1895年 (明治28年)下関条約にて清国より台湾及び遼東半島を割譲
第1条は「清国は朝鮮の独立を承認する。」
1895年 4月、ロシア+フランス+ドイツ(ロシア主導)3国による干渉にて遼東半島を清に変換する
(もし応じない場合3国と戦うことになるとの文書をドイツより提示される)
このことは、大日本帝国のより一層の富国強兵へつながる
後に第1次大戦時(1914~1918年)いち早く山東半島(ドイツ領)青島へ宣戦布告した。
1898年 3月 ドイツ、膠州湾(山東半島南海岸)租借条約締結
1898年 3月 ロシア、旅順・大連租借条約締結
1898年 7月 日本、漢口・沙市・天津租界専約を締結
兎に角弱肉強食の時代である
1904年 2月8日 日露戦争開戦
戦争目的と動機
大日本帝国: 三国干渉及び義和団の乱後満州を勢力圏としていたロシア帝国による朝鮮半島への南下(朝鮮 支配)を防ぎ、日本の安全保障を目的とした戦争
ロシア: 遼東半島の旅順・大連租借権等の確保と満州及び朝鮮における自国権益の維持・拡大を目的とした 戦争
日本のGDPはロシアの10分の1兵力日本20万に対しロシア200万とのことである
日本は戦費がないため短期決戦に臨んだ、
しかも戦争債発行し戦費を賄おうとしたため絶対に緒戦に勝つ必要があった(負ければ戦争債は誰も買わない)
1904年 12月 難航不落の203高地占領、旅順艦隊撃沈
203高地・旅順戦については下記HPに詳しく書いてあります。
特筆すべきは
〇 与謝野晶子 「明星」に「君死にたまうことなかれ」発表
旅順口包囲軍の中にいる弟を歎きて(当時は言論統制等はなかったようだ)
① 要塞を責めるには要塞の兵力の3倍以上必要
② 兵力の3分の一が死傷すると全滅ということだ、[残りの3分の2の将兵は戦意を喪失する}
(因みに、203高地の日本軍(乃木将軍)は5万の兵力のうち1万6千を失った6日間で)
左上部に203高地
③ 生き残りの将兵は2月19日最大の激戦地、奉天会戦へ向かった(日本軍:25万Xロシア軍35万)史上初の大 会戦である。
④ 大日本帝国海軍は黄海海戦・日本海海戦(1905年5月)にて当時最強のロシア艦隊を撃破し追撃した。
⑤ この戦争は世界各国の武官・マスコミが観戦した。
⑥ 有色人種が西欧列強の白人種のロシアを破ったということに全世界が衝撃を受 けたと共に極東の島国の日本軍の勇戦は全有色人種を奮い立たせた。
左乃木将軍とステッセル将軍 右旗艦三笠の東郷元帥
写真:http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/ 前回の歴史地図もこちらからいただきました
1905~1910年の東アジアの勢力図
1905年 9月5日 ポースマス条約(アメリカの仲介)時の大統領ルーズベルトはノーベル賞をもらった。
1909年 ハルピン駅で伊藤博文、暗殺
1910年 朝鮮併合
この併合はヨーロッパ列強が行った搾取中心(愚民化)政策と異なり社会資本の整備、教育制度改革を行った。
1912年 明治45年 明治天皇崩御