これだけ見ても日帝が朝鮮民族の名前を抹殺する意図がなかったのは明白である。
そもそも今までの朝鮮名を「日本名に無理矢理変えさせたい」のだとしたら
なにも届け出の期限を「半年間」に限定する必要など無いのだが。
つまり彼らが怒りに燃えて叫ぶ「日帝が名前を奪った!」という言葉は事実誤認であり、
当時の日本国民である朝鮮人にも日本風の名前を使うチャンス・権利を与えただけ。
『強制性』があったのは「新しい戸籍制度への移行」と
「それまで持っていなかった家族名を“新たに持つこと”」だけだったのである。
「創氏」については以上のように
“新しい戸籍システムへの移行においては強制”であったが、何も奪っていない。
残る「改名」についてはもっと簡単だ。
改名は任意、つまり自由であった。
日本風の家族名に合わせての改名、今後日本人として生きていくのに便利であろう、と
「改名の許可」が出された。それだけの話である。
(カルフォルニア共和国がアメリカに併合されてアメリカ合衆国カルフォルニア州として
現在も存続しているのと同様に、当時は日本の敗戦など誰も予想しなかったので、
その後彼らが永遠に日本国民として生きるための配慮、という意味があった)
仮に元の朝鮮名をそのまま使わないことを選択し、家族名だけ日本風に変更したとして、
たとえば「田中ヨンジュン」や「鈴木ジョンイル」では違和感があるだろうし、
中国人から差別を受けるかもしれないという統治者側からの配慮であり、
それでも構わないのであればその名前を使えばいいが、「太郎」や「花子」などの
日本風の個人名に変えるのも“自分で申請さえすれば”自由、という制度である。
ちなみに改名が任意であった証拠を探すのは容易い。
実際に20%ほどの朝鮮人が朝鮮名のまま改名しないことを選択しているからだ。
もちろん名前を変えなかったからといって制度上の不利益はない。
たとえば白洪錫少将のように朝鮮名のままで日本軍の将軍職を務めた朝鮮人もいたし、
金錫源少佐のように朝鮮名のまま活躍して金鵄勲章(当時の軍人最高勲章)を
受賞した朝鮮人もいたのである。
洪思翊将軍(中将)などは指揮官になった時に部下となる日本兵の前で、
「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により指揮をとる。
異義のあるものは申し出よ」と訓示したという。
つまり朝鮮名のままでも完全に日本国民(日本軍人)としての権利を
享受していたのである。
これは同時に、「統治される側の国民」が『国軍(日本軍)』に入隊できるだけでなく、
出世して、地位を得たそれらの者が、宗主国民である日本兵を指揮する立場に
なることもできたという事実であり、「欧米諸国の苛烈な植民地統治」と
「日本の植民地・併合統治」では制度や理念が根底から全く違うことの証明と
いえるだろう。
また、彼らとは逆に、自ら創氏改名することを選んだ朝鮮の有名人もいる。
韓国の民族的作家で、朝鮮近代文学の父とも言われる李光洙(イ・グヮンス)である。
彼は「香山」と創氏し、名を「光郎」と改名した。
※内地……朝鮮から見た日本本土のこと。
香山光郎こと李光洙は朝鮮の有名人だったので、
当然ながら総督府は彼の言葉を朝鮮人への宣伝に活用した。
このようにして創氏改名は朝鮮人自らの意思で行われる事となったのである。
逆に、同じ日本の統治下にあった国でも
朝鮮のような「権利」が与えられなかったケースもある。
台湾である。
朝鮮が「併合」(日本と一体になること)であったのに対し、
台湾は「植民地」だったので、朝鮮人ほどの権利は台湾人には与えられなかった。
創氏改名の「権利」を日本から与えられず、
創氏改名に「許可」が必要だった台湾人の目線を見てみよう。
※日帝三十六年の七奪(チルタル)
韓国人が日本を糾弾するための攻撃材料を覚えやすく7つに分類したもの。
日帝が「韓国から主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源を奪った」と
主張するもので、韓国の教科書にも載っているが、“現実は”以下の通り。
・主権を奪った?→日韓併合条約第1条で韓国皇帝が自分で天皇陛下に献上した。
・国王を奪った?→日韓併合条約第3条で王公族として日本の皇族に準じる待遇を受けた。
・人命を奪った?→飢餓、病死者が減り、食料生産が増え、むしろ人口が増えた。
・国語を奪った?→日本人の税金で学校が作られ、底辺階級にまでハングルが普及した。
・姓氏を奪った?→元名を残す自由もあり、新規に家族名を創らせ、底辺階級にも戸籍を与えた。
・土地を奪った?→韓国政府が管理していた国有地が当然日本政府の国有地になった。
・資源を奪った?→何もなかった。ゆえに日本が数万本も植林し、農業や産業を育てた。
台湾では植民地支配の中で台湾の国力が増強された事実を正当に評価している。
ちなみに上で引用した黄文雄は、日本の「皇民化運動」(併合を機に「生粋の日本人」と
「新たに日本国籍になった元朝鮮人」を同等に扱っていくための制度改革)についても
「近代国民国家成立への過程でどこの国でもみられた国民運動」と位置づけている。
また、日本が朝鮮人や台湾人の姓名や国語を奪ったとはいえないことを
「中国の華化運動」や「フランスの国民運動」などの同化政策と比較して説明している。
例えば中国(清)による漢化政策などは、台湾人から姓名を奪い漢姓(中国人っぽい名前)を
下賜(上から与える)しただけでなく族譜(中国人としてのルーツのようなもの)まで押し付け、
それを拒否するものには5倍以上の租庸(税金)をとって漢化(中国人化)を促したという。
日本は中国のような事までしなかった為、敗戦前の年代ですら日本の旧陸軍士官学校の
卒業生名簿の半島出身者の名前は、日本名併記もあるが、半数近くは朝鮮名のままだったのである。
因みに「現在でも」中国は台湾に対してかなり強引な同化政策をとっている。
今の台湾は中国人が多く入植してきているが「台湾は、台湾人のもの」である。
だが中国は「台湾は中国の一部である」と一方的に規定し、もし台湾が独立を宣言した場合には
ミサイルを撃ち込むことを“合法”とする『反国家分裂法』を制定し、実際に軍艦などを
度々台湾近海に近接させるなど露骨な恫喝を行ってる。
本当の意味で苛烈な同化政策というのはこのようにやるのである。
しかし朝鮮は台湾以上に日本から権利や恩恵を与えられ、国土やインフラの開発などは
日本本土の日本人の税金で賄われるという都合のいい環境だったにも関わらず
現代韓国人は「日本に統治されたこと」を恨んで全ての行為を否定するばかりで
与えられた物や功績を全く理解しようともしていないのである。
統治された、と言っても当時日本人だった者が日本政府に統治されるのは当然なのだが。
ちなみに先に引用した李光洙や黄文雄の著書の文中でも触れられたように
実は朝鮮人というのは日本の併合以前にも何度も自ら名前を変えている。
そもそも古代朝鮮人は「阿直岐」「興首」「階伯」など、
現在とは全く違う名前を使っていたのだが、
まず、高麗時代に現在のものに近い中国式の名前に改名している。
その後、モンゴルが大陸の覇者になると
高麗王朝は国王を筆頭に次々にモンゴル風の名前に改名してしまう。
それだけに止まらず、明が元を破り中華王国の主になった時には
朝鮮人は「再び」中国式の名前に改名しているのである。
そして日本が朝鮮半島を併合統治すれば8割が日本名へ改名することとなる。
そして終戦後、朝鮮半島が日本の領土でなくなった時、また中国式に改名する。
このように歴史的にも名前の継続性に無頓着な民族であるにも関わらず
「創氏改名で名前を奪われた!」と日本に対してだけ鼻息を荒くする一方で、
現代の韓国人が違和感なく中国式の名前を使っているというのも不思議なものである。
~韓国は何故反日かさんから抜粋しました(続)~
そもそも今までの朝鮮名を「日本名に無理矢理変えさせたい」のだとしたら
なにも届け出の期限を「半年間」に限定する必要など無いのだが。
つまり彼らが怒りに燃えて叫ぶ「日帝が名前を奪った!」という言葉は事実誤認であり、
当時の日本国民である朝鮮人にも日本風の名前を使うチャンス・権利を与えただけ。
『強制性』があったのは「新しい戸籍制度への移行」と
「それまで持っていなかった家族名を“新たに持つこと”」だけだったのである。
「創氏」については以上のように
“新しい戸籍システムへの移行においては強制”であったが、何も奪っていない。
残る「改名」についてはもっと簡単だ。
改名は任意、つまり自由であった。
日本風の家族名に合わせての改名、今後日本人として生きていくのに便利であろう、と
「改名の許可」が出された。それだけの話である。
(カルフォルニア共和国がアメリカに併合されてアメリカ合衆国カルフォルニア州として
現在も存続しているのと同様に、当時は日本の敗戦など誰も予想しなかったので、
その後彼らが永遠に日本国民として生きるための配慮、という意味があった)
仮に元の朝鮮名をそのまま使わないことを選択し、家族名だけ日本風に変更したとして、
たとえば「田中ヨンジュン」や「鈴木ジョンイル」では違和感があるだろうし、
中国人から差別を受けるかもしれないという統治者側からの配慮であり、
それでも構わないのであればその名前を使えばいいが、「太郎」や「花子」などの
日本風の個人名に変えるのも“自分で申請さえすれば”自由、という制度である。
ちなみに改名が任意であった証拠を探すのは容易い。
実際に20%ほどの朝鮮人が朝鮮名のまま改名しないことを選択しているからだ。
もちろん名前を変えなかったからといって制度上の不利益はない。
たとえば白洪錫少将のように朝鮮名のままで日本軍の将軍職を務めた朝鮮人もいたし、
金錫源少佐のように朝鮮名のまま活躍して金鵄勲章(当時の軍人最高勲章)を
受賞した朝鮮人もいたのである。
洪思翊将軍(中将)などは指揮官になった時に部下となる日本兵の前で、
「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により指揮をとる。
異義のあるものは申し出よ」と訓示したという。
つまり朝鮮名のままでも完全に日本国民(日本軍人)としての権利を
享受していたのである。
これは同時に、「統治される側の国民」が『国軍(日本軍)』に入隊できるだけでなく、
出世して、地位を得たそれらの者が、宗主国民である日本兵を指揮する立場に
なることもできたという事実であり、「欧米諸国の苛烈な植民地統治」と
「日本の植民地・併合統治」では制度や理念が根底から全く違うことの証明と
いえるだろう。
また、彼らとは逆に、自ら創氏改名することを選んだ朝鮮の有名人もいる。
韓国の民族的作家で、朝鮮近代文学の父とも言われる李光洙(イ・グヮンス)である。
彼は「香山」と創氏し、名を「光郎」と改名した。
■李光洙(イ・グヮンス) 「私はよくよく我が子孫と朝鮮民族の将来を考えた挙句に、 こうするのが当然だという堅い信念に到達したのである。 日本人との差別がなくなる事以外に朝鮮人は何を望むだろうか。 したがって差別の除去の為に、あらゆる努力を注ぐことが、 最も重大にして緊急な事となる。 我々の在来の姓名は、支那を崇拝した先祖の遺物である。 永郎、述郎、官昌郎、初郎、所回(巌)、伊宗、居漆夫、黒歯 このようなものが、古代の我々先祖の名前であった。 徐羅伐、達久火、斉次巴衣、ホルゴ、オンネこういったものが、 昔の地名であった。そのような地名と人名を支那式に統一したのは、 僅か六、七百年前のことだ。すでに我々は日本帝国の臣民である。 支那人と混同される姓名を持つよりも、日本人と混同される氏名を 持つ方が、より自然な事だと信ずる。」 「内鮮一体を国家が朝鮮人に許した。 故に、内鮮一体運動を行わなければならないのは、朝鮮人自身である。 朝鮮人が内地人と差別がなくなる以外に、何を望む事があろうか。 したがって差別を除去する為にあらゆる努力をする事の他に、 何の重大でかつ緊急な事があるだろうか。姓名三字を直すのも、 その努力の中の一つならば、なんの未練もない。喜ぶべき事ではないか。 私はこのような信念で、香山という氏を創設したのである。これから徐々に 我朝鮮人の氏名が国語で呼ばれる機会が多くなって行くだろう。 そのような時に李光洙よりも香山光郎の方がはるかに便利だ。 又満州や東京大阪等に住んでいる同胞が、日本式の名を持つ事は、 実生活の上で、多くの便宜をもつだろう。」 (毎日新報コラム『創氏と私』より) |
※内地……朝鮮から見た日本本土のこと。
香山光郎こと李光洙は朝鮮の有名人だったので、
当然ながら総督府は彼の言葉を朝鮮人への宣伝に活用した。
このようにして創氏改名は朝鮮人自らの意思で行われる事となったのである。
逆に、同じ日本の統治下にあった国でも
朝鮮のような「権利」が与えられなかったケースもある。
台湾である。
朝鮮が「併合」(日本と一体になること)であったのに対し、
台湾は「植民地」だったので、朝鮮人ほどの権利は台湾人には与えられなかった。
創氏改名の「権利」を日本から与えられず、
創氏改名に「許可」が必要だった台湾人の目線を見てみよう。
■黄文雄 現在の韓国人の姓名は、既に祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが 「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。台湾で日本時代に 行われた「許可制」による改名運動に比べたら、寧ろ韓国人にとっては 「特権」であって、非常にゆるやかなやり方だ。 ましてや「日帝」は万民平等等の原則に基づいた新戸籍制度を創設して、 戸籍さえ許されなかった人口の半数近くを占める奴婢に姓氏を与えた。 更に、「皇民化」=近代国民運動によって日本語やハングル文字を 普及させただけでなく、李朝時代以来、両班から蔑まれていた ハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・ハングル混じりの文章を 体系化させ、伝統文化の研究と再興を推進したというのが、 紛れもない史実だ。 「生命を奪われた」というのも、実は史実に反している。 近代化による産業発達によって優生学的な社会改革が行われた事で、 有史以来の飢餓と疫病を克服する事ができ、植物依存の生態系 までも変える事ができた。その為、米の生産量が一千万石から 二千万石以上に倍増し、韓国の人口も倍増(1906年の980万人が 1938年には2400万人に急増)した。この事を、生命を奪ったとは 言わないだろう。日本は優生学的にも人口学的にも、韓人の生命の質と量を 飛躍的に向上させたのだ。 客観的に見れば、「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には「七恩」と 言うべきだろう。 韓国人に「七恩」を施したから「七世報恩」(七代までも恩返しせよ)とまで、 日本人がいちいち口にする必要はないが、少なくとも韓人に対して、 自国史についてのより「正しい歴史認識」を日本は求めなければならない。 (『「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国』P142-143より) |
※日帝三十六年の七奪(チルタル)
韓国人が日本を糾弾するための攻撃材料を覚えやすく7つに分類したもの。
日帝が「韓国から主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源を奪った」と
主張するもので、韓国の教科書にも載っているが、“現実は”以下の通り。
・主権を奪った?→日韓併合条約第1条で韓国皇帝が自分で天皇陛下に献上した。
・国王を奪った?→日韓併合条約第3条で王公族として日本の皇族に準じる待遇を受けた。
・人命を奪った?→飢餓、病死者が減り、食料生産が増え、むしろ人口が増えた。
・国語を奪った?→日本人の税金で学校が作られ、底辺階級にまでハングルが普及した。
・姓氏を奪った?→元名を残す自由もあり、新規に家族名を創らせ、底辺階級にも戸籍を与えた。
・土地を奪った?→韓国政府が管理していた国有地が当然日本政府の国有地になった。
・資源を奪った?→何もなかった。ゆえに日本が数万本も植林し、農業や産業を育てた。
台湾では植民地支配の中で台湾の国力が増強された事実を正当に評価している。
ちなみに上で引用した黄文雄は、日本の「皇民化運動」(併合を機に「生粋の日本人」と
「新たに日本国籍になった元朝鮮人」を同等に扱っていくための制度改革)についても
「近代国民国家成立への過程でどこの国でもみられた国民運動」と位置づけている。
また、日本が朝鮮人や台湾人の姓名や国語を奪ったとはいえないことを
「中国の華化運動」や「フランスの国民運動」などの同化政策と比較して説明している。
例えば中国(清)による漢化政策などは、台湾人から姓名を奪い漢姓(中国人っぽい名前)を
下賜(上から与える)しただけでなく族譜(中国人としてのルーツのようなもの)まで押し付け、
それを拒否するものには5倍以上の租庸(税金)をとって漢化(中国人化)を促したという。
日本は中国のような事までしなかった為、敗戦前の年代ですら日本の旧陸軍士官学校の
卒業生名簿の半島出身者の名前は、日本名併記もあるが、半数近くは朝鮮名のままだったのである。
因みに「現在でも」中国は台湾に対してかなり強引な同化政策をとっている。
今の台湾は中国人が多く入植してきているが「台湾は、台湾人のもの」である。
だが中国は「台湾は中国の一部である」と一方的に規定し、もし台湾が独立を宣言した場合には
ミサイルを撃ち込むことを“合法”とする『反国家分裂法』を制定し、実際に軍艦などを
度々台湾近海に近接させるなど露骨な恫喝を行ってる。
本当の意味で苛烈な同化政策というのはこのようにやるのである。
しかし朝鮮は台湾以上に日本から権利や恩恵を与えられ、国土やインフラの開発などは
日本本土の日本人の税金で賄われるという都合のいい環境だったにも関わらず
現代韓国人は「日本に統治されたこと」を恨んで全ての行為を否定するばかりで
与えられた物や功績を全く理解しようともしていないのである。
統治された、と言っても当時日本人だった者が日本政府に統治されるのは当然なのだが。
ちなみに先に引用した李光洙や黄文雄の著書の文中でも触れられたように
実は朝鮮人というのは日本の併合以前にも何度も自ら名前を変えている。
そもそも古代朝鮮人は「阿直岐」「興首」「階伯」など、
現在とは全く違う名前を使っていたのだが、
まず、高麗時代に現在のものに近い中国式の名前に改名している。
その後、モンゴルが大陸の覇者になると
高麗王朝は国王を筆頭に次々にモンゴル風の名前に改名してしまう。
それだけに止まらず、明が元を破り中華王国の主になった時には
朝鮮人は「再び」中国式の名前に改名しているのである。
そして日本が朝鮮半島を併合統治すれば8割が日本名へ改名することとなる。
そして終戦後、朝鮮半島が日本の領土でなくなった時、また中国式に改名する。
このように歴史的にも名前の継続性に無頓着な民族であるにも関わらず
「創氏改名で名前を奪われた!」と日本に対してだけ鼻息を荒くする一方で、
現代の韓国人が違和感なく中国式の名前を使っているというのも不思議なものである。
~韓国は何故反日かさんから抜粋しました(続)~