ガラスの来た道~正倉院へのいざない~
王たちが愛した輝き
唐の歴代皇帝が宝物を奉納し、現在も人々のあつい信仰を集める法門寺。3年前に建立された巨大な舎利塔は、手を合わせて祈る様子を表しているという(中国・西安市近郊で)
きらびやかな仏像が並ぶ松林寺の本堂。天井は、家族の健康や安全を祈願した札で埋め尽くされていた(韓国・大邱市近郊で)
百済の王宮殿跡とされる王宮里遺跡。居並ぶ礎石が往時をしのばせる(韓国・益山市で)
第64回正倉院展で公開中のガラス杯「 瑠璃坏 ( るりのつき ) 」など、正倉院の名宝の数々は、中国や朝鮮半島にも類似品がみられ、日本にもたらされるまでの道のりをたどる手がかりとなっている。
カラフルな土産物が並ぶイスラム街。売り子の女性の前には、ガラス製品が置かれていた(中国・西安市で)
シルクロードの起点を示すモニュメント。唐代には、近くの市場でガラス器など西域からの品々が取引された(中国・西安市で)
かつて長安の都が置かれ、シルクロードの東の起点だった中国・西安市。同市近郊で威容を誇る法門寺は、唐の歴代皇帝が信奉した。25年前に敷地内で唐代の地下宮殿が発掘され、9世紀頃の西アジア産のガラス皿などが出土した。正倉院宝物に似た球形の香炉も見つかり、唐と日本の文化交流の深さがうかがえる。
新羅の王が創建したと伝わる韓国・ 大邱 ( テグ ) 市近郊の松林寺では、仏塔内から7~8世紀のガラス製 舎利杯 ( しゃりはい ) が発見された。ササン朝ペルシャ産の特徴とされる環状文様などが、瑠璃坏のガラス部分とそっくりだった。百済の宮殿跡とされる 益山 ( イクサン ) 市の 王宮里 ( ワングンニ ) 遺跡からは、舎利の入った金製の箱が出土。表面の文様が、瑠璃坏の銀製脚の文様と酷似しており、研究者の間では、瑠璃坏は、ガラス部分だけがペルシャから朝鮮半島に入り、百済で脚が付けられた、との見方が出ている。
中国や朝鮮半島を経て日本に伝来した正倉院の名宝たち。時の権力や信仰と結びついたその輝きは、今も変わらない。(写真・宇那木健一、文・原田和幸)
(2012年11月10日読売新聞)
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