スマトラ島沖地震
スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)は、スマトラ島周辺で起こる大きな地震の名称。スマトラ沖地震、スマトラ地震とも通称される(後者についてはスマトラ島内で発生した地震との使い分けに留意)。複数の地震が発生しているため、本項ではスマトラ島周辺で起こる地震の全体の概要を説明する。なお、単にスマトラ島沖地震という場合、通常は2004年に発生したマグニチュード9.1の地震を指すことが多い。
「スマトラ島沖地震 (2004年)」も参照
スマトラ島沖地震 (2004年)
震央震源の深さ規模最大震度津波地震の種類 余震 回数 最大余震被害 死傷者数 被害総額 被害地域
スマトラ島沖地震 本震 発生日 発生時刻震源の位置(USGS) | |
2004年12月26日 | |
7:58:53(現地時間) 0:58:53(UTC) | |
インドネシアスマトラ島バンダ・アチェ南南東250km 北緯3度18分57.6秒 東経95度51分14.4秒(地図) | |
30km | |
モーメントマグニチュード(Mw)注19.3 | |
改正メルカリ震度IX:バンダ・アチェ | |
平均10m、スマトラ島北部で最大34mの津波 | |
海溝型地震(逆断層(衝上断層)型) | |
Mw6.0以上: 45回 Mw1.0以上: 4,700回以上 | |
2004年12月26日11:21(現地時間)、Mw7.1 | |
死者 22万人注2 負傷者 13万人注2 | |
9億7,700万ドル(必要とされる緊急支援額)注3 | |
スマトラ島を中心とするインドネシア、およびマレーシア、タイ、ミャンマー、インド、スリランカ、モルディブ、ソマリアなど | |
注1: ノースウェスタン大学の調査による。USGSは9.1としている。 注2: 2005年6月現在、ロイターおよびWHOによる。 注3: 国連による。 出典:特に注記がない場合はUSGSによる。 | |
プロジェクト:地球科学、プロジェクト:災害 |
2000年以降の主な「スマトラ島沖地震」
時期 (WIB) 名称 マグニチュード 震源地スマトラ島周辺で起こる地震の概要
2000年06月04日 | スマトラ島沖地震 (2000年) | 7.9 | スマトラ島南方沖 |
2004年12月26日 | スマトラ島沖地震 (2004年) | 9.1 | バンダ・アチェ南南東沖 |
2005年03月28日 | スマトラ島沖地震 (2005年) | 8.6 | メダン南西沖 |
2007年09月12日 | スマトラ島沖地震 (2007年) | 8.5 | ブンクル南西沖 |
2009年09月30日 | スマトラ島沖地震 (2009年) | 7.5 | パダン西北西沖 |
2010年04月06日 | スマトラ島沖地震 (2010年 4月) | 7.8 | バニャック諸島付近 |
2010年05月09日 | スマトラ島沖地震 (2010年 5月) | 7.2 | バンダ・アチェ南南東沖 |
2010年10月25日 | スマトラ島沖地震 (2010年10月) | 7.7 | パダン南沖 |
2012年01月10日 | スマトラ島沖地震 (2012年1月) | 7.2 | バンダ・アチェ南西沖 |
2012年04月11日 | スマトラ島沖地震 (2012年4月) | 8.6[1] | バンダ・アチェ南西沖 |
2016年03月02日 | スマトラ島沖地震 (2016年) | 7.9 | スマトラ島南西沖 |
周辺の地形図 |
ミャンマーから大スンダ列島、小スンダ列島、ティモール島にかけて、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートがぶつかり合うスンダ海溝(ジャワ海溝)がある。ここは世界有数の地震多発地帯で、スマトラ島周辺では100年から150年の周期で大きな地震が繰り返し発生している。過去から地震を多数経験してきており、2000年代に入ってから発生した上記の地震もその一連の流れの一つである。
過去の記録では901年頃にMw 8.9と推定される地震、1797年にスマトラ島中部沖でM 8.4と推定される地震、1833年にスマトラ島南部沖でMw 8.9と推定される地震、1861年にスマトラ島北部沖でMw 8.5と推定される地震などが起きている。
2004年の地震では、スマトラ島北西沖からアンダマン・ニコバル諸島にかけてのプレートの境界(ジャワ海溝)が1,000km超にもわたる巨大な範囲でずれ、一気にマグニチュード9を超えるエネルギーが解放された。これにより周辺のユーラシアプレートにかかる力が大きく変わり、2005年の地震などを誘発[注 1]しているものと考えられている(「スマトラ島沖地震 (2004年)#地球への影響」も参照)。インドネシアで2004年以降地震が急増しているのは、このためではないかと見られている。なお、地震の種類としては2009年の地震(海洋プレート内地震)を除き、プレート間地震(海溝型地震)となっている。この他、スマトラ島の沖で発生したものではないが、2013年にはスマトラ島内(北部)でもM 5.9の直下型地震が発生している(スマトラ島地震)。
本来、「スマトラ島沖」はスマトラ島北西沖からスマトラ島南東沖までの広い範囲を指すが、2004年12月26日にマグニチュード9.1の地震が発生して大きく報じられて以来、「スマトラ島沖地震」はこの地震のことを指す場合が非常に多くなった。
これらの地震により火山活動も活発となっており10以上の火山で地震が増加[2]、2006年5月と2010年10月にはムラピ山が噴火に至っている。また巨大地震の頻発により、トバカルデラにおける破局噴火に繋がる可能性も懸念されている[3]。
津波
平均で高さ10mに達する津波が数回、インド洋沿岸に押し寄せた(地形によっては34mに達した場所もあった)。アンダマン・ニコバル諸島近海からスマトラ島北西部近海にかけてのおよそ1,500kmの帯状の地域(上のアニメーション参照)の、およそ海底4,000mの場所で津波が発生、津波発生時には2~3mほど海底が持ち上がり、ジェット機並みのスピード(約700km/h)で津波が押し寄せたと見られる。前述の速さで波が押し寄せたスリランカ、インド、モルディブ、アフリカ諸国などに対して、震源の東側となったタイ、マレーシア、インドネシア、ミャンマーなどでは、比較的遅いスピードで津波が押し寄せた。特に、タイのプーケットに津波が到達したのは、地震発生から2時間30分後だった。これは、津波が通過したアンダマン海が、広い大陸棚が広がる浅い海で、津波が進むスピードが遅かったためである。
事例名称 | スマトラ島沖地震、津波被害 | ||
代表図 | http://www.shippai.org/fkd/df/DZ0200720.jpg | ||
事例発生日付 | 2004年12月26日 | ||
事例発生地 | インドネシア、インド、スリランカ、タイ、ミャンマー、マレーシア、バングラデシュ、モルディブ、ケニア、タンザニア、セーシェル、ソマリア、マダガスカル、南アフリカ共和国 | ||
事例発生場所 | スマトラ島沖のインド洋およびインド洋沿岸 | ||
事例概要 | スマトラ島沖で巨大地震が発生した。この地震による直接的な被害に加え、同時に引き起こされた大津波によりインド洋沿岸の広い地域で30万人を超える死者・行方不明者と約500万人の被災者(いずれも推定)を出す大災害となった。日本人も40数人がスリランカやタイなどでこの大災害に巻き込まれ、犠牲となっている。国連発表によれば、被害総額は9億7700万ドルに達した。 | ||
事象 | 2004年12月26日にスマトラ島沖で巨大地震が発生した。この地震による直接的な被害に加え、同時に引き起こされた大津波によりインド洋沿岸の広い地域で30万人を超える死者・行方不明者と約500万人の被災者(いずれも推定)を出す大災害となった。日本人も40数人がスリランカやタイなどでこの大災害に巻き込まれ、犠牲者となっている。国連発表によれば、被害総額は9億7700万ドルに達した。 | ||
経過 | 2004年12月26日、インドネシア西部時間午前7時58分(日本時間午前9時58分)に、インドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋で、マグニチュード9.3の巨大地震が発生した。 震源は深さ10kmで、スンダ海溝に位置し、インド・オーストリアプレートがユーラシアプレートの下に沈み込むことによる海溝型地震である。スマトラ島北西沖からアンダマン・ニコバル諸島にわたるプレート境界が約1300kmの広大な範囲でずれた。 地震発生に伴い、アンダマン・ニコバル諸島近海からスマトラ島北西部近海にかけた約1500kmの帯状の海域にわたる海底約4000mの場所で、津波が発生した。津波発生時には海底が2~3mほど持ち上がり、時速約700kmで津波が伝播したとみられている。海底が沈降した箇所もあり、そちら側に面した海岸では、最初は引き潮が起こって海岸付近の海底が露出し、その後で大波が押し寄せた。 インド洋沿岸に平均で高さ10mに達する津波が数回押し寄せたが、震源の西側の沿岸には前述の速さで津波が到達したのに対して、震源の東側の沿岸では、比較的遅い速度で津波が押し寄せた。特に、タイのプーケットに津波が到達したのは地震発生から約2時間30分後であった。これは、津波の通過したアンダマン海が、広い大陸棚の広がる浅い海で、津波の速度が遅くなったためである。津波は、速度が遅くなると前後方向に縮んで、その分上下方向に高くなって上陸する。本津波災害でも、場所によっては諸々の要因が重なり、津波の高さは30数メートルにも達している。図2はタイの海岸に押し寄せる津波の様子である(Wikipedia「スマトラ島沖地震 (2004年)」より引用)。 インドネシア・アチェ特別州では津波が内陸4~5kmにまで達した。内陸約2kmの地点では速度が秒速7.7mに達し、1平方メートルあたり4トンの圧力で、一瞬のうちに家屋を流す威力だったと報告されている。また、津波はアフリカ大陸東岸のソマリア、ケニア、タンザニアにも到達し、ソマリアでは100人以上の死者が発生し、ケニアのモンバサでも避難命令が出された。図3に震源域と被災地域を示す (2005.1.10 日経新聞より引用)。 インドネシアのアチェ特別州を除くと、被害のほとんどは津波によるものである。被災地の多くが地震や津波に遭ったことのない地域であったため、津波に関する警報や注意があまりなされず、人的被害を拡大させた。各国政府の発表によれば、死者・行方不明者は30万人以上にも及んでいる。被災者は500万人に達し、うち180万人に食料援助が必要とされた。 | ||
原因 | インドネシアの太平洋側では、1996年ビアク島沖、1992年フローレス島沖の各地震で津波の被害を受けた経験があり、地震後の津波に対する警戒心があったが、インド洋側では最近津波災害が少なかったためまったく無警戒であった。このような原因から、アチェ州では、地震と津波との両方で大きな被害が出た。 また、インド洋の各国には、太平洋の各国で整備されている津波警報国際ネットワーク(津波早期警報システム)がなかった。しかも、ハワイにある太平洋津波警報センターは津波発生の恐れに気付いたものの、警報を出したのはディエゴガルシア島駐留米軍宛のみで、関係各国には告知しか送らず、津波被災経験の少ないインドネシアではその重大性を認識できなかったとされている。 このような原因から、2時間後に津波が到達する地域においても避難勧告を出すことができず、住民だけでなく、観光客などインド洋一帯の海岸、あるいは海岸付近にいた人は大津波にいきなり襲われてしまった。 津波災害後、タイで数少ないマングローブの森が津波のエネルギーを吸収し、後ろ側の陸地が大きな波に襲われずにすんだと報告されている。エビの養殖等のため、マングローブが減っていることも、津波災害を大きくした一因と考えられる。 | ||
対処 | 災害発生直後には、国連、ユネスコ、赤十字、WPO(世界食料基金)をはじめとして各国が救援・復興支援を行った。被災国における主な対処を以下に記す。 1. 救援活動 災害発生直後には、各国、ボランティアなどによる緊急の救援活動がなされた。中でも、アメリカの救援活動は迅速・大規模で、機動性に優れていた。日本も国際緊急援助隊や自衛隊を中心とする緊急救援を行った。 2. 2次災害防止 衛生環境の悪化から、伝染病による2次災害が懸念されたが、現地での早急な土葬や火葬処分、ボランティアや各国から派遣された救援隊による防疫・医療活動により2次災害は発生しなかった。 | ||
対策 | インド洋各国でも津波対策として太平洋各国と同様に津波警報国際ネットワークを構築することになった。日本では気象庁が2005年3月からインド洋沿岸の希望する国に津波情報を提供している。また、タイは津波災害を教訓にして、マングローブの保護と植樹を推進している。 | ||
知識化 | スマトラ島沖地震では、インド洋各国や住民が津波に対して無防備、無警戒であり、災害情報の活用不足や情報インフラ不足が、地震による津波被害を拡大させた。この事例から以下のことが学べる。 ・地震被害を抑えるためには、緊急の災害情報を正確かつ迅速に伝達することが重要である ・それらの情報を受けた側も、災害に対して危機感を認識することが必要である。そのためには、災害の少ない地域でも、他地域の災害の知識を共有し、平時から災害に対する警戒心を持たなければならない。 これら津波情報の伝達の他に、今回の津波でも分かったように、究極の対策として、避難所として高さのある堅牢な建物を建設することが必要なのではないか。 | ||
背景 | ミャンマーから大スンダ列島、小スンダ列島、ティモール島にかけて、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートとがぶつかり合うスンダ海溝(ジャワ海溝)があり、ここは、世界有数の地震多発地帯である(図4;「地震のすべてがわかる本」,土井恵治監修,成美堂出版より引用)。 インドネシアの太平洋側では、1996年にビアク島沖でM8の地震が発生し、その津波で多くの被害が出ている。また、1992年にはフローレス島沖合いの地震による津波で、約3000人が死亡している。このため、インドネシアでも、太平洋側は津波を経験しているため、地震後の津波に対する警戒心があった。ところが、インド洋側は最近津波災害が少なかったため、津波警報システムが整備されていなかった上に、インド洋各国の地震・津波通報協定も結ばれていなかった。このため、住民だけでなく、観光客などインド洋一帯の海岸、あるいは海岸付近にいた人は津波警報もなく、スマトラ島沖地震で発生した大津波にいきなり襲われてしまった。 | ||
後日談 | 地震発生後、次のような地球規模での影響がいろいろ報じられている。 ・米地質調査所のケン・ハドナット博士によると、地球の1日の長さが100万分の3秒程度短くなり、地軸の位置が2cm程度ずれた可能性があると考えられる。 ・震源地周辺各地に、位置が数cm移動した都市が多数あることがGPS測定で判明している。 ・2005年3月12日にスマトラ島西部のタラン山、翌13日にはジャワ島西部のタンクバンプラフ山が噴火するなど、周辺に存在する火山の活動が活発化している。 ・産業技術総合研究所によると、日本でも40箇所以上で、地震の直後に地下水の水位の変化が観測されている。 | ||
よもやま話 | 地震が多く、四面を海に囲まれている日本では、全国民が地震と津波に対する正しい知識を有し、これら災害に対する備えを十分にしておく必要がある。以下に、過去の津波災害を教訓にして、継続的に防災活動を行っている事例を紹介する。 1)田老町 1896年(明治29年)に起こった明治三陸大津波では、三陸地方全体で約22,000人もの死者・行方不明者が出た。震央が遠かったため、各地の震度がわずか2~3であったにもかかわらず、波高約15mもの津波が押し寄せ、田老町では、約1600人の犠牲者が出た。その教訓を生かし、生存者が出資して高さ10mの防潮堤を造り、今ではそれらが完成している。また年に1回、大津波避難訓練を行っている。 2)紀勢町 三重県紀勢町は、1944年12月に発生したM7.9の東南海地震で6mの津波に襲われ、64人の死者を出した。同町は、今世紀半ばまでに再び津波に襲われる危険があるため、1944年の被災者を招き、小学校の児童などに体験談を聞かせて、災害の知識を語り継ぐ活動を行っている。また、同町のシンボルとして高さ21mの錦タワーを建設し、津波の資料館兼避難所として利用している。 | ||
シナリオ |
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情報源 | "スマトラ沖地震と津波被害"、失敗年鑑2004、失敗学会 | ||
被害金額 | 9億7700万ドル | ||
マルチメディアファイル | 図2.タイの海岸に押し寄せる津波 | ||
図3.広い震源域とインド洋大津波の主な被災国 | |||
図4.スマトラ島付近のプレート | |||
備考 | 死者・行方不明者は30万人以上(推定) |
津波はアフリカ大陸東岸のソマリア、ケニア、タンザニアにも到達し、ソマリアで100人以上の死者が発生。ケニアのモンバサでは避難命令が出された。また南極大陸の昭和基地でも半日後に73cmの津波を観測した。また、アメリカ合衆国の西海岸、南アメリカ大陸でも数十cmの津波を記録した。
インド洋の各国では太平洋側の各国にて整備されている津波警報国際ネットワーク(津波早期警報システム)が無く、2時間後に到達する地域においても避難勧告を出すことができなかった。この為、多くの死者を出す一因となった。しかも太平洋津波警報センター(ハワイ)は津波発生の恐れに気づいたものの、警報を出したのはディエゴガルシア島駐留米軍宛のみで、関係各国には“告知”しか送らず、津波被災経験ゼロのインドネシアではその重大性に気づけなかったとされている[14]。2008年2月12日、UNESCOは、こうした観測体制の不備から国際惑星地球年の一環として、観測体制と教育体制の不備による『世界最悪の人災による悲劇』のワースト5の一つとしてスマトラ島沖地震の津波災害を認定している。