水豊ダム
第2次世界大戦終了時、日本は朝鮮半島に現在の時価で16兆円を超える資産を残したと言われるが、ダムもその一つ。
建設主体 日本窒素肥料株式会社
場所 鴨緑江水系
1 赴戦江ダム
第一発電所は1930年(昭和5年)完成、全体は1932年(昭和7年)完成、
発電所4ヶ所、総発電量20万700KW、
発電した電力は100%会社が使用(肥料工場用)。
2 長津江ダム
第一発電所は1936年(昭和11年)完成、全体は1932年(昭和7年)完成、
発電所4ヶ所、総発電量32万6500KW
発電した電力の50%は会社が使用、残り50%は民生用。
3 虚川江ダム
第一発電所は1940年(昭和15年)完成、全体は1943年(昭和18年)完成、
発電所4ヶ所、総発電量33万8800KW
発電した電力の33%は会社が使用、残り50%は民生用。
4 水豊ダム
1941年一部発電開始、全体完成は1944年(昭和19年)
湖表面積345平方km、貯水容量116億立方メートル
総発電量10万KW発電機7台=70万KW
発電した電力の50%は満州へ送電、
朝鮮半島分50%のうち3分の1が会社使用、3分の2が民生用。
比較データ
○当時の日本(内地)の最大の発電所は、神通川・蟹寺発電所の4万5千KW
○日本最大の湖である琵琶湖は675平方km。水豊ダムの湖表面積はその半分以上。
○水豊ダムの湖表面積は、当時世界最大であったアメリカ・ワシントン州のグランドクーリーダムの391平方kmに次いで第2位(← おそらく、このことを指して、水豊ダムは当時世界第2位の規模であると言われるのだろう。)
これだけの規模の新規電力は、きっと朝鮮社会の発展に大きく寄与したことと思う。
蛇足
日本窒素肥料株式会社は、先日の投稿で紹介した野口遵氏が経営する会社。後に日本・熊本県で水俣病を引き起こすことになる。