原爆傷害調査委員会
原爆傷害調査委員会(げんばくしょうがいちょうさいいんかい、Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)とは、原子爆弾による傷害の実態を詳細に調査記録するために、広島市への原子爆弾投下の直後にアメリカが設置した機関である。
米国科学アカデミー(アメリカ学士院、NAS)が1946年に原爆被爆者の調査研究機関として設立。当初、運営資金はアメリカ原子力委員会(AEC)が提供したが、その後、アメリカ公衆衛生局、アメリカ国立癌研究所、アメリカ国立心臓・肺研究所(en:National Heart, Lung, and Blood Institute)からも資金提供があった。1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加した。
ABCCは調査が目的の機関であるため、被爆者の治療には一切あたることはなかった。 ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった。
沿革
- 1945年8月 広島・長崎に原子爆弾投下
- 1946年11月 原爆放射線被爆者における放射線の医学的・生物学的晩発影響の長期的調査を米国科学アカデミー-米国学術会議(en:United States National Research Council ; NRC)が行うべきであるとするハリー・トルーマン米大統領令が出され、10日後に4人の専門家が広島入り
- 1947年3月 広島赤十字病院の一部を借り受けて原爆傷害調査委員会(ABCC)開設
- 1948年1月 厚生省国立予防衛生研究所広島支所が正式にABCCの研究に参加、ABCCが広島市宇品町旧凱旋館に移転
- 3月 主要遺伝学調査開始
- 7月 長崎ABCCを長崎医科大学附属第一医院(新興善小学校)内に開設
- 10月 主要小児科研究プログラムを長崎で開始
- 1949年3月 主要小児科研究プログラムを広島県呉市で開始
- 7月 比治山で地鎮祭を行い、研究施設の建設を開始
- 1949年8月 ABCC被爆者人口調査開始
- 11月 長崎ABCC、長崎県教育会館へ移転
- 1950年1月 白血病調査開始
- 8月 成人医学的調査を広島で開始、その後長崎でも開始
- 10月 国勢調査の附帯調査として全国原爆被爆生存者調査を実施、全国で約29万人を把握
- 11月 比治山研究施設工事が完了、移転開始
- 1951年1月 胎内被爆児調査開始
- 1952年1月 死亡および死因の試行調査開始
- 1953年12月 広島ABCC施設内に10床の病室設置
- 1955年9月 剖検に協力した被爆者の第1回追悼法要(広島市寺町徳応寺)
- 11月 アメリカ原子力委員会(AEC、現エネルギー省)と学士院、学術会議でつくる「ABCCに関する科学的再検討特別委員会(フランシス委員会)」が研究計画の大幅見直しを提案、固定集団を基盤とする「統合研究計画」を勧告
- 11月 第1回ABCC日本側評議会を開催(東京)
- 1958年7月 成人健康調査開始
- 8月 国立予防衛生研究所(予研)と寿命調査に関する同意書が交わされ、日米共同研究体制の基盤が確立
- 1966年6月 第1回ABCCオープンハウス(長崎)
- 1975年2月 米国科学アカデミー視察団来訪、のち3月26日付でABCCに関する科学的再検討特別委員会の報告を作成
原爆障害調査委員会(ABCC)
Atomic Bomb Casualty Commission. 1945年8月に広島と長崎に原子爆弾が投下された。この原爆放射線被ばく者における放射線の医学的・生物学的晩発影響の長期的調査を米国学士院-学術会議(NAS-NRC)が行うべきであるとするハリー・トルーマン米国大統領令を受けて、米国学士院が1946年に原爆の被爆者の調査研究機関として設立した。
当初、運営資金は米国原子力委員会(AEC)が提供したが、その後、米国公衆衛生総局、国立がん研究所、国立心臓・肺研究所からも資金提供があった。1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加した。ABCCは、1975年4月に発足した(財)放射線影響研究所の前身である。