★戦争の当事者だった事実を隠す ──嘘をつく癖──
韓国では「韓民族は戦争をした事がない平和的な民族」という
無根拠な嘘を堂々と教え、世界に発信し、民族の誇りとしている。
かのヒトラーも「嘘が大きければ大きいほど人々はよく信じる。
嘘でもしきりに繰り返せば遠からず多い人が真実で受け入れる」と言った。
特に日本人はこの手の『大胆すぎる嘘』には非常に弱く、
ギョッとして一瞬ひるんで“自分が無知だった”という事にして騙されてしまう。
「へぇー! そうだったのか、戦争をした事がないなんて知らなかった!
戦争をした日本より韓国は平和を愛する国なのかもしれないなぁ…。」
といった所だろうか。
当然、韓国が戦争をした事がないなど、とんでもない嘘である。
そもそも戦前は朝鮮も日本の一部であり、朝鮮人は日本人の一部だったので、
当然のように戦争も一緒にやっている。
そもそも中国に民族的に1000年間も虐げられてきた朝鮮人たちは、
当時ロシアや中国よりも強かった日本人の一部になる事を
大歓迎していたので、戦争への士気も非常に高かったのが実情である。
他にも『元寇』『応永の外寇』『日本領対馬・任那日本府への侵略』。
『ベトナム戦争』での虐殺も侵略行為。朝鮮は戦争をしているのである。
戦後日本は過去を認めて謝罪も賠償もしているのに対して、韓国は日本には
強硬姿勢をとり、一切何も認めようとしない。ベトナムに対しての「遺憾」という
態度を、近年「日本に更なる賠償を要求する為に」渋々謝罪に変えたが、
今も続く韓民族男性の特質である「レイプ好き」という性癖が戦争のどさくさで
“多数のベトナム混血児を生んだ事”には言及せず、賠償もしていない。
“戦後”には『竹島を侵略・占拠』してるし、その時にあろうことか
問答無用で“一般人の乗る漁船”に発砲して日本人を殺傷している。
日本の事を侵略者と言う癖に「韓国は他国を侵略した事ない」とか
「平和な民族」などと大胆な嘘を“言い切る”神経が日本人の判断力を狂わせる。
だが実は、話は簡単だ。
韓国人は“嘘つき”などではなく、“大嘘つき”というだけである。
“なぜ”そんな大嘘をつくか。
昔は歓迎していたものが『今は』邪魔になったからである。
志願して『日本帝国軍人』として共に戦った朴正煕(パクチョンヒ)という
韓国人がいる。彼はその後、何と「韓国の大統領」になっている。
経済発展の奇跡を実現した事で知られる朴正煕大統領は満州国駐留の
日本軍将校だったのである。
これも現代の韓国人達は忘れたフリをしている。日本軍を責める事は
韓国自身の過去の大統領を責める事だからである。
(最近ではもう誤魔化しきれなくなり、同胞であるはずの朴正煕を「親日派の
裏切り者」として糾弾し、韓国の歴史から切り捨てようとする動きすらある)
要するに彼らの現在の都合では、日本を悪者にして一方的に見下したいので
「朝鮮人は元日本人であり、戦争責任もある」という事実が邪魔なのである。
そこで、敗戦責任が朝鮮人にもある事を誤魔化す為に、
「戦争は日本に無理やり協力させられた」とか「併合は無理やりだった」とか、
自分の都合だけで歴史を書き直したのだ。
「昔、自ら選んで助けてもらった恩」が「今は邪魔」だから、
過去にあった出来事を『無効だ!』と今さら喚いているのである。
このような韓国人の“嘘つき癖”を象徴するエピソードがあるので
『朝鮮日報』という韓国の新聞の記事から2つほど引用してみよう。
嘘を大した事と思わない社会の風潮、そして日本の671倍の偽証。
そして80%が同僚の不正には目をつぶるというのである。
これで本当に“法治国家”として司法が機能するのか疑問になるほどの数字である。
だが、1つ目の記事で我々日本人が注目すべきは嘘をつく韓国人の“多さ”よりも、
「この記事が、嘘をつく韓国人にかなり同情的に書かれている」という点だ。
これが日本だったらどうだろう。
恐らく法廷で偽証する者など恥知らずとして呆れられ、社会的に信用を失うだろう。
だが韓国では違うのだ。
韓国社会では嘘や違法行為より「情」という言葉を優先するのである。
よく知られた韓国人の傾向として、彼らは以下のように自らの民族を誇る事が多い。
「我々韓国人は何よりも情を優先する情に篤い民族である。
日本人や中国人のような冷たい利害関係でのみ団結するものではない」
と。
金文学(中国生まれの朝鮮族三世。大卒後日本に。日中韓を客観的に見る作家)に
言わせれば、知り合いの韓国人、それこそ政府高官、国会議員、大学教授からOL、
会社の社長、出版社の編集者、新聞記者、作家、タレント、そして中・高校生に
いたるまで「韓国人は情が極めて多い民族とのプライドを持っていない人」など
誰1人としていなかったという。
つまり金文学の知る限り、全ての韓国人が自分達を「情の民族」だと
思っているのである。
日本人にはあまり知られていないが、実はこの「情」は韓国人にとって絶対的な
価値を持つ重要キーワードであり、情さえあれば嘘の正当化をも「美徳」としてしまう
思考パターンは、殆どの韓国人に共通するものなのである。
先程の中国人作家・金文学も「韓国人の呆れた“情”」の被害者であり、
本人曰く、「韓国人の幼稚さに辟易する国際人の一人」だという。
まず、前提として知っておくべき事は、この「情」とは韓国人にとっての
「身内」にのみ示す極度に排他的な「身内びいき」の形だという事。
韓国人は情を分かつ身内(ウリ)のためという名分があれば、
他の一切を無視し、自分勝手な事でも『それが正しい』と思い込んでしまう。
だから国際的には通用せず、世界中で揉め事を起こしてしまうのである。
日本から見れば、敗戦した途端に戦友を裏切った国がよくもまあ「情の国」などと
言えたものだと呆れるばかりなのだが…。
このような韓民族の風潮を理解すれば、韓国政府が歴史を書き換える政策に
至った経緯や風潮も、ある程度合点がいくのではないだろうか。
“同胞への情があるから”「韓民族は戦争をしたことがない平和的な民族だ」
などと平気で嘘をつけるし、それを本当だと思い込める。
軍船で海を渡り日本侵略を企てた『元寇』に関してはすっかり忘れたフリをして。
同様に、竹島が日本固有の領土である事の証拠などいくらでもあるのに、
“ウリの民族への情があるから”「偽の証拠地図」を作って“新発見”を騙ったり、
韓流スターらを使って「独島(※竹島の韓国名)は我が国の領土だ!」と
世界中で反日キャンペーンを続けられる。
扮装の舞台を国際司法裁判所に移して正々堂々決着をつけようという
日本側の提案からは何年もの間ずっと逃げ続けているのに、である。
彼らにとってそれが正義なのだから、もちろん嘘をつく事への罪悪感もない。
もはや嘘をついているという感覚ではないのだ。
朝鮮人と日本人が決定的に違う所はまさにこのような民族性であろう。
そしてその「堂々たる身勝手な嘘」や「根拠がなくても相手を圧倒する自信」こそが
彼らの最大の武器でもあるのだ。
韓国では「韓民族は戦争をした事がない平和的な民族」という
無根拠な嘘を堂々と教え、世界に発信し、民族の誇りとしている。
かのヒトラーも「嘘が大きければ大きいほど人々はよく信じる。
嘘でもしきりに繰り返せば遠からず多い人が真実で受け入れる」と言った。
特に日本人はこの手の『大胆すぎる嘘』には非常に弱く、
ギョッとして一瞬ひるんで“自分が無知だった”という事にして騙されてしまう。
「へぇー! そうだったのか、戦争をした事がないなんて知らなかった!
戦争をした日本より韓国は平和を愛する国なのかもしれないなぁ…。」
といった所だろうか。
当然、韓国が戦争をした事がないなど、とんでもない嘘である。
そもそも戦前は朝鮮も日本の一部であり、朝鮮人は日本人の一部だったので、
当然のように戦争も一緒にやっている。
そもそも中国に民族的に1000年間も虐げられてきた朝鮮人たちは、
当時ロシアや中国よりも強かった日本人の一部になる事を
大歓迎していたので、戦争への士気も非常に高かったのが実情である。
他にも『元寇』『応永の外寇』『日本領対馬・任那日本府への侵略』。
『ベトナム戦争』での虐殺も侵略行為。朝鮮は戦争をしているのである。
戦後日本は過去を認めて謝罪も賠償もしているのに対して、韓国は日本には
強硬姿勢をとり、一切何も認めようとしない。ベトナムに対しての「遺憾」という
態度を、近年「日本に更なる賠償を要求する為に」渋々謝罪に変えたが、
今も続く韓民族男性の特質である「レイプ好き」という性癖が戦争のどさくさで
“多数のベトナム混血児を生んだ事”には言及せず、賠償もしていない。
“戦後”には『竹島を侵略・占拠』してるし、その時にあろうことか
問答無用で“一般人の乗る漁船”に発砲して日本人を殺傷している。
日本の事を侵略者と言う癖に「韓国は他国を侵略した事ない」とか
「平和な民族」などと大胆な嘘を“言い切る”神経が日本人の判断力を狂わせる。
だが実は、話は簡単だ。
韓国人は“嘘つき”などではなく、“大嘘つき”というだけである。
“なぜ”そんな大嘘をつくか。
昔は歓迎していたものが『今は』邪魔になったからである。
志願して『日本帝国軍人』として共に戦った朴正煕(パクチョンヒ)という
韓国人がいる。彼はその後、何と「韓国の大統領」になっている。
経済発展の奇跡を実現した事で知られる朴正煕大統領は満州国駐留の
日本軍将校だったのである。
これも現代の韓国人達は忘れたフリをしている。日本軍を責める事は
韓国自身の過去の大統領を責める事だからである。
(最近ではもう誤魔化しきれなくなり、同胞であるはずの朴正煕を「親日派の
裏切り者」として糾弾し、韓国の歴史から切り捨てようとする動きすらある)
要するに彼らの現在の都合では、日本を悪者にして一方的に見下したいので
「朝鮮人は元日本人であり、戦争責任もある」という事実が邪魔なのである。
そこで、敗戦責任が朝鮮人にもある事を誤魔化す為に、
「戦争は日本に無理やり協力させられた」とか「併合は無理やりだった」とか、
自分の都合だけで歴史を書き直したのだ。
「昔、自ら選んで助けてもらった恩」が「今は邪魔」だから、
過去にあった出来事を『無効だ!』と今さら喚いているのである。
このような韓国人の“嘘つき癖”を象徴するエピソードがあるので
『朝鮮日報』という韓国の新聞の記事から2つほど引用してみよう。
■韓国の偽証は日本の671倍 偽証が氾濫する法廷
何の罪もない人を罪人に仕立て上げ、罰を受けるべき人の 罪を覆い隠す「偽証」が法廷で蔓延っている。 偽証とは民・刑事および行政訴訟などで、事実を明らかにする為に 裁判に出頭した証人が嘘をつくこと。検察が起訴した偽証事犯は2002年1343人。 98年の845人に比べ4年間で60%近く増えている。 検事が同席している刑事裁判はまだいい方だが、民事裁判は「嘘の競演場」 だという言葉が出てくる程だ。 特に、偽証自体が殆どないに日本とは統計だけでもはっきりと その違いが分かる。 2000年の場合、韓国で偽証罪で起訴された人が1198人である事に比べ 日本は5人だった。韓国と日本の人口の差を考慮した場合、国内の偽証が 日本の671倍に達するというのが最高検察庁の分析だ。 偽証がこのように多い理由は、嘘を大したことと思わない社会の風潮と、 「情」にもろい韓国の文化が最も大きな理由だと判・検事は話す。 清原(チャンウォン)地方裁判所・晋州(チンジュ)支部の尹南根(ユン・ ナムグン)部長判事は「親しい人に不利益を与えたくないという理由で、 証人としての出頭を極力避け、出頭したとしても『思い出せない』と答える ケースが多い」と話す。 偽証に対する処罰が軽いのも原因の一つとして挙げられている。 2001年、全国の裁判所が処理した計846件の偽証事件のうち、実刑が 宣告されたのは181件(21%)だった。 同年、刑事裁判全体(20万件)の中、実刑が宣告された事件は25%水準の 5万件だった。偽証罪は故意性が強い場合、最高懲役10年まで宣告することが できるが、軽い処罰で済むケースが多い。 (後略) 朝鮮日報 朴世鎔(パク・セヨン)記者 ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/02/13/20030213000039.html ■会社員に聞く「同僚の不正知ったらどうする?」…10人中8人「目をつぶる」 会社の同僚が業務と関連して不正行為をしたとしたら、 会社に申告する
社員はどれ位だろうか。 大韓商工会議所が会社員300人を対象に「会社員の倫理意識」を調査した結果、 回答者の21%、凡そ5人に1人が同僚の社内での不正行為を「申告する」と 答えた。一方、71.7%は「個人的に注意だけする」、8.3%は「知らないふりをする」 と答え、10人に8人程度が「目をつぶる」という反応を見せた。 これは、米国での調査で50%が申告すると回答したのとは大きな差を見せた。 商工会議所はこのような結果に対し、最近大企業を中心に倫理経営が 広まっているものの、韓国企業は未だに米国に比べて内部申告制度が きちんと定着していない為だと説明した。(中略) これと共に、非倫理的行為の原因を聞く質問には、回答者のおよそ 半分に当たる44.7%が社会的慣行のためだと答え、業務成果至上 主義(35%)、組織運営費不足(14.6%)、上司の指示(4.1%)、疎かな 監視活動(1.6%)などが後に続いた。 朝鮮日報 ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/14/20061114000053.html |
嘘を大した事と思わない社会の風潮、そして日本の671倍の偽証。
そして80%が同僚の不正には目をつぶるというのである。
これで本当に“法治国家”として司法が機能するのか疑問になるほどの数字である。
だが、1つ目の記事で我々日本人が注目すべきは嘘をつく韓国人の“多さ”よりも、
「この記事が、嘘をつく韓国人にかなり同情的に書かれている」という点だ。
これが日本だったらどうだろう。
恐らく法廷で偽証する者など恥知らずとして呆れられ、社会的に信用を失うだろう。
だが韓国では違うのだ。
韓国社会では嘘や違法行為より「情」という言葉を優先するのである。
よく知られた韓国人の傾向として、彼らは以下のように自らの民族を誇る事が多い。
「我々韓国人は何よりも情を優先する情に篤い民族である。
日本人や中国人のような冷たい利害関係でのみ団結するものではない」
と。
金文学(中国生まれの朝鮮族三世。大卒後日本に。日中韓を客観的に見る作家)に
言わせれば、知り合いの韓国人、それこそ政府高官、国会議員、大学教授からOL、
会社の社長、出版社の編集者、新聞記者、作家、タレント、そして中・高校生に
いたるまで「韓国人は情が極めて多い民族とのプライドを持っていない人」など
誰1人としていなかったという。
つまり金文学の知る限り、全ての韓国人が自分達を「情の民族」だと
思っているのである。
日本人にはあまり知られていないが、実はこの「情」は韓国人にとって絶対的な
価値を持つ重要キーワードであり、情さえあれば嘘の正当化をも「美徳」としてしまう
思考パターンは、殆どの韓国人に共通するものなのである。
先程の中国人作家・金文学も「韓国人の呆れた“情”」の被害者であり、
本人曰く、「韓国人の幼稚さに辟易する国際人の一人」だという。
まず、前提として知っておくべき事は、この「情」とは韓国人にとっての
「身内」にのみ示す極度に排他的な「身内びいき」の形だという事。
韓国人は情を建前にすれば相手に迷惑をかけようが無理を押し通そうが
意に介さず、遠慮もしない。又、親しい者は遠慮しなくて当然なのである。
(従って日本の「親しき者にも礼儀あり」は、韓国で「日本人は冷たくて薄情」と評される)
金文学は朝鮮族三世だが、中国で育ち、日本の礼儀正しさも良く知る者である為、
このような韓国式の「情」に拒否感をもち、うんざりしているという。
中国人も人情を重視するが、韓国人のような信義のない狭量なものではないし、
日本人は韓国人のような狭苦しい情の押し売りは寧ろ相手への礼を失すると考える。
金文学は、韓国が「情」を原理とするなら、中国は「義」、日本はその2つを超えた
「理」を重んじる国だと分析し、韓国人の言うところの「情」の主張は韓国以外の
どこの世界でも通用しない「田舎っぺ」の行為だと韓国人に向けて諫言する。
そして以下の様に「韓国人が情の民族であるという妄信」を否定した。
意に介さず、遠慮もしない。又、親しい者は遠慮しなくて当然なのである。
(従って日本の「親しき者にも礼儀あり」は、韓国で「日本人は冷たくて薄情」と評される)
金文学は朝鮮族三世だが、中国で育ち、日本の礼儀正しさも良く知る者である為、
このような韓国式の「情」に拒否感をもち、うんざりしているという。
中国人も人情を重視するが、韓国人のような信義のない狭量なものではないし、
日本人は韓国人のような狭苦しい情の押し売りは寧ろ相手への礼を失すると考える。
金文学は、韓国が「情」を原理とするなら、中国は「義」、日本はその2つを超えた
「理」を重んじる国だと分析し、韓国人の言うところの「情」の主張は韓国以外の
どこの世界でも通用しない「田舎っぺ」の行為だと韓国人に向けて諫言する。
そして以下の様に「韓国人が情の民族であるという妄信」を否定した。
率直に指摘すると暴言の様に聞こえるかもしれないが、 私が思うに、韓国人には本来「情」というものがないのかもしれない。 少なくとも真の国際的なレベルでの情は、存在しないのである。 ただ自ら「情の民族」だという思い込みが屈折したイメージと 誇大な妄想に囚われて、勝手に肥大化し、妄信を生んでいるだけなのだ。 (祥伝社黄金文庫『韓国民に告ぐ』金文学/金明学 2002年より) |
韓国人は情を分かつ身内(ウリ)のためという名分があれば、
他の一切を無視し、自分勝手な事でも『それが正しい』と思い込んでしまう。
だから国際的には通用せず、世界中で揉め事を起こしてしまうのである。
日本から見れば、敗戦した途端に戦友を裏切った国がよくもまあ「情の国」などと
言えたものだと呆れるばかりなのだが…。
このような韓民族の風潮を理解すれば、韓国政府が歴史を書き換える政策に
至った経緯や風潮も、ある程度合点がいくのではないだろうか。
“同胞への情があるから”「韓民族は戦争をしたことがない平和的な民族だ」
などと平気で嘘をつけるし、それを本当だと思い込める。
軍船で海を渡り日本侵略を企てた『元寇』に関してはすっかり忘れたフリをして。
同様に、竹島が日本固有の領土である事の証拠などいくらでもあるのに、
“ウリの民族への情があるから”「偽の証拠地図」を作って“新発見”を騙ったり、
韓流スターらを使って「独島(※竹島の韓国名)は我が国の領土だ!」と
世界中で反日キャンペーンを続けられる。
扮装の舞台を国際司法裁判所に移して正々堂々決着をつけようという
日本側の提案からは何年もの間ずっと逃げ続けているのに、である。
彼らにとってそれが正義なのだから、もちろん嘘をつく事への罪悪感もない。
もはや嘘をついているという感覚ではないのだ。
朝鮮人と日本人が決定的に違う所はまさにこのような民族性であろう。
そしてその「堂々たる身勝手な嘘」や「根拠がなくても相手を圧倒する自信」こそが
彼らの最大の武器でもあるのだ。
迷いなく溢れる自信。
~下記からの抜粋です(続)~