三国干渉
日清戦争と欧州列強
日清戦争中、日本の勝利が間近に迫ると、列強も事の重大性を認識するに至り、干渉を考え始めた。主導国はロシアであったが、ドイツの参加がなければ干渉が実現しなかったとも言われる。西にドイツの脅威を控えていたロシアは、ドイツの干渉参加により東に深入りしやすくなったからである。
更に下関条約で遼東半島の割譲を日本が要求していることを知った列強は衝撃を受けた。列強は清朝の衰退に乗じて「中国の分割」を進めてきたが、中国国内の抵抗を危惧してその動きは未だ緩慢なものであり、戦争による賠償で得たイギリス領香港を例外として、露骨な領有権要求は差し控えてきた。
だが、日本のこの要求はこの列強間の「暗黙の了解」を破棄するものであり、更に清朝が直隷と渤海を挟んで向かい合った遼東半島を失う事でその政治的権威が失墜して国内の政情が不安定になるような事態の発生は、各国の対中国政策を根底から揺るがせるものであった。
そこでドイツやロシアは自国の対中国政策を維持するために、この日本の要求を容認できないと考えた。更に講和会議の過程で日本が清に対して開市・開港場での製造業従事権を清に要求していたものの、それを実現させるだけの資金的裏づけがなかった日本は、秘かにイギリスに対してのみ、この要求の事実を打ち明けて共同経営の誘いを行ったことが他の列強に知られたために、この話に与れなかったドイツやロシア、フランスの姿勢を更に硬化させた。
三国干渉の結果
列強はこの干渉以降、阿片戦争で香港を得た英国の様に中国の分割に弾みを付けた。列強は清に対して対日賠償金への借款供与を申し出て、その見返りに次々と租借地や鉄道敷設権、特定範囲を他国に租借・割譲しないなどの条件を獲得していった。
- ドイツは、1897年に宣教師殺害を理由に膠州湾を占領、翌年には租借した。
- 1899年にフランスは広州湾一帯を、イギリスは九龍半島・威海衛を租借した。
- ロシアも総理大臣の李鴻章が50万ルーブル、副総理の張蔭桓が25万ルーブルの賄賂を受け取り1896年に秘密協定である李鴻章-ロバノフ協定を結び、1898年、遼東半島南端の旅順・大連の租借に成功する。そして、万里の長城以北と満州に勢力圏を拡大し極東への野心を実行していった。
- イギリスは1898年1月に長江流域からビルマへの鉄道敷設と長江流域を他国に割譲しないことを確認し、さらに香港対岸の新界を租借させた。
- 日本も防衛上最低限の要求として、新規獲得した台湾のすぐ隣にある福建省を他国に租借、割譲することがない旨の約束を取り付けた。
- 朝鮮ではこの干渉の結果、日本の軍事的・政治的権威が失墜する一方、閔妃など親露派が台頭した。
- これらの動きに対し、清国内で税関業務に関わるイギリス人たちは、租借地を通じた密貿易で清の財政が傾くことを懸念し、アメリカ合衆国に働きかけて門戸開放宣言を発表させる。