塩釜神社(しおがまじんじゃ) 水俣市
更新日:2010年2月27日
写真1 塩釜神社拝殿 | 写真2 塩焚き |
所在地
塩浜町
解説
製塩業が盛んだった水俣の浜
水俣第二中学校とチッソのグラウンドの間に塩釜神社という神社があります。塩釜神社は、その名が示すとおり製塩の神様を祀ったものです。またこの一帯の地名を塩浜町といいます。なぜここが塩浜町と呼ばれ、製塩の神様が祀られているのでしょうか。実は、江戸時代以来、この一帯は盛んに塩が作られたところでした。
このあたりで製塩が本格的に始まったのは、1667年と言われています。「揚げ浜式」といわれる製塩法で、明治43(1910)年のまで約250年間続けられ、水俣の主要産業の一つでした。精製された塩は、鹿児島県の大口や菱刈方面に運んで販売したり、物々交換をしたりしていました。水俣の塩は俵に入れ、クズカズラでくくっていたので、別名「カズラ塩」といって、広く知られるようになりました。
現在塩はイオン交換膜法という方法によって、工場で作られます。では、水俣で行われていた揚げ浜式の製塩とはどんな方法でしょうか。
まず海水を汲み上げ、砂が敷いてある塩田にまきます。これを天日で干すと砂に塩の結晶がつきます。この砂を集めて潮水(海水)で溶かし、濃縮した塩水を作ります。この塩水を「スメ」と呼びました。スメが貯まると、これを塩田よりも少し高い場所に建てられた「ボヤ」と呼ばれるわらぶき小屋で焚きます。スメを土で作った平釜に移し、水分がなくなるまで何日もかけて煮詰めて塩にします。塩づくりは海水がよく蒸発する夏の炎天下での作業です。海水をくみ上げ塩田にまく作業、早く乾くように焼けた塩田の砂に畝を立てる作業、砂を運ぶ作業、真夏に火を焚き続ける塩焚きの作業、どれもが大変過酷な重労働です。
塩焚きがなされていた頃、塩田より高台にある塩釜神社は、働く人々の安らぎの場でもありました。神殿には四体の木彫りの神の像が祀られています。9月24日が祭日とされ、塩田の労働に明け暮れていた人々も、この日は仕事を休み、ごちそうを持って境内で行われる相撲見物に出かけたそうです。周辺の松の木陰には露天も並び、子どもたちも心待ちにした秋の大祭でした。現在は、地元19区寄ろ会の皆さんが、年に一度の大祭に合わせて、境内で昔ながらの塩焚きを再現しています。できた塩は神社に奉納され、また地域の方々にも配られます。
薄原神社のナギ(すすばるじんじゃのなぎ) 水俣市
所在地
水俣市葛渡
利用案内
駐車場 2台
解説
全国屈指の巨樹、薄原神社のナギ
薄原神社のナギの木
昭和53年指定の熊本県指定天然記念物です。この木は神社の入口にあり、薄原神社(熊野宮)の御神木となっています。葉が強靱(きょうじん)なことから地元では「チカラシバノ木」とも呼ばれています。
薄原神社のナギは全国でも指折りの巨樹です。これほど大きく古い御神木が残っている神社は、非常に珍しいものです。測定してみると、樹高が約25m、胸高幹周りが約3.9mあります。聞き取りをした緒方さんによると、静岡県熱海市の「海蔵神社のナギ」、和歌山県新宮市の「熊野速玉神社のナギ」と並び、日本有数の巨樹だということです。樹齢は約800年と推定されています。上の境内には、二世が生えており、御神木の後継ぎは心配がないようです。ナギにはメスの木とオスの株がありますが、薄原神社の株はメスです。メスの木なので、夏から秋にかけて丸い実が鈴なりになります。
薄原神社は、水俣市葛渡大字薄原にある村社で、創立年月は不詳です。例祭日は、9月22日です。現在、薄原神社とその周囲には、ナギの他にイチョウ、カエデ、サクラなどの木が植えられており、四季それぞれに美しさがあります。また、すべり台やブランコ、シーソー、鉄棒などの子どもの遊具が設置されていたり、ゲートボール場がつくられていて地域の人たちの憩いの場となっています。近くには、地域の物産館である葛彩館(かっさいかん)、かっさい市場があり、新鮮な農産物などを買い求める人々でにぎわっています。
○ナギとは
ナギはマキ科の植物で、主に四国・九州・沖縄に自生する南方系の常緑樹です。葉は楕円形(だえんけい)で、葉肉が厚く、表面に光沢があります。葉脈は平行脈になっています。葉を一見すると照葉樹のように見えますが、裸子植物の針葉樹の仲間です。
ナギは、古来、熊野座神社の御神木とされています。昔は災難よけになると言われ、葉を鏡の裏に入れたり、守り袋に入れたりしていました。水夫のお守りとされています。また、嫁入り道具の鏡の裏にナギの葉を彫刻することも広く行われてきました。これは、ナギの葉が強靱で引っ張っても切れないことから、縁(えん)が切れないことを願ったためです。
周辺情報
近くには、葛彩館、かっさい市場があります。
久木野住吉神社(くぎのすみよしじんじゃ) 水俣市
所在地
水俣市越小場
利用案内
駐車場 あり
解説
久木野の住吉神社と日当野地区
日当野地区は山間に開けた小盆地で、周辺に拓かれている畑からは石器や縄文土器・弥生土器・土師器・須恵器などが多数出土しています。網のおもりに使用した土錘も8個出土しており、かつてこのあたりに湖水あるいは沼地があり、魚を獲っていたことがうかがえます。その時代から現在まで人々の生活の場として続いてきました。その日当野に建つ旧久木野村の村社であった久木野住吉神社は1443年に創建されたと伝えられる神社です。
住吉神社は海上航海安全の神様と言われますが、なぜ、このような山間部に勧請されたのかははよく分かりません。 住吉神社では、春四月に、五穀豊穣を祈願する「願かけ」の祭りが行われ、当日午後から氏子である村内全域から「俄(にわか)踊り」(二○加)をつくりにぎわいました。
戦時中は、出征軍人とそれを見送る妻をコント風に演じたものもありました。各地区のにわかには神社から金一封のお花が出るほか、地区や地区外のひいき先からお花が上がりました。しかし、現在はこうした風習も途絶え、各地区から集まった氏子の人たちが、神社の拝殿で祝詞を上げ御神酒を上げる神事のみが行われています。
春の願かけに対して、秋の収穫の「願成就」の祭りが10月21日を祭例日として行われます(数年前から、学校や仕事の関係で近くの日曜日)。祭りの当日には、水俣、芦北、天草、鹿児島県の大口、出水などから力自慢の草相撲力士が集まり、勧進元(かんじんもと)の采配で東西に分かれて相撲を取りにぎわいました。
力士が赤ちゃんを抱きかかえ土俵入りをする儀式は、希望者が多くあります。ただ、女は土俵に上がれないというしきたりは厳格に守られており、男の子だけです。奉納相撲の前には行司により古式にのっとった作法で神儀が行われます。久木野小・中学校の男子児童・生徒の相撲大会、保育園児・女子児童・生徒による俵踊りも、保護者や地域の人たちには楽しみの一つです。現在、力士は、人吉、津奈木などから国体・県体出場経験者等に来てもらっています。
初野神社の老樹(はつのじんじゃのろうじゅ) 水俣市
更新日:2010年2月27日
所在地
初野
利用案内
駐車場 新水俣駅前有料駐車場多数
解説
初野神社の老樹
熊本県南の津奈木町と水俣市のほぼ境にあるJR九州新幹線 新水俣駅裏の初野団地に初野神社があります。新水俣駅からは徒歩3分ほどでつきます。
初野神社の老樹のひみつ・・・?
この初野神社は、天武天皇の曽祖父である天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)を祭神としています。鎮座は、古代ということだけで年月はわかっていません。(明治32年に改築した記録が残っています。)長寿健康、五穀豊穣、学問成就、家内安全に御利益があると初野神社由来書には記載されています。地元の方のお話によると貝塚や古墳があり、とにかく古い神社であるとのことでした。この神社には3本の大きな老樹があります。
(1)オガタマノキ
樹齢は推定400年ほどとされています。幹周り約3.9m、樹高25mの非常に大きな木です。「オガタマノキ」は、モクレン科の樹木で神社によく植えられています。神前に供えて神に祷招(おぎ)奉る、神霊を招くという招霊(おきたま)から変化して「オガタマ」といわれるようになったと考えられています。
(2)タブノキ
幹周りが4mあまり、樹高15mほどの木です。このタブノキには、高さ5mほどのところで直径40cmほどのハゼノキが生えています。見た目も正面からはふつうの「タブノキ」で、裏から見ると上半分が「ハゼノキ」というなんとも不思議な生え方をしています。
(3)クスノキ
樹高が25mほどあり、幹回りは6m近くもある大きな木です。この木の手前には貝塚があり、大昔には人々が生活していたことがわかります。古代の人々の生活をクスノキが見ていたと考えると太い幹に耳をあてて、クスノキの話を聞いてみたい気がしてきます。
周辺情報
近くには、徳富蘇峰記念館、湯の児温泉、湯の鶴温泉、中尾山公園、津奈木温泉、水俣湾埋め立て地エコパーク水俣、水俣病資料館、熊本県環境センター、竹林園、エコタウン水俣、観光物産館まつぼっくり、等があります。
諏訪宮の大楠の群生(すわぐうのおおくすのぐんせい)
所在地
水俣市長野
利用案内
駐車場・トイレ なし
解説
諏訪神社の大楠群
水俣三社の一つ長野諏訪神社の相撲桟敷(すもうさじき)の周囲に14株のクスノキの大木があります。この長野のお諏訪さんのクスノキを知らない水俣市民は、ほとんどいないでしょう。新緑の頃には、株によって緑色から小豆色の新芽を出し、美しいグラデーションに彩られた樹冠がとてもきれいで、すばらしいものです。また、この巨木群は「ふるさと熊本の樹木」にも登録されています(昭和57年登録)。
長野諏訪神社は、室町時代の1429年(永享元年)深川から現在地の長野に移転してきました。室町時代初期、この神社が建立される前、この地には、クスノキが群生していたと言われています。その名残(なごり)がこのクスノキの群生です。鎮守(ちんじゅ)の森を形成していて、人々の憩いの場となっています。また、現在では境内の端の方にシーソーやすべり台・ブランコなどの遊具が設置してあり、近所の子ども達の遊び場にもなっています。
現在は新幹線がすぐそばを通っています。その橋脚の高さが25mありますが、その橋脚よりも高いクスノキがあります。ここで一番大きいクスノキは、境内の入口右端の木です。測定してみると、樹高は約28m、幹周りが約6、7mあります。樹齢は400年以上と推定されています。つる性のオオイタビがからみついています。
周辺情報
近くには、湯の児海岸、福田農場スペイン館、湯の児温泉、湯の鶴温泉等があります。