ゴレ島
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ゴレ島 (セネガル) |
ゴレ島
英名Island of Gorée仏名Île de Gorée登録区分 文化遺産登録基準 (vi) 登録年 1978年 備考 負の世界遺産 公式サイトユネスコ本部(英語)地図使用方法・表示島全体がダカール市の19の行政区の一つ、ゴレ区となっている。
地理
セネガル共和国の首都ダカールの沖合い約3kmに浮かぶ。島は東西300m、南北900mと小さい。セネガルの最古のイスラム教のモスクも残っている。1815年に統治国だったフランスが廃止するまで、奴隷貿易の拠点として栄えた。かつての奴隷収容所が島内に残っている。
歴史
1628年、オランダにより占拠される。以後、イギリスとフランスが領有争いを繰り広げるが、最終的にフランス領とされる。フランスはフランス革命の際1794年に奴隷廃止を宣言したが、1802年にナポレオンが砂糖プランテーションの農場主の要請により撤回している。ナポレオンの最初の妻であるジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの父も、富裕なマルチニークの農場主であった。
1815年3月百日天下の際にナポレオンはイギリスの歓心を得るために奴隷貿易を廃止した。奴隷貿易が廃止されると商業の中心はリュフィスク(1840年)、ダカール(1857年)へと移った。1872年サンルイと共にフランス式のコミューンが置かれた。ダカールも当初はゴレ・コミューンの一部だったが、1887年に独立した。1891年ゴレには2,100人、ダカールに8,737人の人口があった。1926年にはゴレ700人、ダカール33,679 人となり、1929年にゴレはダカールに統合された。
1960年セネガルの独立に伴い、セネガル領となる。
1978年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録。奴隷貿易の拠点として栄えた史跡を背景として、負の世界遺産にも数えられている。1996年の行政改革に伴いダカール市の19区の1つとしてのゴレ・コミューンが復活し、旧市役所が再利用されている。ゴレ・コミューンの議会は5年に一度選挙され、区長は議員により選ばれる。2002年以降の区長はオーギュスタン・サンゴール。
施設
世界遺産
登録基準
- (vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。
楽曲
この島を主題にした音楽作品にイアニス・クセナキスの『チェンバロとアンサンブルのためのゴレ島にて』がある。