カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年に、PCBなどが混入した食用油を摂取した人々に障害等が発生した、主として福岡県、長崎県を中心とした西日本一帯の食中毒事件。油を摂取した患者からは、皮膚に色素が沈着した状態の赤ちゃんが生まれた。胎盤を通してだけでなく、母乳を通じて新生児の皮膚が黒くなったケースもあった。この「黒い赤ちゃん」は社会に衝撃を与え、事件の象徴となった。学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めている[1]。
概要
福岡県北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)にあるカネミ倉庫株式会社で作られた食用油(こめ油・米糠油)[2]「カネミライスオイル」の製造過程で、脱臭のために熱媒体として使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、配管作業ミスで配管部から漏れて混入し、これが加熱されてダイオキシンに変化した。このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡(クロルアクネ)など肌の異常、頭痛、手足のしびれ、肝機能障害などを引き起こした。
当時はPCBの無害化技術も確立していない時代であり、カネミ油症の原因物質であるライスオイルは不適切な処理をされた蓋然性がきわめて高い。カネミ倉庫の事業所が存在する北九州市及び大阪市では、ダイオキシン類の一つであるコプラナーPCBが河川及び港湾の底質から基準を超えて検出されている。
原因の究明まで
1969年、医学専門誌『福岡医学雑誌』60巻5号には、患者から生まれた死産女子の解剖結果が報告されている。そこでは、副腎皮質が奇形であったことが示唆され、性器の肥大・突出があったことも書かれている。
1971年、専門誌『産科と婦人科』8月号に患者の性機能に関する報告が掲載された。経血が茶褐色に汚くなったことや性ステロイドの減少が見られることをふまえ、「PCB中毒はあらゆる意味で女性性機能を障害すると考えざるを得ない」とまとめている。翌年、『福岡医学雑誌』63巻10号は「PCBには女性ホルモンを増強する作用がある」と報告した。
1975年、長山淳哉[4]らの研究により、ダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)が事件に関係していることが判明した。
2002年に当時の坂口厚生労働大臣が、厚生官僚の反対を押し切り「カネミ油症の原因物質はPCBよりもPCDFの可能性が強い」と認めた。発症の原因物質はPCDF及びCo-PCBであると確実視されており、発症因子としての役割は前者が85%、後者が15%とされている。
被害認定
日本全国でおよそ1万4,000人が被害を訴えたが、認定患者数は2006年末現在で1,906人と少ない。うち、相当数が既に死亡している。家族が同じ物を食べて被害にあったにも拘らず、家族のうち1人だけが被害者に認定されるケースもあるなど、認定の基準が被害者には曖昧なものであった。
2004年9月厚生労働省の所管組織である国の「油症治療研究班(九州大学医学部を中心とする研究グループ)」は、新たに血液中のダイオキシン濃度を検査項目に加えた新認定基準を発表した。また、自然界では、ダイオキシンに曝露したことの影響と見られる生殖器官の異常など動物の奇形も見られるが、直接の被害者が男性の場合、精子など遺伝子へのダイオキシン類による被害があっても、親から子へと胎内を通じて直接、子孫に影響があると考えられる女性とちがい、血中のダイオキシン濃度測定だけでは、世代を超えた影響は関知しえないという問題もある。
裁判
民事
1970年、被害者らは食用油を製造したカネミ倉庫・PCBを製造した鐘淵化学工業(現・カネカ)・国の3者を相手取って賠償請求訴訟を起こした。二審では被害者側が国に勝訴し、約830人が仮払いの賠償金約27億円を受け取ったが、最高裁では逆転敗訴の可能性が強まったため、被害者側は訴えを取り下げた。この結果、被害者らには先に受け取った仮払いの賠償金の返還義務が生じることになったが、既に生活費として使ってしまっていたケースも多く、返還に窮した被害者の中からは自殺者も出るに至った。なお、カネカは仮払い金の返還を請求する権利を有していたが、被害者らがカネカに責任がないことを認める代償として仮払い金の返還請求権を行使しないという内容で和解に至った。
提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団にわかれて提訴された。全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為その後の認定患者への責任は無いとしている。
2008年5月「カネミ油症新認定訴訟」を福岡地裁小倉支部に提出するが、カネミ倉庫(株)の製造・販売した過失を認め、原告らがカネミ汚染油を摂取した為に、カネミ油症にり患したと認めながら、「除斥期間により権利が消滅している」として、原告全員の請求を棄却した[5]。原告は控訴していたが、福岡高裁は2014年2月24日、一審判決を支持しこれを棄却。2015年6月2日に最高裁が上告を棄却し、判決が確定した。
刑事
当時の社長・加藤三之輔と工場長が業務上過失傷害容疑で告訴された。社長は無罪。工場長は一、二審とも禁錮1年6月の実刑判決を受け、服役した。
現状
発生から年数が経過し、事件の風化が進んでいたが(特に首都圏など東日本では)、2004年の認定基準の見直しなどもあって、事件が再び注目を集めることとなった。仮払金の返還問題についても、特例法による国の債権放棄など、被害者救済に向けた検討が与野党で始まっている。ただ、なお残る健康被害、被害者への差別・偏見など、問題は多く残されている。
被害者の検査は定期的に行われているが、具体的な治療法も発見されておらず、認定者の高齢化もあいまって、検査に訪れる人は年々少なくなっている。またPCBは内分泌攪乱化学物質の疑いがあるため、被害者の子供、その孫にも実質的に被害が及んでいる可能性があるが、先にも述べたとおり、被害者の認定が曖昧なため、実質、どの程度影響しているのか、調査も進んでいない。
こうした状況を受け、自民党と公明党は、被害者とその遺家族を救済するための法案を作り、野党の協力も得て2007年5月に衆議院の農林水産委員会で可決させた。野党側も法案に異論を示していないため、同年の通常国会で成立した(カネミ油症事件関係仮払金返還債権の免除についての特例に関する法律(平成十九年六月八日法律第八十一号))。結果一定の収入基準以下の被害者に対する仮払金返還請求を国が放棄し仮払金問題は一応決着するにいたった。そのほか国が2008年1回に限り油症の定期健康診断を受けた患者に対し20万円の健康管理手当を支給することが決定した。
しかしまだ、カネミ倉庫株式会社の棚上げになっている500万円の未払い補償金問題(医療費自己負担分の支払いをカネミ倉庫株式会社が続ける限り500万円の和解金に関しては強制執行等行わないとして和解したため、カネミ倉庫株式会社からは一律23万円の一時金しか支払いがなされていない)が残っている。
現状において、カネミ倉庫株式会社が医療費自己負担分の支払い原資としているのは、農林水産省から預託された政府保管米の預託料の年間約2億円で、うち約6000万円程度が医療費支払いに充てられている。福岡県と長崎県の場合、被害者の多い地区では油症患者医療券を窓口で提示すれば一部の医療機関では自己負担分の支払いなしで受診可能である。しかし、それ以外の地区ではいったん自己負担した後領収書を郵送し、後日(一ヶ月後)ゆうちょ銀行口座に振り込まれるようになっている。
1970年の三者合意によって、カネミ倉庫に対して政府保管米を随意契約によって預託し、その保管料年間2億円によって被害者の医療費助成が行われていたが、2010年9月をもって政府はその契約を政府保管米事業の民間委託に伴い解除した。2011年以降、米の入庫が行われなくなったため被害者の間で医療費の支払いに関して不安が広がっていた。同年秋、農水省は政府保管米事業の業務委託契約を一部変更し、必要な場合には預け先を指定できるとする内容に変更し、カネミ倉庫への政府保管米預け入れ業務が再開された。
2012年8月29日、「カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律案」が参議院本会議で可決成立した。内容は
- 国が年1回行なう認定患者及び同居家族への健康調査に対する協力費名目で年間19万円を支給すること
- 国はカネミ倉庫の経営支援として、委託している備蓄米の保管量を増やし、代わりにカネミ側が未払いの一時金(年5万円)を認定患者に支払うこと