ニューヨークの移民の歴史: History of New York' Immigrants |
<移民の歴史> エリス島(Eris Island) ニューヨークにある、自由の女神が建つLiberty Islandという人工島の南側にあるエリス島は1892年から1954年にかけての約50年間、北米大陸への移民の玄関口でした。 ここはかつて、世界の各地からアメリカにやってくる移民者のうち、下級船室の乗客達の受け入れのための移民局があった場所です。 マンハッタンの南に浮かぶエリス島には、1892年から1954年まで移民局入国審査所が設置されていました。 面積はわずか11ha ですが、その間にここを通過した人は1200万にも上ります。最盛期には、日に5000人を数えたヨーロッパからの移民も1924年の移民制限法で、一時は移民の流入少なくなりましたが、第二次大戦後再びヨーロッパ系移民に代わって、ラテン・アメリカやカリブ、アジア、中東などからの増加が始まります。(現在、ニューヨーク市民の4人に1人は外国生まれ)この移民局は1990年からはエリス島移民博物館として公開されています。 アイルランド人 17世紀から始まったアイルランド移民は19世紀の末には、ニューヨーク市民の4人に1人がアイルランド人だったといわれます。彼らはカトリック教会の勢力拡大に大きく貢献し五番街のセント・パトリック大聖堂に祀られているのはアイルランド人の守護聖人です。 ドイツ人 1848年からドイツ三月革命の失敗やプロイセンに敷かれた徴兵法から逃れるため、多くのドイツ人がアメリカに移住しました。現在のイースト・ヴィレッジのトンプキンズ・スクエアは、「小ドイツ」と呼ばれたドイツ人居住区でした。現在ではドイツ語を話す移民は少ないそうです。 イタリア人 1870年以降、主に南イタリアやシチリア島から多くの移民がやって来ました。家族や地域社会に深い愛着を持ちレストラン、建設業、トラック運送業で着実に暮らしを築いていきました。マンハッタン南部のマルベリー通りを中心としたリトル・イタリーは、初期の移民たちが築いた町です。 ユダヤ人 1880年から1910年にかけての約30年間に、およそ150万人ものユダヤ人がニューヨークに渡ってきました。現在のロウワー・イースト・サイドに住み着き、一時はこの地区の最大勢力となりました。カナル通りの近くにあるエルドリッジ・ストリート・シナゴークは、ユダヤ人たちがニューヨークに建てた最初の大型ユダヤ教会です。 中国人 約50万人いるニューヨーク在住アジア人のうち、70%に当たる36万人が中国人です。南北戦争後に渡ってきたのは主に広東人で、鉄道建設現場や鉱山で肉体労働に従事しました。1980年代以降は香港や上海、台湾からの移民が急増しロウワー・イースト・サイドにあるチャイナタウンやクイーンズに暮らしています。 アフリカ系アメリカ人 現在、ニューヨークの人口の約4分の1に当たる175万人がアフリカ系アメリカ人です。彼らの多くは、今世紀に入って主にアメリカ南部から移住してきた人たちですが、ここ20年間はカリブ海諸国からの移住者も多くいます。黒人たちの中には、社会で成功して中流以上の生活レベルを維持している人たちがいる一方、マンハッタンのハーレムやブルックリンのベドフォード-スタイヴェサントなどには、失業やホームレスといった深刻な貧困状況を脱しきれずにいる人たちもいます。 東ヨーロッパからの移民 第一次大戦前の移民は、ウクライナ人、ポーランド人、リトアニア人など東欧の少数民族たちでした。1917年のロシア革命以後もそれほど多くはなかったロシア人は、第二次大戦の後から急増し、1987年のソビエト崩壊以後も増加しブルックリンに定着しています。 ラテン・アメリカからの移民 1990年の時点で、ニューヨークのラテン・アメリカ出身者の数は178万人。その数はアフリカ系アメリカ人と同じくらい。とくに多いのはプエルト・リコ人で、半数以上を占めています。1917年からプエルト・リコはアメリカの自由連合州になったため、ビザなしで自由に行き来できるようになったのが理由です。プエルト・リコ人が集中しているのはブロンクスと、マンハッタンのイースト・ハーレム(通称スパニッシュ・ハーレム)などです。プエルト・リコ人以外にも、キューバ人、ドミニカ人、コロンビア人など南米出身者が多くいます。 |