Quantcast
Channel: 持続可能な開発(水・土・廃棄物)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2268

[転載]「周縁から見た中世日本」

$
0
0
大石直正、高良倉吉、高橋公明「周縁から見た中世日本」(日本の歴史、第14巻、中世史の論点)講談社、2001.12.10

1.北の周縁、列島東北部の興起(大石直正)

●東北地方は、中世には、日本の東の端(東山道の端)と考えられており、「日之本」(ひのもと)と呼ばれていた(北の端は北陸道の端である佐渡)。
●奥州藤原氏は、アイヌと交易し、アザラシの皮や鷲の羽を京都に納めていた。
●鎌倉時代末期、津軽でエゾの反乱→日蓮は、蒙古襲来と同次元で考え、東西から日本を襲う国難とした。
●アイヌは、大陸に渡り元軍と交戦。
●1456年、夷島(えぞがしま、北海道)でコシャマインの蜂起。戦いは1525年まで続く。
●十三港(とさみなと)が交易の中心として栄え、安藤氏(後の安東氏)が「日之本将軍」といわれる。
●若狭の武田氏が、下北に渡り蠣崎氏となり、さらに北海道の松前氏となる。江戸時代の松前氏は、石高のない特殊な大名となり、アイヌとの交易を独占。

2.琉球の形成と環シナ海世界(高良倉吉)

●沖縄では、縄文土器は大量に出土、弥生土器は少なく、古墳はない→時代が下るに連れ、日本の影響が薄れる。日本書紀等では、種子島、屋久島以南は「南島」と呼ばれ、統治区域外。先島は、沖縄、奄美と異なり、縄文土器も弥生土器もなく、シャコ貝の加工やストーン・ボイリング(石焼)など南方文化だった。
●琉球は、明と日本の海禁政策の下で、活動できなくなった中国の貿易商人に取って代わり、中国、日本、朝鮮、東南アジアの多国間貿易ネットワークの中継地となる。
●尚真が、地方で力を持っていた按司(あじ)を首里に移住させ、中央集権制を固め、宮古、八重山を征服。文字は、漢文と仮名文を用いる。
●海禁に逆らう民間パワー(倭寇)が増大→貿易が民間に奪われ、琉球の力が低下。東南アジアへの渡航は1570年が最後。

3.海域世界の交流と境界人(高橋公明)

●海域世界では、国家の境界があいまい。
●朝鮮は、倭寇対策として、対馬、壱岐、北九州の海賊的武士、商人に、受職人という官職と印を与えていた。対馬の宗氏は、朝鮮から文引(パスポートやビザのようなもの)の発給権を認められていた。
●済州島の海賊は、倭人の言語や衣服を用いる。遼東半島の南の海浪島(ヘランド)が、済州島民の根拠地となり、漢人、女真人、逃亡した罪人などと雑居。
●耽羅(済州島の古名)は、大和朝廷に毎年使節を派遣(679年、新羅に服属後も2回派遣)。高麗になっても独自の政治秩序を持ち外国と扱われた。12世紀から高麗に組み込まれ、役人が派遣された。元の滅亡後も、すぐには高麗の支配に服さず、モンゴル系人などの反乱が起きる。

(2006.5読了)

転載元: 世界日本化計画


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2268

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>