水俣病で漁民が工場乱入
1959年11月02日
汚染の特にひどい水俣湾沿岸では漁に出ても魚が売れず、船だまりに係留されたままの漁船 1960年4月 熊本・水俣
工場排水が水俣病の原因となった新日本窒素水俣工場 1960年4月 熊本・水俣
水俣病のために操業できなくなった熊本県不知火海沿岸の漁民2000人が、水俣市立病院で国会調査団に対策を陳情した後、市内をデモ行進。海を汚染したと見られていた新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場に押しかけた。漁民は工場内に乱入して警官隊約250人ともみ合い、保安事務所や工場長室などの設備を破壊した。この騒ぎで漁民、工場側、警官隊に数十人の重軽傷者が出た。