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Channel: 持続可能な開発(水・土・廃棄物)
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Ainu, First People of Japan, The Original & First Japanese

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 アイヌは、北海道樺太千島列島およびロシアカムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族である。母語アイヌ語。19世紀列強の国々の領土拡張の際、多くの先住民族が当該国に編入されたが、アイヌもその一つであり、現在、日本ロシアに居住する。
 
 元々、狩猟採集民族であるアイヌは、その産物で、現在のロシアハバロフスク地方アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島との間で交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。
1855年日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、それまで江戸幕府が異域(外国)とした北海道とその周辺地域において各々の領土が確定した以降は、日本人またはロシア人となり、現在、日本では、北海道地方の他に、首都圏等にも広く居住している。
 
 なお、北海道千島列島に残る地名の多くは、アイヌ語に由来する当て字である。また、しばしばアイヌの民族呼称として用いられることもあるウタリの本来の意味は、アイヌ語で人民・親族・同胞・仲間である。
 
 
 
 
Ainu, First People of Japan, The Original & First Japanese
 
 アイヌ
(ウタリ)[1]総人口居住地域言語宗教関連する民族
AinuGroup.JPG
アイヌ民族
23,782人
(2006年、調査に応じた人口、北海道内のみ[2]
(推計200,000人)[要出典]
日本北海道東京他)
ロシア樺太
日本語アイヌ語ロシア語
仏教アニミズムキリスト教正教会
 
 アイヌは形質人類学的には縄文時代の日本列島人と近く、本州以南が弥生時代に入った後も縄文文化を保持した人々の末裔であると考えられている。
 アイヌとはアイヌ自らの固有の言語であるアイヌ語で「人間」を意味する。アイヌの歴史は、考古学上の概念としてのアイヌ文化が成立した時に始まるが、後にアイヌと呼ばれるようになるエスニック・グループは、アイヌ文化が成立する遙か以前から存在していた点に注意が必要である。
 
 
 考古学的な意味でのアイヌ文化は、鉄製鍋、漆器の椀、捧酒箸(ほうしゅばし)骨角器の狩猟具、鮭漁用の鉤銛、伸展式の土葬など物質文化面での特徴を目印としている]
 またアイヌ文化には地域によって差異が存在していたことが知られている。間宮林蔵の『北夷分界余話』によると、樺太アイヌは犬橇スキーを使用するなど、オホーツク文化からの影響を伺わせる文化要素を取り入れていた他、近世に入っても土器の製作、竪穴式住居の使用という、北海道では中世アイヌ文化に限られる文化要素を保持していた。の形状も北海道アイヌとは異なり、胸甲と腰部の装甲が一体となった独特のものであった。
 樺太アイヌはミイラ製作を行うという点でも注目を集めている。ミイラ製作はオホーツク文化圏でも北海道のアイヌ文化でも行われない。
 
 
 擦文文化に継承された続縄文時代土器の文様には、アイヌの衣装に描かれる模様(アイヌ文様)との類似性があると指摘されるが、アイヌ文様は黒竜江流域や樺太中部~北部の諸民族の文様とも類似しており、その発生・系統を実証することは困難である。
 
 オホーツク海南沿岸で栄えたオホーツク文化には、ヒグマを特別視する世界観があった。これはアイヌ文化と共通するが、擦文文化の遺跡からはこれをうかがわせる遺物は検出されていない。アイヌにとって重要な祭祀である熊送りイオマンテ)が、オホーツク文化(今日のニヴフに連なる集団によって担われたと推定されている)に由来する可能性も、示唆されている。
 
 また、擦文文化からアイヌ文化の生活体系に移るに伴い、土器の製作や使用が廃れ、その代わりに本州から移入された鉄器漆器が生活用具として定着した。この点からは、アイヌ文化を生んだ契機に日本との交渉の増大があると考えられている。また、住居がそれまでのかまどを備えた竪穴式住居から、囲炉裏のみでかまどが排除された掘立柱建物チセへと変貌していった。

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