Quantcast
Channel: 持続可能な開発(水・土・廃棄物)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2268

マルコ・ポーロは、モンゴルに元寇をたきつけて、モンゴルのヨーロッパ侵攻を防いだと思う。ご意見募集

$
0
0

マルコ・ポーロ

Marco Polo生誕死没墓地職業著名な実績配偶者子供親
マルコ・ポーロの肖像[注 1]
1254年
Flag of Most Serene Republic of Venice.svgヴェネツィア共和国
1324年1月8日
Flag of Most Serene Republic of Venice.svgヴェネツィア共和国、ヴェネツィア
サン・ロレンツォ教会(en)
商人、冒険家
東方見聞録
ドナータ・バドエル
ファンティーナ、ベレーラ、モレッタ
父:ニコーロ・ポーロ
母:不明
テンプレートを表示
マルコ・ポーロ: Marco Polo1254年9月15日 - 1324年1月9日)は、ヴェネツィア共和国商人であり、ヨーロッパ中央アジア中国を紹介した『東方見聞録』(写本名:『イル・ミリオーネ (Il Milione)』もしくは『世界の記述 (Divisement dou monde)』)を口述した冒険家でもある。
 

旅の行程
 
 1269年、ニコーロとマフィオの兄弟はヴェネツィアに戻り、初めてマルコと会った。そして1271年後半[2]に兄弟は17歳のマルコとともに後に『東方見聞録』に記録されるアジアへの旅に出発した。一行が富と宝を得て戻ってきたのは24年後の1295年、全行程15,000kmの旅であった。
 
 彼らが帰還してから3年後、ヴェネツィアは敵対していたジェノヴァと交戦状態に入った。マルコは兵士として志願し従軍したが、ジェノヴァに捕らえられた。
 数ヶ月の収監中、彼は旅の詳細を口述し、これを書き留めたのが、彼と同じく投獄されていた職業的著述家のルスティケロ・ダ・ピサであった。
 しかしピサは、ここに彼自身が聞きかじった物事や他の逸話や中国からもたらされた伝聞などを勝手に加えてしまった。この記録は、マルコがアジアを旅したことを記録した『東方見聞録』 (The Travels of Marco Polo) として有名になり、中国、インド日本を含む極東の内実に関する包括的な視点に立った情報を初めてヨーロッパにもたらした。
  
 

影響

1450年にヴェネツィアの僧侶フラ・マウロが作成した地図

黄金の国ジパング

 マルコ・ポーロ(Marco Polo)は、自らは渡航しなかったが 日本のことをジパング (Zipangu)の名でヨーロッパに初めて紹介した。バデルが校正したB4写本では、三章に亘って日本の地理・民族・宗教を説明しており、それによると中国大陸から1,500海里(約2,500km)に王を擁いた白い肌の人々が住む巨大な島があり、黄金の宮殿や豊富な宝石・赤い真珠類などを紹介している。
 1274年、1281年の元寇についても触れているが、史実を反映した部分もあれば、元軍が日本の首都である京都まで攻め込んだという記述や日本兵が武器にしていた奇跡の石など、空想的な箇所もある。
 
 
 
 「黄金の国」伝説は、奥州平泉中尊寺金色堂についての話や遣唐使時代の留学生の持参金および日宋貿易の日本側支払いにが使われていた事によって、広く「日本は金の国」という認識が中国側にあったとも考えられる。 
 また、イスラム社会にはやはり黄金の国を指す「ワクワク伝説」があり、これも倭国「Wa-quo」が元にあると思われ、マルコ・ポーロの黄金の国はこれら中国やイスラムが持っていた日本に対する幻想の影響を受けたと考えられる。
 
 クビライが日本へ関心を抱いたのは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』によると、以下のように日本の富のことを聞かされ着目したからだとしている。

 
 「ジパング(日本国)は東方の島で、大洋の中にある。大陸から1500マイル離れた大きな島で、住民は肌の色が白く礼儀正しい。また、偶像崇拝者である。島では金が見つかるので、彼らは限りなく金を所有している。しかし大陸からあまりに離れているので、この島に向かう商人はほとんどおらず、そのため法外の量の金で溢れている。この島の君主の宮殿について、私は一つ驚くべきことを語っておこう。その宮殿は、ちょうど私たちキリスト教国の教会が鉛で屋根を葺くように、屋根がすべて純金で覆われているので、その価値はほとんど計り知れないほどである。床も二ドワの厚みのある金の板が敷きつめられ、窓もまた同様であるから、宮殿全体では、誰も想像することができないほどの並外れた富となる。また、この島には赤い鶏がたくさんいて、すこぶる美味である。多量の宝石も産する。さて、クビライ・カアンはこの島の豊かさを聞かされてこれを征服しようと思い、二人の将軍に多数の船と騎兵と歩兵をつけて派遣した」
 
 
 

モンゴル帝国

モンゴル帝国
Yeke Mongɣol Ulus ラテン文字転写)
1206年 - 1634年
モンゴル帝国の位置
モンゴル帝国の版図の変遷テムジンがチンギス・カンを名乗った1206年から1294年のモンゴル帝国(赤)の領域に続き、4つの領域国家のゆるやかな連邦体制に移行した帝国の版図を示した(1294年時点)。ジョチ・ウルス(黄)、チャガタイ・ウルス(濃緑)、イルハン朝(緑)、大元ウルス(紫)である。
公用語首都
モンゴル語
カラコルム
皇帝大ハーン
1206年 - 1226年1260年 - 1294年1603年 - 1634年
チンギス・カン(初代)
クビライ(第5代)
リンダン・ハーン(最後)
変遷
テムジンが大ハーンに推戴されチンギス・カンを称すクビライが大ハーン即位を一方的に宣言する朱元璋の立てた明により中国の地を追われる後金により滅亡
1206年
1260年
1368年
1634年
先代次代
:en:Khamag Mongolen:Khamag Mongol
ケレイトケレイト
ナイマンナイマン
金朝金朝
西夏西夏
天山ウイグル王国天山ウイグル王国
西遼西遼
南宋南宋
ホラズム・シャー朝ホラズム・シャー朝
セルジューク朝セルジューク朝
キプチャクキプチャク
キエフ大公国キエフ大公国
ウラジーミル・スーズダリ大公国ウラジーミル・スーズダリ大公国
:en:Kimek Khanateen:Kimek Khanate
元_(王朝)元_(王朝)
ジョチ・ウルスジョチ・ウルス
チャガタイ・ハン国チャガタイ・ハン国
オゴデイ・ハン国オゴデイ・ハン国
イルハン朝イルハン朝
明
清
モスクワ大公国モスクワ大公国
オスマン帝国オスマン帝国
モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原遊牧民を統合したチンギス・カン1206年に創設した遊牧国家中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルスYehe Monggol Ulus.pngYeke Mongɣol Ulus)すなわち「大モンゴル国」と称した。
 
 モンゴル帝国の創始者チンギス・カンと『四駿四狗』やその他の後継者たちはモンゴルから領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパアナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタンチベットミャンマー、東は中国朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた。最盛期の領土面積は約3300万km²で、地球上の陸地の約25%を統治し、当時の人口は1億人を超えていた。
 
 モンゴル帝国は、モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝(カアン、大ハーン)を中心に、各地に分封されたチンギス・カンの子孫の王族たちが支配する国(ウルス)が集まって形成された連合国家の構造をなした。
 
 中国とモンゴル高原を中心とする、現在の区分でいう東アジア部分を統治した第5代皇帝のクビライ1271年に、緩やかな連邦と化した帝国の、モンゴル皇帝直轄の中核国家の国号を大元大モンゴル国と改称するが、その後も皇帝を頂点とする帝国はある程度の繋がりを有した。この大連合は14世紀にゆるやかに解体に向かうが、モンゴル帝国の皇帝位は1634年北元滅亡まで存続した。また、チンギス・カン末裔を称する王家たちは実に20世紀に至るまで、中央ユーラシアの各地に君臨し続けることになる。
 
 
 
 

キエフ大公国

ルーシ
Русь
東スラヴ人
ハザール
ルーシ・カガン国
882年頃 - 1240年ハールィチ・ヴォルィーニ大公国
ウラジーミル・スーズダリ大公国
ノヴゴロド公国
ルーシの位置
公用語首都通貨
古東スラヴ語
キエフ
キエフ大公
882年 - 924年1239年 - 1240年
オレグ(初代?)
ダヌィーロ(最後?)
変遷
882年988年1037年1132年1240年
建国
キリスト教の導入
聖ソフィア大聖堂の建立
戦国時代
モンゴル来襲、キエフ陥落
グルィーヴナ
 
 キエフ大公国(キエフたいこうこく)は、9世紀後半から1240年にかけてキエフ首都とした東欧国家である。正式な国号はルーシ古東スラヴ語: Русь)で、日本語名はその大公座の置かれたキエフに由来する。
10世紀までにキリスト教の受容によってキリスト教文化圏の一国となった。11世紀には中世ヨーロッパの最も発展した国の一つであったが、12世紀以降は大公朝の内訌と隣国の圧迫によって衰退した。
 1240年モンゴル来襲によってキエフは落城し、事実上崩壊した。
 
 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2268

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>