先週の事ですが、上野の東京国立博物館で行われた印東道子さんの講演会に行ってきました。 この講演は現在開催されている『マーオリ -楽園の神々ー』という展示に関連したもの。 展示はニュージーランドの先住民であるマーオリの民族資料を扱ったものですが、 講演は「マーオリはどこから来たか」というテーマで、 彼らのルーツに迫るという内容でした。 そこでちょっと出てきたのが「ラピタ文化」に関する話。 ラピタ文化については、私も興味を持って調べた事があります。 日本の縄文時代後期~弥生時代に当たる時期、南太平洋に散らばる島々には独特な装飾の土器を持つ『ラピタ文化』が広がっていました。 彼らラピタ文化を担った人々は、アルトリガー・カヌーなどの遠洋航行用の船を用い、ニューギニア北東のビスマーク諸島から4000km以上離れた西サモアまで、およそ数百年という短期間で拡散していったことが、各地で進む考古学調査で解明されています。 ラピタの人々は、私たちと同じモンゴロイド。ハワイやイースター島の人々、そしてニュージーランドのマーオリの人々の祖先ではないかと考えられています。 彼らは焼畑農耕(主にバナナ・イモ類)と豚・鶏などの家畜を島々に持ち込みました。土器には鋸歯刻印文と呼ばれる文様が刻まれ大変美しいですが、文様が描かれたのはほんの一部で、大半は無文土器です。 ラピタ文化は、海産資源の活発な利用、黒曜石の広範な流通、トンガやサモアにおける土器製作技術の消滅など、面白い問題がたくさんあります。 特に、黒曜石に関しては、ニューブリテン島タラセア産の黒曜石が約3000km離れたフィジーでも見つかっています。もっとも、これはいきなりダイレクトに持ち込まれたのではなく、サンタクルーズ諸島やヴァヌアツなどを経由してフィジーにもたらされたようです。フィージーの例は例外かもしれませんが、かなり広い範囲でタラセア産黒曜石が出土しており、彼らの航海技術の高さが窺えます。 ラピタ文化の遺跡からは、この黒曜石のほか、蒸し焼き料理に使ったと推測される「地炉」と呼ばれる集積遺構、タロイモなどの根菜類を掘るのに用いたと考えられている打製石斧が多く発見されています。 遠い昔に大海原をこえていったラピタの人々。オセアニア考古学は日本ではあまりメジャーではありませんが、とっても面白いと思います。
手に入りやすい書籍では、
印東道子『オセアニア 暮らしの考古学』、朝日新聞社、2002年
片山一道『海のモンゴロイド ポリネシア人の祖先を求めて』、吉川弘文館、2002年
後藤 明『海を渡ったモンゴロイド 太平洋と日本への道』、講談社、2003年
などがあります。
印東道子『オセアニア 暮らしの考古学』、朝日新聞社、2002年
片山一道『海のモンゴロイド ポリネシア人の祖先を求めて』、吉川弘文館、2002年
後藤 明『海を渡ったモンゴロイド 太平洋と日本への道』、講談社、2003年
などがあります。
また、少し古いですが、
Kirch,P.V “The Lapita Peoples Ancestors of the Oceanic World” Blackwell Publishers Ltd.,Cambridge,1997
が詳しくてオススメです。図や写真が貧弱なのが難ですけど。
Kirch,P.V “The Lapita Peoples Ancestors of the Oceanic World” Blackwell Publishers Ltd.,Cambridge,1997
が詳しくてオススメです。図や写真が貧弱なのが難ですけど。