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小鳥が丘団地の庭
小鳥が丘団地の庭
ATCグリーンエコプラザのセミナールームにおける桃花台及び小鳥が丘等のの住民たち
大阪市立大学特任教授の畑明郎先生と環境カウンセラーの藤原きよみさん
小鳥が丘団地に以前あった旭油化の工場
小鳥が丘団地土壌汚染「現地報告と裁判経過」
2009年12月18日おおさかATCグリーンエコプラザで「土壌汚染の社会的問題」と題するセミナーが開催されました。
そのセミナー資料に一部加筆して公開します。1. 小鳥が丘団地土壌汚染の概要
1.1 はじめに
小鳥が丘団地は岡山市の東部にあり、すぐそばには小鳥の森公園という農林センターのある自然に恵まれた戸数35戸の小さな住宅団地です。「土壌汚染問題」が発覚して5年以上になりますがその間、宅地販売業者はもちろん岡山県、岡山市、議員、等に何度となく解決を要望してきましたが今もそのままの状態です。
発覚当初は不安・心配ばかりでしたが、関係者の信じられない対応ぶりに段々憤りを覚え、そのエネルギーを支えに、ここまでやってきましたが、最近ではあまりの道理のなさに怒りを通り過ぎて、茶番劇を見ている様な錯覚さえ感じます。
1.2 汚染発覚
2004年7月(H16)に岡山市水道局から鉛製水道管解消事業の為、団地の水道管を取り替えるとの連絡があり、取り替え工事中に土壌汚染が発覚しました。刺激臭のある油のような液体がポンプで排水しなければならない程、大量に湧き出しました。
「小鳥が丘団地」が開発された1987年(S62)には、鉛の水道管は鉛公害で国会でも取り上げられ、昭和56年当時使用を止めていたものを何故この団地で使用していたのか、岡山市水道局に公開質問状を出しましたが、水道局からは、団地造成の時に水道工事業者が、小鳥が丘団地の土質が悪いので鉛管を使用したいと要請があり、使用を認めたと回答がありました。
それと、水道管入れ替えで排出した土壌は、持ち出しても処理できないので埋め戻すしかないと言われました。
団地造成当時から土壌汚染は認識されていたのです。
しかし、その土壌が悪いため、あえて腐食に強い鉛水道管を使用したにもかかわらず、鉛管に腐食による穴が明いていました。風呂の配水管が溶けていた住宅もあります。
1.3 汚染の原因
汚染源は直ぐ分かりました。20年ぐらい前までこの土地で操業していた旭油化工業という化学工場の跡地で、操業中は悪臭公害で行政より十数回に渡り行政指導を行ったが改善されませんでした。当時の関係者に聞くと、主に京阪神地方の工場廃油の処分を引き受け、ドラム缶で集め、この土地に垂れ流ししていたようです。それを十数年に渡り廃棄し続けました。しかも香川県豊島産業廃棄物不法投棄事件と関連がありました。豊島の廃棄物搬入ルートに旭油化工業の名前が資料に載っていました。
悪臭公害の解決策として1982年(S57)に、行政も関与し両備バス蝓文塾照曄璽襯妊ングス蝓砲買い取るという事で操業を停止し、旭油化工業と両備バス蠅隆屬杷簀齋戚鵑成立しました。この工場跡地を両備バス蠅宅地開発販売したのが、「小鳥が丘団地」です。
20数年前の事ですから周辺に住んでいて当時の様子を知る人も多く、話を聞くと相当ひどいものだった様です。住宅団地になると聞いて本当に大丈夫なのかと疑問に思った人も居たようです。
旭油化工業は近郊の赤磐郡吉井町(現あかいわ市)に名前を瑞穂産業と変え工場を設置し、当地と同様に廃油を垂れ流して土壌汚染を引き起こした為、吉井町ではこの公害工場を1983年1月に操業わずか3か月で撤退させ跡地を調査し土壌汚染が深刻と判断し土壌入替えを行っています。
1.4 汚染発覚以降の推移
汚染発覚当初、両備バス蠅錬害媾蠅離棔璽螢鵐按敢困篩憾与瑤猟蹐良汁愿敖敢座召療攵軣敢困鮗損椶掘環境基準値を超える有害物質が検出されましたが、岡山大学の先生を中心とする両備バス設立の委員会(南古都挟超対策検討委員会)の意見書により、住民の健康への影響が直ちに懸念されるものではない、と回答し、その後の調査も住民との話し合いも打ち切り、長く放置された状態が続きました。両備バス蠅梁弍
・宅地開発当時、土壌汚染の認識はなかったと主張。・両備バス蠅住民に示した話し合いに応じる前提。
[照丱垢頬‥責任が無い事を認めること。
⇔照丱垢蓮△海谿幣緜敢困呂靴覆ぁ
住民の意見を統一すること。
っ倭悗離ス抜き工事等改良案は提示したが、費用については両備バスがすべて負担するものではない。
(住民側の負担が基本)
ガス中毒
2006年6月に住民が倉庫工事のため自宅庭を掘削したところ地下15cm~40cm部分から黒い刺激臭のする土壌が出てきました。現地確認を両備バス蠅墨⇒蹐鬚靴泙靴燭拒否され、現地はそのままの状態でした。 2006年10月、住民は掘削した自宅庭をそのままにも出来ず、掘削跡の埋め戻しや堆積した土壌を移動中に倒れ、救急車で病院に搬送され治療を受けました。診断書はガス中毒(亜硫酸ガス中毒疑い)です。原因は庭の掘削跡に水が常時溜まっていて、移動中の堆積した黒い土壌と反応して発生したガスを吸い込んだ様です。
行政開発許可
小鳥が丘団地の開発は3期に分かれていて、最初の第1期は岡山県が宅地開発許可を与え、その後の権限移譲により第2期3期の宅地開発許可は岡山市が与えています。住民が健康被害を受けたにもかかわらず両備バス蠅調査をしないので、開発を許可した行政に土壌調査要望書を提出しましたが、岡山県は現在の担当行政は岡山市だからそちらの方へと言われ、岡山市に行けば最初に土地調査をして開発許可を出したのは岡山県であり岡山市は土地に関与していないし、調査を適用するような法律がないので出来ないとの(たらい回しの)回答でした。
汚染土壌処分方法
このままでは心配なので、住民が自費で自宅庭の表層土を入れ替えようと思い土壌の廃棄場所を指定してもらう為、2006年9月に岡山市を訪ねたところ、「小鳥が丘団地の土壌は汚染指定区域外の土地ではあるが汚染指定地と同等の処分をして下さい」と言われました。つまり、汚染土壌なので指定機関で調査をし、指定機関が指示する場所でないと捨ててはならないと言うのです。もちろん検査費用や廃棄費用は住民の負担です。
刑事告訴
この様な健康被害に合う事態になった為、住民2名で、2006年11月に重要事項説明違反で宅地開発販売業者を刑事告訴しましたが、土地購入日(平成5年)からの時効で受理して貰えませんでした。この件の時効は最大でも3年で、私たちの案件は売買契約から3年と言われましたが、そもそも土壌汚染のような土中に原因のある瑕疵は建物と違って1年や3年で購入者が発見できる方が稀で長期間経った後、何かのきっかけで発覚するのが普通だと思い法律の不備を感じます。
寄付依頼
銀行からは、土地建物の担保価値なし、と言われ担保融資も受けられないため、住民による土壌調査を実行出来ずにいましたが、このままでは実態が分からぬまま放置されてしまいます。そこで寄付をお願いし、足らないところは住民で資金を工面し、民間の調査分析会社にガス中毒で倒れた自宅内の表層土壌の調査分析を委託しました。 “サンプル数は少ないものの、土壌ガスから発がん性のベンゼンが、土壌溶出量基準を超えるベンゼン、猛毒のシアン、発がん性のある鉛やヒ素が検出されており、危険で有害な土壌であることが証明されたと思います。ベンゼンや鉛は、廃油や廃溶剤などからと考えられますが、シアンやヒ素の原因は不明です。応急対策として、敷地土壌のアスファルトやセメントによる被覆が早急に必要と考えます。恒久対策としては、建物移転・撤去→土壌入れ替え→再建築しかないと思います。”
汚染発覚当初、両備バス蠅行った全戸数の表層土調査の時、この家の庭も表層土調査を行っていますが異状なしでした。なぜこれほど違うのか疑問です。
この分析結果報告書は当然、岡山県や岡山市の担当窓口に提出し、猛毒のシアンが検出されましたと相談しましたが、自治体では詳しい調査は出来ないとの事でした。
自治体が公正な調査をして汚染実態を明らかにしなければ、その後の対策は前に進まないと思うのですが、自治体にいくら要望しても民間の問題なので調査する法律がない、と言います。
この分析結果報告書は当然、岡山県や岡山市の担当窓口に提出し、猛毒のシアンが検出されましたと相談しましたが、自治体では詳しい調査は出来ないとの事でした。
自治体が公正な調査をして汚染実態を明らかにしなければ、その後の対策は前に進まないと思うのですが、自治体にいくら要望しても民間の問題なので調査する法律がない、と言います。
放置された状態でした。
1.5 私たちの懸念する事
小鳥が丘団地土壌汚染で最も深刻な事は住宅地である事です。1日で一番長い時間を過ごすマイホームで安全に生活出来ないのです。・住民にはアトピー性皮膚炎、鼻炎、頭痛、死亡者にガンが多い等、懸念する事が多い。
・団地内から可燃性ガスが出ていて、地元消防署も確認し、充満すれば爆発の危険性も指摘された。
・夏になると夜中に家庭用ガス漏れ警報器が鳴る家もある。
・一戸建て住宅なのに、庭で家庭菜園しても食べない方がいいと言われた。
・小さな子供が砂遊びすると、注意しても口に入れる事があるので、庭で土いじりさせない様に言われた。
・団地に接する川に油が染み出している。
・解決出来なければ、当事者一代でなく、子や孫の何代にも渡って被害を出し続ける。
・周辺への汚染拡大の危険がある。周辺地域に地下水汚染を疑われる現象があり、心配しています。
私たちは安全安心に生活したいだけなのですが今の状況はそれを許してくれません。
1.6 民事裁判に発展
汚染発覚後、被害者住民35世帯で「小鳥が丘環境対策委員会」を設立し対応してきましたが、両備バスはこれ以上調査しない態度を鮮明にし、公的支援もほとんどないに等しく、こう着状態が続きました。 その中で、機動的に活動して証拠を集めなければ進展が無い、と考える住民が、「小鳥が丘環境対策委員会」を一時脱退、別働隊として2名で証拠集め活動(後に「小鳥が丘団地有志の会」を経て「小鳥が丘団地救済協議会」を立上げ)を始めました。
こうして先行した「小鳥が丘団地救済協議会」3世帯(住民訴訟第一次)と後から続いた「小鳥が丘環境対策委員会」18世帯(住民訴訟第二次)が民事裁判で闘っています。
上記内容は岡山両備小鳥が丘団地土壌汚染事件第一次訴訟団の資料をもとにしています。
正確さを100%保障するものではありません。
詳しく知りたい方は現地確認等でご確認下さい。
正確さを100%保障するものではありません。
詳しく知りたい方は現地確認等でご確認下さい。