センターが。ハングルのパンフレットも右側にあり。
▼大きい郵便局も、ハングル文字が。
▼免税店もあるが、日本人は入れない。(見学もできず)
▼飲食店にハングル文字が。
▼中心街にはこのような看板が。
日本政府は対馬などの国境の島々を守るために、防人の新法を制定すべきで、自衛隊を配備して軍需で島の経済を支えるなど、政府として島を維持・管理すべきです。
良識ある日本国民の皆様、対馬についてご考慮下さい。
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