こんな復興庁はいらない
“屋上屋組織”で行政間の連携混乱も
東日本大震災の発生から7カ月以上が経過した。漁業や企業活動の一部が本格稼働するなど明るい話題を目にする機会も増えた。
だが、津波が直撃した沿岸部を中心に、被災地では土地利用計画が固まらず、被災者の暮らしを支える雇用を巡る混乱が続いている。
「住宅の高台移転などの計画が決まらない。海沿いの土地がいつから使えるかも分からないので、水産加工会社などが再開を決断できないでいる」
「希望する職種に就けないからと、見切りをつけてほかの地域に移り住む動きは続いている。元々高齢化、過疎化が進んでいたが、このまま若い住民の流出が続くと、この町は成り立たなくなる」
被災地の知人や関係者から筆者に寄せられるこうした声から浮かび上がるのは、「復興」という言葉からあまりにも遠い現実だ。
復興の足かせになった政治
どうしてこんな事になっているのだろうか。幾つもの複合要因があるが、政治の混迷が大きな足かせになってきたことは間違いない。
震災直後に執筆した記事を読み返してみると、当初、政府・与党内で想定されたスケジュールは、1923年の関東大震災時の帝都復興院を参考に、復興政策を一元的に統括する「復興庁」を今年5月中には発足。本格的な復興対策を盛り込んだ今年度補正予算を8月には成立させるというものだった。
それが、どうだろう。6月から8月にかけて菅直人前首相の退陣と野田佳彦首相の選出という「政治の季節」に費やし、大規模な第3次補正予算の成立は遅れに遅れている。土地利用などの指針もあいまいだったため、住まいや企業の再建作業の進行も鈍いままだ。
関東大震災や阪神大震災の経験に基づき、「スピードが命」との共通認識があったはずなのに、この体たらく。政治とは復興の現場を邪魔するために存在するのかと錯覚するほどの惨状だ。
そして、ここにきて、被災地を一層困惑させつつあるのが、やっとのことで骨格が固まった復興庁の姿だ。
・復興施策を企画・立案 |
・被災市町村の復興計画策定への助言 |
・復興特区の認定 |
・交付金を配分 |
・各省庁の復興施策、予算の調整 |
・関係省庁に復興業務推進に関する勧告権を持つ |
・首相を長とし、復興大臣、副大臣、政務官を置く |
・各省より一段高い位置づけに |
・出先機関を岩手、宮城、福島に設置 |
・設置期間は2020年度末まで |
「こんな復興庁だったら、わざわざ作る意味はない」
伝わってくる被災地の住民や自治体関係者の反応はこうした冷ややかな空気が支配的。さらに言えば、政府内でも積極的に設立を推進しようという機運を感じられないのが実情だ。震災直後の議論の盛り上がりはどこにいったのだろうか。