ソチ、ソーチ(ロシア語: СочиSochi、グルジア語: სოჭიSoch’i)は、ロシア連邦クラスノダール地方の都市で、ロシア随一の保養地である。黒海に面し、アブハジアとの国境に近い。人口は39万5012人で、ソチ都市圏は黒海沿いの145km[疑問点 ]に広がっている。
ソチは、2007年7月4日にシウダ・デ・グアテマラで開催されたIOC(国際オリンピック委員会)総会で、2014年冬季オリンピックの開催都市に決定した。ロシアでの冬季オリンピックは、ロシア帝国・ソビエト連邦時代も含めて史上初となる。
歴史
6世紀から11世紀にかけて、この地域はグルジアのコルキス王国(エグリシ王国、ラジカ王国)やアブハジアでラジカ王国から独立したアブハジア王国(780年-1008年)に属し、アドレル岬などに多くの教会が作られ、11世紀から15世紀はグルジア王国(978年–1466年)に属した。キリスト教徒の入植地はハザールなどテュルク系遊牧民に何度も打ち壊されてきた。11世紀のビザンティン建築のバシリカが現存している。15世紀からはオスマン帝国に領有された。
カフカース戦争と露土戦争の結果、海岸線地帯は1829年にロシアに割譲された。1838年、ソチ川の河口にカフカース戦争のために、アレキサンドリア要塞が建設された。クリミア戦争ではオスマン帝国の侵攻を防ぐために駐屯地が作られた。
カフカース戦争はこの地でのミハイル・ニコラエヴィチによる勝利宣言で終結した。しかし、その後、市の一部はオスマン帝国領となった。この時代に多くの民族が入植し国際色豊かな都市になった。ロシア革命期には白軍、ボリシェヴィキ、グルジア民主共和国の3勢力で激しい争奪戦の舞台となった。
1923年、トゥアプセからアブハジアへの観光客・療養者目的の鉄道が開通、今日では北カフカース鉄道の支線となっている。この地にダーチャを設けたヨシフ・スターリンに愛され、スターリン政権時代はソ連最大のリゾート都市に成長、多くのスターリン様式の豪華建造物が建てられた。
ニキータ・フルシチョフ政権時代にクリミア半島がロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移されると、ソチはさらに隆盛した。ウラジーミル・プーチン政権下でさらなる投資が行われた。