水銀の使用や輸出入などを規制する新条約の内容を固める政府間交渉委員会第5回会合が1月13日、スイスのジュネーブで始まりました。一方、研究者や一般市民が「水俣病」をめぐる課題を報告し、意見を交わす水俣病事件研究交流集会も12日、水俣市公民館で開催され、ジュネーブにおける外交交渉もテーマとなっており、条約名を「水俣条約」としたい政府方針への反対意見が相次いだそうです。
私はジュネーブでこのような会議が開かれているなどということ自体、今朝のテレビニュースで初めて知った次第ですが、そのような私でも「日本政府は条約名を『水俣条約』としたい考え」とのニュースに、地元の反発はないのだろうかと反射的に思ったほどです。
そもそも、名誉なことであれば自治体の名称を使うことに意義はないのですが、たとえばこれを「日本条約」とか「九州条約」とかに置き換えてみれば、地元水俣市の苦悩が少しはわかると思います。「日本=水俣病」「九州=水俣病」でないのと同じように「水俣=水俣病」ではないのです。今回の議論を機に、「水俣病」という名称をも変更すべきかもしれません。
現在「復興」が進む水俣市においてもっとも恐れているのは、風説被害であろうと思われます。特に、水俣問題では裁判への影響を考慮しすぎたためか企業側と行政の対応が大幅に遅れました。その結果、地元では「水俣病」患者に対する差別や住民同士の分裂を招き、しかも裁判の結果は国や県、そして企業に非常に厳しいものでした。
地元にも国側にも自殺者が出ました。忌まわしい歴史は教訓として整理しながら未来と国際社会に向けて発信すると同時に、実生活の上では希望に満ちたまちおこし、まちづくりが求められてくるでしょう。そういうなかで、地元と国や県との信頼回復が模索されていたに違いありません。
もっとも、理想的なことを言うならば、日本国民に人権という普遍的な文化が根付いておりさえすれば条約の命名に一喜一憂することでもないのかもしれません。しかし、現実問題として風説の被害が絶えない日本という国にまだまだ人権文化と呼べるものは少ないといわねばなりません。
そして、水俣市民の意見を聴き政策に反映させるという、当然ともいえる政策決定の筋道がどの程度、大切にされていたのでしょうか。
沖縄、福島、水俣‥‥どこか似ていると感じるのは私だけでしょうか。