「どうやって立ち直ったの?」
人がアタシにそう聞く時
その人は、
「どうやったら子どもを立ちなおさせることができるのか」
というキーを探したがっています。
その答えを見つけるため
根堀り葉掘り色んなことを聞いてくる親もいます。
やめてくれえええ(´д`;;)
アタシにもトラウマというものがあるんだぃ。
んで、それらしきキーをアタシが語らないと見るや
露骨にがっかりされたりするんだけどね(苦笑
親にも親の立場というものがあるのだから、
悩み苦しむのは当然すぎるくらい当然だと思います。
しかし、
「一刻もはやく子どもに立ち直って欲しい」
という思いが、
「自分が安心したい、自分が楽になりたい」
…という気持ちだった時。
親だって
人間だから
苦しみから逃げたくて
当たり前かもしれないけど
子どもは
何よりも自分を愛してほしいんだよ。
親が
自分のために
自分の価値観で
自分のペースで
子どもを変えたがるから
子どもは傷ついて立ち直れなくなっていくんだよ。
「てっとりばやい解決方法を探そうとする」
その気持ちが
子どもの「回復」を遅らせてしまうんだよ。
中にはね、
たまたま親や周りの大人がとった方法が
子どもの中の何かに合致して、
それで子どもが動き出す場合もあるよ。
でも、それだって偶然にすぎないし
長い目で見た時に
子どもが本当の気持ちを抑えこんでしまっていて
また違う形で「問題」が現れる可能性もあるからね。
「不登校児」と呼ばれたアタシが
まわりの大人にしてほしかったこと
それは
「苦しい」ということを認めること
「苦しいから休ませることを認めてしまったら
もうこの子は自分から努力することをしなくなるだろう」
とでも想ったんだろうか?
なんて失礼な人たちなんだろう。
自分として生きて行こうとする気持ちは
誰から教えられるわけではない、
自分自身のこころから湧き出てくる力。
子どもだったアタシにも
人生経験の不足ゆえ
現実とずれた部分はいろいろあったけど
それは、いろんな出来事にぶつかるたび、
すこしずつ気づいていけばいいこと。
自分がどうしていきたいのか
考えようとする気持ちはあった。
その気持ちを
真摯さを
信じて欲しかった。
「駄目」だというレッテルを貼られてしまったら
本当に駄目になるほかないじゃないか。
ただ「休むこと」が必要だったから
よりよく生きていくためにどうしても必要だったから
たとえ、それでどんなリスクを負ったって
自分の選択は、自分の責任だ。
アタシは、学校を休んだ後悔なんて、一度たりともしていない。
後悔する人もいるけどね。
アタシはむしろ、その後、自分に嘘をついて学校に行ったことを後悔してたんだよw
それで、「再生」が後延ばしになって、今ごろになっちゃったから(まあいいけど。
その人にとって、なにがマイナスでプラスなんだか、わからないんだよね。
親の不安は
子どもへの「不信」であり、
「一般」「普通」から外れてしまう「不安」だ。
普通、なんて、
身分制度や、障害者、女性への差別があったような、
前世代から引き継いできた、
少数派を差別することで
多数派(と自分が想っている)人たちが安心するための
いいかげんな「概念」だゎ。
なにを普通としてるのかは
世間一般ではなく
自分自身の偏見によるものだと知りなさい。
そっから外れてしまったら
「変」だとか、「成長がなくなる」とか、
それはあなたの心が生んだ差別です。
その「差別」に
子どもを守るべき親がどっぷり漬かってるから
子どもが自分をおかしいと責めてしまうんだよ。
子どもに元気になってほしかったら、
親が、自分に向き合うことが、もっとも近道です。
余計な線引きが
あまりにこの世界に蔓延しているために
アタシたちはなんて余計なストレスにさらされ、
ささいなことにこだわって生きているんだろう。
人は成長するものです。
どんな道をとおっても、
その人がその人として生きて行こうとする限り、
やがて行き着くところへたどりついていくのだと想います。
「再生」の方法?
立ち直ったんじゃないよ。
乗り越えたんじゃないよ。
アタシは、
ひとつずつ、
余計な線引きをとっぱらって、
縛り付けた自分のこころを解放していくだけだよ。
自分以上のものになろうとするんじゃない。
この自分を愛して生きていくんだ。
長いこともがき苦しんで、ただ、たったひとつ、
そう思えただけ。
そう思えることが、どれだけすごいことだって思う?
アタシは弱さと欠落だらけのつまんない人間だケドさ。
自分が存在してることに感動して泣けたんだよ。
たったそれだけ。
アタシが、アタシに還っただけ。
それがアタシの「再生」だったよ。
人がアタシにそう聞く時
その人は、
「どうやったら子どもを立ちなおさせることができるのか」
というキーを探したがっています。
その答えを見つけるため
根堀り葉掘り色んなことを聞いてくる親もいます。
やめてくれえええ(´д`;;)
アタシにもトラウマというものがあるんだぃ。
んで、それらしきキーをアタシが語らないと見るや
露骨にがっかりされたりするんだけどね(苦笑
親にも親の立場というものがあるのだから、
悩み苦しむのは当然すぎるくらい当然だと思います。
しかし、
「一刻もはやく子どもに立ち直って欲しい」
という思いが、
「自分が安心したい、自分が楽になりたい」
…という気持ちだった時。
親だって
人間だから
苦しみから逃げたくて
当たり前かもしれないけど
子どもは
何よりも自分を愛してほしいんだよ。
親が
自分のために
自分の価値観で
自分のペースで
子どもを変えたがるから
子どもは傷ついて立ち直れなくなっていくんだよ。
「てっとりばやい解決方法を探そうとする」
その気持ちが
子どもの「回復」を遅らせてしまうんだよ。
中にはね、
たまたま親や周りの大人がとった方法が
子どもの中の何かに合致して、
それで子どもが動き出す場合もあるよ。
でも、それだって偶然にすぎないし
長い目で見た時に
子どもが本当の気持ちを抑えこんでしまっていて
また違う形で「問題」が現れる可能性もあるからね。
「不登校児」と呼ばれたアタシが
まわりの大人にしてほしかったこと
それは
「苦しい」ということを認めること
「苦しいから休ませることを認めてしまったら
もうこの子は自分から努力することをしなくなるだろう」
とでも想ったんだろうか?
なんて失礼な人たちなんだろう。
自分として生きて行こうとする気持ちは
誰から教えられるわけではない、
自分自身のこころから湧き出てくる力。
子どもだったアタシにも
人生経験の不足ゆえ
現実とずれた部分はいろいろあったけど
それは、いろんな出来事にぶつかるたび、
すこしずつ気づいていけばいいこと。
自分がどうしていきたいのか
考えようとする気持ちはあった。
その気持ちを
真摯さを
信じて欲しかった。
「駄目」だというレッテルを貼られてしまったら
本当に駄目になるほかないじゃないか。
ただ「休むこと」が必要だったから
よりよく生きていくためにどうしても必要だったから
たとえ、それでどんなリスクを負ったって
自分の選択は、自分の責任だ。
アタシは、学校を休んだ後悔なんて、一度たりともしていない。
後悔する人もいるけどね。
アタシはむしろ、その後、自分に嘘をついて学校に行ったことを後悔してたんだよw
それで、「再生」が後延ばしになって、今ごろになっちゃったから(まあいいけど。
その人にとって、なにがマイナスでプラスなんだか、わからないんだよね。
親の不安は
子どもへの「不信」であり、
「一般」「普通」から外れてしまう「不安」だ。
普通、なんて、
身分制度や、障害者、女性への差別があったような、
前世代から引き継いできた、
少数派を差別することで
多数派(と自分が想っている)人たちが安心するための
いいかげんな「概念」だゎ。
なにを普通としてるのかは
世間一般ではなく
自分自身の偏見によるものだと知りなさい。
そっから外れてしまったら
「変」だとか、「成長がなくなる」とか、
それはあなたの心が生んだ差別です。
その「差別」に
子どもを守るべき親がどっぷり漬かってるから
子どもが自分をおかしいと責めてしまうんだよ。
子どもに元気になってほしかったら、
親が、自分に向き合うことが、もっとも近道です。
余計な線引きが
あまりにこの世界に蔓延しているために
アタシたちはなんて余計なストレスにさらされ、
ささいなことにこだわって生きているんだろう。
人は成長するものです。
どんな道をとおっても、
その人がその人として生きて行こうとする限り、
やがて行き着くところへたどりついていくのだと想います。
「再生」の方法?
立ち直ったんじゃないよ。
乗り越えたんじゃないよ。
アタシは、
ひとつずつ、
余計な線引きをとっぱらって、
縛り付けた自分のこころを解放していくだけだよ。
自分以上のものになろうとするんじゃない。
この自分を愛して生きていくんだ。
長いこともがき苦しんで、ただ、たったひとつ、
そう思えただけ。
そう思えることが、どれだけすごいことだって思う?
アタシは弱さと欠落だらけのつまんない人間だケドさ。
自分が存在してることに感動して泣けたんだよ。
たったそれだけ。
アタシが、アタシに還っただけ。
それがアタシの「再生」だったよ。