【池上彰】台湾での2 28事件に関して解説
池上彰さんが信州大学経済学部の学生に向けて現代史を講義する一幕。
台湾に進駐した国民党軍に対する台湾の人々からの不満が次第に高まる中、2.28事件が勃発することに…
「日本文化」と「中華文化」の衝突をめぐる二・二八事件
大漢族主義による「省籍矛盾」の生成
伝統中国における秩序形成の論理には、「化外におく」論理がある。それは、同じ空間内において、全体の調和、安寧が乱されない限り、皇帝の徳による教化を理解できない民(=化外の民)がいても、そのまま放置することである。この考え方を強調して、華夷思想とも呼ばれる。
伝統中国における秩序形成の論理には、「化外におく」論理がある。それは、同じ空間内において、全体の調和、安寧が乱されない限り、皇帝の徳による教化を理解できない民(=化外の民)がいても、そのまま放置することである。この考え方を強調して、華夷思想とも呼ばれる。
しかし、この「徳治」に基づく辺境に対する統治方法は、日本の近代国家形成により、見直しを迫られることと
なった。
日本は、近代国家の要件たる領土・国境の画定と、その領域における排他的・一元的な主権の確立をめざし、「日中両属」であった琉球王国を一方的に併合し、琉球の日本国内植民地化を実現した。さらに、日本は1871年の牡丹社事件を口実に使って、台湾出兵を行った。この台湾出兵の影響として、清国は台湾の国防価値を重視するようになり、それまで清国の本土から遠く離れた無用の孤島や「化外の地」と見なされていた台湾に対する支配はより実質的となり、「教化」(中国化)による国内植民地化の方向に転じた。
茂木敏夫(2004)によると、このような辺境を均質化していく近代的領土支配は領土支配への再編であると同時
に、二元的構造を「中国」という枠組のもとに一元化していくという、もうひとつの再編をともなう二重の再編で
あった20。また、こうした中国への一元化は結局、<漢―非漢>による<大―小>、<多数―少数>という<強―弱>の構造を生じさせることになった。
に、二元的構造を「中国」という枠組のもとに一元化していくという、もうひとつの再編をともなう二重の再編で
あった20。また、こうした中国への一元化は結局、<漢―非漢>による<大―小>、<多数―少数>という<強―弱>の構造を生じさせることになった。
この漢と非漢の対立構造は、清国が打ち倒され、中華民国が成立した後も続いていた。中華民国政府は伝統的な華夷主義を批判しながらも、「先進―後進」の構造については疑念をさしはさむことなく、「先進的」な漢族によって少数民族を同化するという政策を採用した。茂木はこの状況に対して、「これは孫文以来の大漢族主義を突破するものではなかった」21と指摘する。
ここでの大漢族主義の視点によって二・二八事件を検討すると、大漢族主義に基づく統治手法は、台湾での「省
籍矛盾」を生成させたことが推察できる。すなわち、外省人が台湾本省人より優位に立つという思想にしたがって、「未熟」な台湾人を教化するために、専制政治の必要があるとされ、日本植民地統治と同様な独裁統治体制が立ち上げられた。
台湾接収後の陳儀政権は「行政長官公署」を設けた上、「台湾省行政長官公署条例」により、行政長官(=陳儀)に省の諸般の行政権限や、中央政府の在台機構を指揮、監督する権限、また署令、単行法規を制定する権限を付与する。これによって、行政長官が行政と軍事の権力をあわせもち、独裁的な統治体制が形成された。
こうした行政長官公署による独裁の統治体制は日本総督統治体制の継承と見なされる。のみならず、これら専制独裁に基づく「公民訓練」や「祖国化教育」運動の推進は、台湾人を不平等なエスニック権力編成に組み込み、「省籍矛盾」を生みだしたといえよう。
籍矛盾」を生成させたことが推察できる。すなわち、外省人が台湾本省人より優位に立つという思想にしたがって、「未熟」な台湾人を教化するために、専制政治の必要があるとされ、日本植民地統治と同様な独裁統治体制が立ち上げられた。
台湾接収後の陳儀政権は「行政長官公署」を設けた上、「台湾省行政長官公署条例」により、行政長官(=陳儀)に省の諸般の行政権限や、中央政府の在台機構を指揮、監督する権限、また署令、単行法規を制定する権限を付与する。これによって、行政長官が行政と軍事の権力をあわせもち、独裁的な統治体制が形成された。
こうした行政長官公署による独裁の統治体制は日本総督統治体制の継承と見なされる。のみならず、これら専制独裁に基づく「公民訓練」や「祖国化教育」運動の推進は、台湾人を不平等なエスニック権力編成に組み込み、「省籍矛盾」を生みだしたといえよう。
中略
蒋介石に関わる2つの記念日を廃止する草案は、最初与党の民進党の党内会議であげられた。2007年4月4日の新聞報道によって、蒋介石の記念日の代わりに、言論の自由を追求するために焼身自殺した鄭南榕(1947-1989)の忌日を「言論自由記念日」に定める案が取り上げられた。新しい記念日はまだ制定にまで至っていないが、これらの動きから、現在の台湾における「脱蒋介石化」の確実な進行が確認できるだろう。
ただし、蒋介石政権の象徴的な建物の取り壊しの後に何が新しく建てられるかは興味深い。蒋介石を記念する祝日を廃棄し、その代わりにだれかを記念しよう、という動きはいままでの国民統合と変わらない。あくまでも、過去の権威を簒奪し、自由や民主主義で上塗りする手法であろう。
ただし、蒋介石政権の象徴的な建物の取り壊しの後に何が新しく建てられるかは興味深い。蒋介石を記念する祝日を廃棄し、その代わりにだれかを記念しよう、という動きはいままでの国民統合と変わらない。あくまでも、過去の権威を簒奪し、自由や民主主義で上塗りする手法であろう。
戦後の国民党による台湾の国内植民地化の結果としての二・二八事件を繰り返さないために、いままでの植民地主義の構造に焦点を当てながら、現在目にする植民地主義の変質や、隠蔽される差別と搾取の構造を徹底的に問わなければならない。
台灣的歷史—光復初期與二二八事件