中国の核実験
中国初の原爆実験と核兵器装備
1964年6月29日、東風2号の改良型東風2号Aの発射試験が成功(のち1966年には配備が始められた)。続いて7月19日、観測ロケットT-7A(S1)の打ち上げと回収に成功。生物学的実験のため8匹の白鼠を搭載して、603基地(安徽広誓節渡中国科学院六○三基地)より打ち上げられた。
そして1964年10月16日、第9学会で開発された初の中国核兵器(コードネーム596)が核爆発に成功した。中国の最初の原爆実験となった(596参照)。同10月27日には、核弾頭を装備した東風2号Aミサイルが酒泉より発射され、20キロトンの核弾頭がロプノールの標的上空569mで爆発した。
- 1966年11月山西省に国内二ヶ所目となる弾道ミサイル発射実験場、華北ミサイル試験場(华北导弹试验场)建設が決定する。
- 1966年12月26日、中国は初の中距離弾道ミサイル東風3号の試験に成功する。
- 1967年3月、開発中の092型弾道ミサイル搭載潜水艦にあわせて、潜水艦発射弾道ミサイル巨浪1号の開発を始める。
- 1967年6月17日、威力2メガトンの熱核爆発で、爆発高度地表130メートルの核実験が行われた。
- 1967年7月14日、米ソの宇宙開発競争が展開するなか、中国独自の有人宇宙計画を決定した[33]。
- 1967年12月27日、威力3メガトンの核熱爆発の空中核実験が行われた。
- 1968年1月に中国初の有人宇宙船が曙光1号と名づけられた[34]。
- 1968年4月1日、航天医学工程研究所が設立され、中央軍事委員会は宇宙飛行士選定の指令を出した。また、ソ連という新たな脅威に対応して、国境から離れた西昌市の山間部に新しい射場、27基地建設が決定。
- 1968年8月、初の衛星打ち上げロケット、風暴1号(风暴一号)の開発が上海第二機械電気産業局(Shanghai’s 2nd Bureau of Mechanic-Electrical Industry)で始まる。ロケットの2段目は東風5号を利用した。数ヵ月後、東風5号をベースにした衛星打ち上げロケット長征2号の開発が北京の第一宇宙学会(First Space Academy)で始まる。東風4号は長征1号の1段目と2段目に使用され、3段用は固体ロケットモータを新たに開発した。
- 1969年9月29日、威力3メガトンの核熱爆発の空中核実験が行われた。
- 1969年11月16日、長征1号初発射、失敗に終わる[35]。
- 1970年2月11日、日本初の人工衛星おおすみが打ち上げられ、日本に先を越されるが、4月24日、長征1号による中国初の人工衛星東方紅1号の打ち上げに成功する。これはソ連、アメリカ、フランス、日本によって最初に打ち上げられたどの衛星よりも重い衛星であった。
- 1970年10月14日、威力3メガトンの核熱爆発の空中核実験が行われた。
- 1971年3月3日、最後の長征1号を使用して中国2つ目の人工衛星、磁気センサと宇宙線/X線検知器を搭載した実践1号を打ち上げた。
- 1973年6月27日、航空機からの投下で、威力2.5メガトンの熱核爆発の核実験が行われた。カザフスタンの報告によると爆発高度は1000メートルである。
- 1976年11月17日、威力4メガトンの核熱爆発の地表核実験が行われた。
チベット地区における放射性廃棄物処理施設
中国はチベット地域にチベット側に合意をととらず秘密裏に核廃棄物処理場や核ミサイル基地建設を進めてきていたことが近年明らかになっており(チベット亡命政府 1998, 7章)、中国側もこれらの施設の存在については現在は否定していない。
中国は1991年4月、チベットにおける核兵器の配備と核廃棄物により核汚染が広がっているという主張に対し「全く根拠のない話」としたが、チベットへの核廃棄物投棄を認めている。
中国核国営公社(China National Nuclear Corporation)のユー・ディーリャンは「中国は、89年から93年まで、多大な費用をかけ、閉鎖された核兵器基地の環境状況の厳重管理にあたった」と述べている。
チベット人医師タシ・ドルマの報告によると、1993年の時点でリシュイ(Reshui)とガンズィ(Ganzihe)近辺で病気の発生率が異常に高く、第9学会付近で放牧していた遊牧民の子供たちのうち7人がガンで死亡した[57]。
- 同1993年、中国は甘粛省西側の乾燥地帯に初の放射性廃棄物投棄センター建設をはじめ、さらに中国南部、南西部、東部に建設計画中であった。廃棄物の地層処分は現在、国際的に深層処分が主流であるが、中国政府は浅層処分で 「充分に安全」としている。高レベル放射性廃棄物(HLW)用地について、チベットは北京からも離れているため「核廃棄物を投棄するには最適」ともされる(チベット亡命政府 1998, 7章)。
- 1995年7月、中国政府は、海北チベット族自治州のココノール湖附近に「20平方メートルに及ぶ放射性汚染物質用のごみ捨て場」があり、「軍の核施設(第九学会)により廃棄物は出たが、安全性は30年間完全に保たれ、環境への悪影響、基地で被爆者が出たことはない」と公式に発表した[59]。しかし、核廃棄物が当初の保管の仕方、また現在の管理の仕方、および危険性の調査について詳細は公表されていない。
- 1997年、中国は台湾の核専門家に対し「台湾で累積される放射性廃棄物の投棄場を提供する。6万バレルの核廃棄物を引き取る」と申し出たが、台湾は断っている[60]。
放射性廃棄物処分の現状と今後
1985年9月、旧核工業部科技核電局(現中国核工業集団公司、CNNC)は「高レベル放射
性廃棄物地層処分研究発展計画(DGD計画)」を策定し、1986年2月から研究開発およびサイト調査を開始した。このDGD計画に基づき、サイトの一次選定が行われ、候補地として西南地域、広東北部地域、内モンゴル地域、華東地域および西北地域の5地域が選出された。その後、各地域を比較した結果、現在、サイト選定作業はほぼ西北地域に集中し、極めて有望なサイトとして考えられている甘粛省北山およびその周辺区域においてボーリング調査を含むサイト調査が行われている。(図1、図2)
2006年2月20日、国防科学技術工業委員会、科学技術部および国家環境保護総局が共同で作成した「高レベル放射性廃棄物地層処分に関する研究開発計画ガイド」が正式に公表され、これには研究開発の全体構想や発展目標、計画綱要、第11次5か年計画中の研究開発課題および内容などが記載されており、今後はこのガイドに沿って研究が進められる。
中国における地層処分研究の目標は、今世紀半ばに高レベル放射性廃棄物の地層処分場を建設することとなっており、研究開発と処分場建設は以下の3段階に分けて進められる。
(1)2006年~2020年:実験室レベルでの研究開発と処分場のサイト選定、地下研究所の設計および処分場の概念設計、安全評価
(2)2021年~2040年:地下研究所の建設、地下研究所での各種試験、プロトタイプ処分場のフィージビリティ評価、建設申請および安全評価
(3)2041年~今世紀半ば:プロトタイプ処分場の建設と検証、処分場のフィージビリティ評価、建設申請および安全評価、処分場の操業申請および安全評価
中国広東省江門鶴山市で計画されていた原子力発電用ウラン燃料製造工場建設プロジェクトが、3日間にわたる地元民の抗議デモによって7月13日、白紙に戻った。「命が大事、GDPはいらない」「子供(孩子)が大事、核はいらない」--。そんなスローガンを掲げて1000人前後の市民が市政府庁舎前で工場建設反対の声を上げ、これを受けて市政府は工場建設計画を撤回した。
中国ではPX(パラキシレン)工場の反対デモなど環境に影響を与えそうな工場建設プロジェクトをデモ(デモは当局の許可がないと行えないので、中国語ではこれを『散歩』と呼ぶ)で阻止するのが最近の市民運動の1つの潮流となっているが、原発関連でこの手のデモが行われ、いったん調印された計画を差し戻した例はこれが初めてとなる。日本でも関心が高いニュースのようで、それなりに報道されていた。
日本のネットユーザーの間では、市民運動による原発関連計画の阻止が「あの中国」で実現したということがちょっと衝撃だったようだ。