人類が直面する環境汚染問題
水俣病の原因となったメチル水銀化合物は、化学工場の生産工程中に、工業的に利用価値の無い副生成物として発生し、排出されたものである。環境中に排出された微量のメチル水銀化合物が生物濃縮を経て人や動物に有害な作用をもたらすという過程はそれまで経験の無いものであった。
こうした経験が、国際的な化学物質の安全対策(International Programme on Chemical Safety)の契機ともなった。また、メチル水銀化合物が胎盤を経由して胎児に影響を与えていたことも、それまでの中毒学の常識を覆すものであった。
現在、世界では工場における原料や製品の素材などとして使用されているものだけでも10万種もの化学物質があり、そのうちかなりの物質は程度の差こそあれ、環境中の経路を通じて人の健康や生態系に有害な影響を及ぼす一定の可能性(環境リスク)を有すると考えられている。
これら膨大な数の化学物質に対し、その環境リスクをチェックする人員も予算も十分でなく、多くの化学物質について未だ環境リスクが十分評価されていないのが現状である。
また、水俣病とは個人に与える被害のリスクの性格や重要性に大きな相違はあるが、内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)やフロンのように、科学の進展によって製造当時には予測もつかなかった有害性が発見されることもある。さらに現在は、地球環境保全の観点から低濃度の化学物質の長期曝露による生態系への影響、大気、水、土壌といった複数の環境媒体を通じた汚染の拡がり、化学物質の複合影響も懸念されている。
今日、化学物質は多様な形で利用され、人々の生活に密着したものになっているが、しかしこれには有用・有害の両面があり、問題は一層複雑になっている。その対策も、工場からの排水や排ガスを規制すれば足りるというものではない。製品中に用いられ、製品として使用、廃棄されるものをも含めて環境面からのトータルな管理が必要であり、さらに、化学物質の与える有害な影響が科学的にわかっていないことが多いからこそ、いかに化学物質による環境リスクを避けるか、又はそのリスクを低いものにしていくかという観点から、必要な情報の開示と、それに基づく一人ひとりの賢明な行動が必要となっている。
また、途上国をはじめとする諸外国に目を転じると、金精錬のための水銀の使用、石炭中の水銀による汚染、工場からの水銀の排出など、水銀汚染のおそれのある地域が未だに多数存在している。
我々は、国の内外のこうした化学物質をめぐる問題に対して、水俣病のような失敗を繰り返さないように対処するためには、過去の経験、特にとるべき対策をとらなかった結果として多くの犠牲を強いてしまった歴史、あるいは、つまずきを乗り越えてきた努力の歴史を学び、その苦い経験を教訓として活かしていかなければならない。