スカパーでのヒストリーチャンネルにて、「日本人はるかな旅」が先月放映されていた。その第2集「巨大噴火に消えた黒潮の民」にて、港川人という存在を見た。
以前に、学んだような気もするし、今回、初めて知ったのかもしれない。
日本人のルーツが、この港川人にあるというので、どんな人であったのか。どんなところで見つかったのか。沖縄に行った際には、調べて見ようと思ったのだ。
向かったのは、八重瀬町立具志頭歴史民族資料館である。
行ってみると、我々以外だれも見学している人はいなかった。
八重町勢要覧「響け八重瀬のくくる」からの資料である。
大山さんという方が、動物の化石を採取していたところ、偶然に、人骨が見つかったことなどを資料館にいた職員より話を聞くことができた。
さらに、遺跡の発掘場所を訪ねたいと申し出たところ、なんと、一緒に来て案内してくれるという。
お言葉に甘えて、車で数分の発掘場所へ行った。
上記の写真では、土がむき出しの状態であったが、発見から40年以上を経た現在は、かなり違っていた。
発掘場所は、私有地で許可がないと入れないという。その入り口には鍵のかかった門があった。
草木が生い茂り、かろうじてフィッシャー(裂け目)がわかる程度であった。
しかし、ここで日本で一番旧い完全な人骨が発見されたと思うと、遠いご先祖様に挨拶しているような不思議な感じがしていた。
なにせ、1万8千年も眠っていたというのだから。
教えてニュース塾<32>港川人は縄文人の祖先と違うの?
琉球新報 2009年10月9日
港川人(みなとがわじん)は1970年、八重瀬町長毛(やえせちょうながもう)の海岸に近い石切場(いしきりば)で、人骨化石(じんこつかせき)として発見されました。化石の成分分析(せいぶんぶんせき)などから、今から1万6千年~1万8千年前の、「旧石器時代」と呼ばれる時代に生活していた人の骨ではないかと推測されています。
顔つきなどが国内各地で発見されている縄文人(じょうもんじん)(新石器時代人)と似ていることから、港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきました。しかし、研究者による最新の研究で、港川人を縄文人の祖先とする考えに疑問を投げかけるような分析結果が出ています。
港川フィッシャーから出土した人骨化石のうち、「港川1号」と呼ばれる男性の骨は、1万8千年も土の中に埋もれていた化石としてはとても保存状態が良く、特に頭骨(とうこつ)は顔面部分(がんめんぶぶん)が完全な形で保存されています。そのため、日本人(にほんじん)の起源や東アジアの人類の進化などを研究する上で重要な資料として利用されてきました。
「港川1号」は身長153センチ。鎖骨(さこつ)や腕の骨が細く上半身はやせていますが、足腰は強く発達しています。あごの幅が広く前歯のかみ合わせが合っており、本土で発見された縄文人とよく似た顔つきをしていたと思(おも)われてきました。
しかし最近、東京の国立科学博物館、県立博物館・美術館、東京(とうきょう)大学総合研究)博物館の研究者たちによる共同研究で「港川1号」が実際はもっと細い顔立ちをしていたことが分かりました。
研究者チームは放射線(ほうしゃせん)を使って物の断面を分析し、3次元の画像を作り出すCTという装置を使い「港川1号」の頭骨を分析しました。その結果、「港川1号」の右下あごの割れた部分が、復元の際、接着剤(せっちゃくざい)でゆがんで接着されていることが確認されました。コンピューターを使いゆがみを修正した「港川1号」の画像を作ったところ、標本より細い顔立ちになりました。この分析結果について、研究チームメンバーで国立科学博物館に勤める海部陽介(かいふようすけ)さんは「港川人を縄文人の祖先として考えることが一般的だったが、それが本当に正しいのか、詳しく研究する必要がある」と話しています。(山城祐樹)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-151034-storytopic-188.html琉球新報 2009年10月9日
港川人(みなとがわじん)は1970年、八重瀬町長毛(やえせちょうながもう)の海岸に近い石切場(いしきりば)で、人骨化石(じんこつかせき)として発見されました。化石の成分分析(せいぶんぶんせき)などから、今から1万6千年~1万8千年前の、「旧石器時代」と呼ばれる時代に生活していた人の骨ではないかと推測されています。
顔つきなどが国内各地で発見されている縄文人(じょうもんじん)(新石器時代人)と似ていることから、港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきました。しかし、研究者による最新の研究で、港川人を縄文人の祖先とする考えに疑問を投げかけるような分析結果が出ています。
港川フィッシャーから出土した人骨化石のうち、「港川1号」と呼ばれる男性の骨は、1万8千年も土の中に埋もれていた化石としてはとても保存状態が良く、特に頭骨(とうこつ)は顔面部分(がんめんぶぶん)が完全な形で保存されています。そのため、日本人(にほんじん)の起源や東アジアの人類の進化などを研究する上で重要な資料として利用されてきました。
「港川1号」は身長153センチ。鎖骨(さこつ)や腕の骨が細く上半身はやせていますが、足腰は強く発達しています。あごの幅が広く前歯のかみ合わせが合っており、本土で発見された縄文人とよく似た顔つきをしていたと思(おも)われてきました。
しかし最近、東京の国立科学博物館、県立博物館・美術館、東京(とうきょう)大学総合研究)博物館の研究者たちによる共同研究で「港川1号」が実際はもっと細い顔立ちをしていたことが分かりました。
研究者チームは放射線(ほうしゃせん)を使って物の断面を分析し、3次元の画像を作り出すCTという装置を使い「港川1号」の頭骨を分析しました。その結果、「港川1号」の右下あごの割れた部分が、復元の際、接着剤(せっちゃくざい)でゆがんで接着されていることが確認されました。コンピューターを使いゆがみを修正した「港川1号」の画像を作ったところ、標本より細い顔立ちになりました。この分析結果について、研究チームメンバーで国立科学博物館に勤める海部陽介(かいふようすけ)さんは「港川人を縄文人の祖先として考えることが一般的だったが、それが本当に正しいのか、詳しく研究する必要がある」と話しています。(山城祐樹)
先日のニュースによると、これまでは、港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきたのだが、どうやら、疑問の声があがってきているようだ。
しかし、港川人は縄文人の祖先ではないとなると、どういうことになるのであろうか?
港川人は滅んで、新しく縄文人がどこからか移り住んできたことになるのか?
調査結果を楽しみにしている。
いずれにしても、この地に、1万8千年前に、生活していたことは間違いないであろう。
僅かな時間であったが、その昔へタイムトリップすることができた。
同行していただいた町職員のかたには、お礼申し上げたい。
ありがとうございます