カネミ油症被害者の現状― 40年目の健康調査
はじめに
今から40余年前の1968(昭和43)年10月10日、人類史上初の大規模有機
塩素系化合物による食中毒事件がマスコミによって報道された。これがカネ
ミ油症事件の始まりであった⑴。しかし、初期の報道が特徴的な皮膚症状に
集中したために皮膚科以外の多くの研究者の注目を十分に引かなかった。そ
の後の研究によって本症は決して皮膚症状だけでなく、ほとんど全身の症状
であることが明らかになってきた。カネミ油症は皮膚症状が特徴的で目立つ
症状であったとしても、初期から決して皮膚症状に限らず、多彩な症状(全
身の)であったことは明らかであった⑵。
さらに、黒い赤ちゃん(胎児性油症)の存在が報道されることによって、
世間の関心はさらに高まった。胎児性水俣病は人類史上初の胎盤経由の胎児
の中毒事件であり、胎児性油症も世界に類のない(人類史上初の)経験であっ
た(3,4,5,6)。したがって、本共同研究の一人である原田は胎児性水俣病の研究
中であったためにその長期予後について強い関心をもち、胎児性油症患者の
実態を調査したいと考えていた。胎盤を経由して胎児に重大な影響を与える
ことは胎児性水俣病に次いで人類史上重大な経験であったから医学者なら誰
でも強い関心をもつ筈であった。
今から40余年前の1968(昭和43)年10月10日、人類史上初の大規模有機
塩素系化合物による食中毒事件がマスコミによって報道された。これがカネ
ミ油症事件の始まりであった⑴。しかし、初期の報道が特徴的な皮膚症状に
集中したために皮膚科以外の多くの研究者の注目を十分に引かなかった。そ
の後の研究によって本症は決して皮膚症状だけでなく、ほとんど全身の症状
であることが明らかになってきた。カネミ油症は皮膚症状が特徴的で目立つ
症状であったとしても、初期から決して皮膚症状に限らず、多彩な症状(全
身の)であったことは明らかであった⑵。
さらに、黒い赤ちゃん(胎児性油症)の存在が報道されることによって、
世間の関心はさらに高まった。胎児性水俣病は人類史上初の胎盤経由の胎児
の中毒事件であり、胎児性油症も世界に類のない(人類史上初の)経験であっ
た(3,4,5,6)。したがって、本共同研究の一人である原田は胎児性水俣病の研究
中であったためにその長期予後について強い関心をもち、胎児性油症患者の
実態を調査したいと考えていた。胎盤を経由して胎児に重大な影響を与える
ことは胎児性水俣病に次いで人類史上重大な経験であったから医学者なら誰
でも強い関心をもつ筈であった。
現地を訪れ実際に患者を診察する機会が来たのは1974年夏のことであっ
た。当時、久留米大学医学部公衆衛生学(高松誠教授)の非常勤講師であっ
た原田は高松教授と共に長崎県五島の玉之浦の調査に参加することが出来
た。その時は、小児患者を中心に胎児性油症を診察することができた。その
後、1981年に再度、小児性と胎児性患者のことが気になって2回目の調査を
行った。幸いなことに様々な症状を持ちながらも子どもたちは健気に頑張っ
ており、メチル水銀と異なって神経症状は目立たず一見順調に発育している
かのようにみえた。しかし、メチル水銀と異なって症状が見えにくいことは
気づかれていた。子どもたちは皮膚症状もさることながら、自律神経系や精
神面(情意面)の障害がみられたが、専門家でないとややもすれば見逃され
る種類の症状であった(5,6,7,8,9)。
その後の経過について原田は気にかかりつつも、現地を訪れることはな
かった。もちろん、九州大学の油症研究班によってその後も地道な研究調査
が続けられてはいたのだが、長い間油症事件は世間(マスコミなど)からも
医学会からも忘れ去られたかのように話題になることは少なかった。ところ
が、2000年になって再度、五島を訪れる機会が突然訪れた。それは油症患
者の矢野忠義、トヨ子夫婦の訪問であった。それは1999年のことであった。
原田を含めて医学も行政も(九大の油症班を除いて)あまりにも実態の解明
(追跡調査)を怠っていたことに愕然とした。それ以来、自分自身の罪滅ぼ
しのつもりで有志を募り、少数ではあるが未認定を含む油症患者の検診を行
い、できる限りの問題提起をしてきた(7,8,9,10,11,12,13,14)。
カネミ油症事件がおこってから32年目になる2000年から2004年にかけて、
主として五島市玉之浦地区、奈留地区を中心に、61人について臨床的調査を
行った。その契機となったのは仮払金の問題であった。裁判が和解になった
ことで一審判決で支払われていた仮払い金を国が戻すように要求してきたの
であった。それこそ、患者や家族はパニック状態に陥ってしまった。矢野夫
妻から話を聞くまで全く事情を知らなかった原田は、自らの怠慢と無知を恥
じ、これは大変なことだと思った。それから患者さんの訪問診察が始まった
のであった。幸い調査にはボランティアの医師(衛生学、神経内科、精神神
経科、皮膚科と熊本学園大学社会福祉学部大学院生(看護師)の協力を得て
現地検診を重ねることができた(13)。
妻から話を聞くまで全く事情を知らなかった原田は、自らの怠慢と無知を恥
じ、これは大変なことだと思った。それから患者さんの訪問診察が始まった
のであった。幸い調査にはボランティアの医師(衛生学、神経内科、精神神
経科、皮膚科と熊本学園大学社会福祉学部大学院生(看護師)の協力を得て
現地検診を重ねることができた(13)。
2005年7月3日、その結果は「カネミ油症に関する意見書」として人権侵
害の訴えの資料として当時の坂口力厚生労働大臣に提出した(14)。関係者の
努力によって仮払金の問題は一応の解決をみた。しかし、仮払金の問題が一
応の政治決着をみたからといって問題が解決したわけではない。救済の内容
や認定基準の問題、未認定患者の救済問題など問題は山積している(15)。
患者は高齢化しており時間はあまりない。明らかに症状は悪化している。
そこで、その実態の一部を明らかにすることが世界初の有機塩素系化合物に
よる中毒の実態の一部を明らかにすることになると考えている。
本報告は第3次(2009年8月、2010年7月)の油症実態調査の報告である。
第1章 実際の症例
2009年8月8日・9日、長崎県五島市玉之浦、奈留の2ヶ所で成人50名の
検診を行った。さらに、翌2010年に同地区の受診希望者が9名加わり、合
計59名となった。検診の目的は認定、未認定を問わずカネミ油摂食者が40年
後の今日、どのような症状の変化があるかを明らかにすることであった。実
際の患者の数は膨大で、受診希望者が多数で全員を調査・検診することは短
期間で、しかもボランティアでは不可能である。しかし、この種の事件にお
ける臨床的・疫学的調査は大多数を検診せずともその実態はモデルとして明
らかになり、それを基に救済対策の立案・実行は可能である。医学的実態の
不明確さが救済の怠慢の口実に使われてはならない(水俣病事件などのよう
に)。
参加した医師は5名、看護師4名、聞き取りなどのサポーター(支援者)
多数であった。
カネミ油症事件の10年後に同じような事件が台湾で起こったが、症例の一
人一人が世界初の他に類のない症例であるから貴重である(15,16,17,18)。考えて
みると少数例の場合は症例報告として報告されるが、多数の場合には個々の
症例の具体的な報告は軽視されがちである。そこで、本報告では家族の認定
患者の有無、自覚症状、皮膚症状と既往歴(過去の病歴)および現在治療中
害の訴えの資料として当時の坂口力厚生労働大臣に提出した(14)。関係者の
努力によって仮払金の問題は一応の解決をみた。しかし、仮払金の問題が一
応の政治決着をみたからといって問題が解決したわけではない。救済の内容
や認定基準の問題、未認定患者の救済問題など問題は山積している(15)。
患者は高齢化しており時間はあまりない。明らかに症状は悪化している。
そこで、その実態の一部を明らかにすることが世界初の有機塩素系化合物に
よる中毒の実態の一部を明らかにすることになると考えている。
本報告は第3次(2009年8月、2010年7月)の油症実態調査の報告である。
第1章 実際の症例
2009年8月8日・9日、長崎県五島市玉之浦、奈留の2ヶ所で成人50名の
検診を行った。さらに、翌2010年に同地区の受診希望者が9名加わり、合
計59名となった。検診の目的は認定、未認定を問わずカネミ油摂食者が40年
後の今日、どのような症状の変化があるかを明らかにすることであった。実
際の患者の数は膨大で、受診希望者が多数で全員を調査・検診することは短
期間で、しかもボランティアでは不可能である。しかし、この種の事件にお
ける臨床的・疫学的調査は大多数を検診せずともその実態はモデルとして明
らかになり、それを基に救済対策の立案・実行は可能である。医学的実態の
不明確さが救済の怠慢の口実に使われてはならない(水俣病事件などのよう
に)。
参加した医師は5名、看護師4名、聞き取りなどのサポーター(支援者)
多数であった。
カネミ油症事件の10年後に同じような事件が台湾で起こったが、症例の一
人一人が世界初の他に類のない症例であるから貴重である(15,16,17,18)。考えて
みると少数例の場合は症例報告として報告されるが、多数の場合には個々の
症例の具体的な報告は軽視されがちである。そこで、本報告では家族の認定
患者の有無、自覚症状、皮膚症状と既往歴(過去の病歴)および現在治療中
の疾病を拾い上げた。過去の病歴については時間をかけて調査をしたが、も
ちろん完璧ではないことは言うまでもない。従来、各専門家ごとにバラバラ
に捉えられていた油症を総合的に捉えようとする1つの試みであることを付
け加えておきたい。患者は受診希望者順である。
以下、各症例は年齢、性別、認定の有無、家族内認定患者の有無、残存皮
膚症状、自覚症状、皮膚科以外の疾病(既往歴、治療中)、症状の程度の順
に記載した。
№1:80歳、女性。未認定。家族に認定患者あり(夫、長男)。
斑状色素沈着、皮下出血。頭痛、視力低下、両膝関節痛。
高血圧、甲状腺腫(手術)、骨粗しょう症、白内障、歯牙障害。高次脳機
能障害(失行、失認)。日常生活支障度⑵。
№2:82歳、男性。未認定。家族に認定患者あり(父、娘)。
色素沈着、痤瘡。四肢痛、耳鳴り、めまい、不眠。
骨折、胃潰瘍、高血圧。白内障、聴力障害、四肢の感覚障害、片足たち不
能、マン現象(+)。日常生活支障度⑵。
№3:75歳、女性。認定。家族に認定患者なし。
色素沈着(特に歯ぐき)、丘疹、紫斑。四肢痛、じんじん感、腰痛、めまい、
耳鳴り、息切れ、不眠。高血圧、骨粗しょう症、皮膚がん、白内障、歯牙障
害。日常生活支障度⑵。
№4:63歳、女性。認定。家族に認定患者あり(父、弟)。
色素沈着(爪も)、湿疹。かゆみ(掻痒感)、頭痛、耳鳴り、立ちくらみ、
肩・肘・手関節痛。流産1回。高血圧、胃ポリープ(手術8回)、胆石、貧血、
心臓肥大、抑うつ状態(治療中)。白内障、聴力低下、歯牙異常。日常生活
ちろん完璧ではないことは言うまでもない。従来、各専門家ごとにバラバラ
に捉えられていた油症を総合的に捉えようとする1つの試みであることを付
け加えておきたい。患者は受診希望者順である。
以下、各症例は年齢、性別、認定の有無、家族内認定患者の有無、残存皮
膚症状、自覚症状、皮膚科以外の疾病(既往歴、治療中)、症状の程度の順
に記載した。
№1:80歳、女性。未認定。家族に認定患者あり(夫、長男)。
斑状色素沈着、皮下出血。頭痛、視力低下、両膝関節痛。
高血圧、甲状腺腫(手術)、骨粗しょう症、白内障、歯牙障害。高次脳機
能障害(失行、失認)。日常生活支障度⑵。
№2:82歳、男性。未認定。家族に認定患者あり(父、娘)。
色素沈着、痤瘡。四肢痛、耳鳴り、めまい、不眠。
骨折、胃潰瘍、高血圧。白内障、聴力障害、四肢の感覚障害、片足たち不
能、マン現象(+)。日常生活支障度⑵。
№3:75歳、女性。認定。家族に認定患者なし。
色素沈着(特に歯ぐき)、丘疹、紫斑。四肢痛、じんじん感、腰痛、めまい、
耳鳴り、息切れ、不眠。高血圧、骨粗しょう症、皮膚がん、白内障、歯牙障
害。日常生活支障度⑵。
№4:63歳、女性。認定。家族に認定患者あり(父、弟)。
色素沈着(爪も)、湿疹。かゆみ(掻痒感)、頭痛、耳鳴り、立ちくらみ、
肩・肘・手関節痛。流産1回。高血圧、胃ポリープ(手術8回)、胆石、貧血、
心臓肥大、抑うつ状態(治療中)。白内障、聴力低下、歯牙異常。日常生活
中略
第6章 考察― 油症患者から見えてきたもの
6-1.今回調査のまとめと問題点
われわれの調査は1,941人の油症認定患者(2010年3月現在)のほんの一
部分にしか過ぎない。しかも、診察希望者であるから当然、現在症状に問題
カネミ油症被害者の現状 ― 41 ―
がある者、たとえば、原因不明といわれた疾患をもつ者、病状が悪化した
者、将来に不安をもつ者など重症者が多かったことが考えられる。しかし、
基本的には油症の現在の臨床的な特徴を代表していると考えてよい。なぜな
ら、現在までに報告されている油症の臨床症状から恐ろしくかけ離れたもの
ではなかった(台湾の例も含めて)からである(13)。一方、40余年経過して
いる以上、症状に高齢化の影響が見られるのも当然である。しかし、症状に
高齢化の影響が見られるとしても、基本的には油症の症状であり、加齢の影
響によって顕在化したと考えることもできる。本来、われわれが強調して
きたように、油症は基本的には非特異的症状(皮膚症状を除いて)の集合で
あるために(全身病)、症状をばらばらにしてしまえば油症は見えなくなっ
てしまう。そのことが油症の重要な特徴の1つであることを強調しておきた
い(14,15)。
さらに、重要なことは未認定の問題である。対象となった患者の家族
に未認定患者(油症と認められていない)が少なからずいた。その数は、
1万4千人とも言われている。彼らもまた、高齢化しているからその実態の
解明は急がれる。未認定患者の実態についてはほとんど報告がなく、放置さ
れているといえる。また、次世代、次々世代に対する影響も十分に明らかに
はされてはいない(49,50)。
油症の全体像を考える時に重要なことは、すでに発生から40余年経過して
いることである。すでに多くの重症者は亡くなっている。たとえば、現時点
で血中ダイオキシン値と臨床症状を比較して、量・反応関係が成立しないと
しても、それで直ちに関係ないと結論つけることは出来ない。それは、重症
者はすでに亡くなり、あるいは当時、血中のダイオキシン値の分析が行われ
ていなかったからである。したがって、中毒後、長期経過した後で血中のダ
イオキシン濃度を診断の根拠とすることは極めて危険である。油症事件は人
類初の(未知の)中毒事件であるという認識と謙虚さが必要である。
6-2.油症の臨床的特徴
40余年後のしかも、ほんの一部の検診であったが、明らかになったこと
は少なくない。一つは、皮膚症状は軽快して見え難くなっているもののなお
頑固に残存し続けているということである。一つは、多彩な症状が頑強に持
続していることである。しかも、全身性であるために疾患(油症の)特異性
が見られ難く、偶然の合併症または加齢によるものと考えられそうな特徴が
あった(非特異性)。今回の結果は、従来のわれわれの調査と同じ結果であっ
た(13,14)。一つは、明らかに加齢によって症状が悪化したものがあることであ
る。すなわち、油症の臨床的特徴が非特異的症状であるから、油症による症
状かどうかの判断は40年にわたる経過が重要であって、現時点だけで判断す
ることは危険で、家族の症状、症状の経過とともに自覚症状も極めて重要で
あった。
現在の診断基準は血中の有機塩素系化合物の値に拘り過ぎている(43)。40
年も経過してなお、血中の有機塩素系化合物が高濃度であることは貴重な
データではあるが、化学物質の体内における代謝は個体差が大きいことを考
えれば、この値を診断の根拠(基準)にすることはきわめて危険で、過誤を
犯す可能性がある。さらに、人類が未だかって経験したことのない全身性の
疾病であるから、各専門科(分野)の垣根を越えた研究と医療体制を模索し
なければならない。人類は未だかってこのように多種多様な専門科(分野)
にまたがる疾病を1人で抱えた事例を経験したことがあっただろうか。医学
の進歩と同時に専門化、細分化していく医学・医療の歴史に大きな問題提起
をしていると考えるべきである。その意味では油症の臨床的特徴に対応すべ
き初の医療体制を模索することは現代医療の1つの新しい分野の開拓に貢献
することにもなる。
6-1.今回調査のまとめと問題点
われわれの調査は1,941人の油症認定患者(2010年3月現在)のほんの一
部分にしか過ぎない。しかも、診察希望者であるから当然、現在症状に問題
カネミ油症被害者の現状 ― 41 ―
がある者、たとえば、原因不明といわれた疾患をもつ者、病状が悪化した
者、将来に不安をもつ者など重症者が多かったことが考えられる。しかし、
基本的には油症の現在の臨床的な特徴を代表していると考えてよい。なぜな
ら、現在までに報告されている油症の臨床症状から恐ろしくかけ離れたもの
ではなかった(台湾の例も含めて)からである(13)。一方、40余年経過して
いる以上、症状に高齢化の影響が見られるのも当然である。しかし、症状に
高齢化の影響が見られるとしても、基本的には油症の症状であり、加齢の影
響によって顕在化したと考えることもできる。本来、われわれが強調して
きたように、油症は基本的には非特異的症状(皮膚症状を除いて)の集合で
あるために(全身病)、症状をばらばらにしてしまえば油症は見えなくなっ
てしまう。そのことが油症の重要な特徴の1つであることを強調しておきた
い(14,15)。
さらに、重要なことは未認定の問題である。対象となった患者の家族
に未認定患者(油症と認められていない)が少なからずいた。その数は、
1万4千人とも言われている。彼らもまた、高齢化しているからその実態の
解明は急がれる。未認定患者の実態についてはほとんど報告がなく、放置さ
れているといえる。また、次世代、次々世代に対する影響も十分に明らかに
はされてはいない(49,50)。
油症の全体像を考える時に重要なことは、すでに発生から40余年経過して
いることである。すでに多くの重症者は亡くなっている。たとえば、現時点
で血中ダイオキシン値と臨床症状を比較して、量・反応関係が成立しないと
しても、それで直ちに関係ないと結論つけることは出来ない。それは、重症
者はすでに亡くなり、あるいは当時、血中のダイオキシン値の分析が行われ
ていなかったからである。したがって、中毒後、長期経過した後で血中のダ
イオキシン濃度を診断の根拠とすることは極めて危険である。油症事件は人
類初の(未知の)中毒事件であるという認識と謙虚さが必要である。
6-2.油症の臨床的特徴
40余年後のしかも、ほんの一部の検診であったが、明らかになったこと
は少なくない。一つは、皮膚症状は軽快して見え難くなっているもののなお
頑固に残存し続けているということである。一つは、多彩な症状が頑強に持
続していることである。しかも、全身性であるために疾患(油症の)特異性
が見られ難く、偶然の合併症または加齢によるものと考えられそうな特徴が
あった(非特異性)。今回の結果は、従来のわれわれの調査と同じ結果であっ
た(13,14)。一つは、明らかに加齢によって症状が悪化したものがあることであ
る。すなわち、油症の臨床的特徴が非特異的症状であるから、油症による症
状かどうかの判断は40年にわたる経過が重要であって、現時点だけで判断す
ることは危険で、家族の症状、症状の経過とともに自覚症状も極めて重要で
あった。
現在の診断基準は血中の有機塩素系化合物の値に拘り過ぎている(43)。40
年も経過してなお、血中の有機塩素系化合物が高濃度であることは貴重な
データではあるが、化学物質の体内における代謝は個体差が大きいことを考
えれば、この値を診断の根拠(基準)にすることはきわめて危険で、過誤を
犯す可能性がある。さらに、人類が未だかって経験したことのない全身性の
疾病であるから、各専門科(分野)の垣根を越えた研究と医療体制を模索し
なければならない。人類は未だかってこのように多種多様な専門科(分野)
にまたがる疾病を1人で抱えた事例を経験したことがあっただろうか。医学
の進歩と同時に専門化、細分化していく医学・医療の歴史に大きな問題提起
をしていると考えるべきである。その意味では油症の臨床的特徴に対応すべ
き初の医療体制を模索することは現代医療の1つの新しい分野の開拓に貢献
することにもなる。
6-3.行政の対策
40余年の油症の歴史を振り返ってみると、皮膚症状と血中の特定の有機
塩素系化合物の濃度に拘った結果、多くの患者を救済の枠から外してしまっ
カネミ油症被害者の現状 ― 43 ―
た。まさに、行政がその救済責任を放棄してしまった歴史であったといえ
る(1,12,14,15,42,45)。広く救済することは単に行政の責任を果たすのみならず、人
類初のダイオキシン類の影響を明らかにして、人類の未来に貢献することに
なる。救済の具体的なあり方としては、カネミ油を摂食したことが明らかで
あれば、最低、健康手帳を交付し、医療費、通・入院費の補償を行い、さら
に症状の重篤さによっては、症度に応じた救済対策を行うべきである(立法
措置を含む)。そのためには、実態調査を早急に行うことが必要になる。
九大・長大油症研究班は被害者と関係を密にとり、人類史上初の油症の実
態の把握、病態の解明など医学研究を継続することはもちろん、法的に存在
もしない認定業務(患者の線引き)を行わないことである。油症研究班の研
究が患者の救済に十分に生かされていないのは研究と救済を混同しているか
らといえる。行政は研究が現実の患者の治療や未認定患者の救済に生かされ
るように指導すべきであると同時に、医学的に不明確なことを救済懈怠の理
由にしてはならない。
さらに、医療(狭義の)のみならず、患者の日常生活の支援、相談、カウ
ンセリング、生活資金援助などを含む各種相談窓口を設置し、臨床心理士、
ケースワーカー、社会福祉士など必要な人材を配置するべきである。
われわれはかって、カネミ油症事件は重大な人権侵害事件であるという認
識の上にたって10の提案をしたことがある(13,14)。それは未だに実現されず、
被害者は年を重ねてしまっている。高齢化する患者の現状を見るにつけ対策
は急がねばならない。
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