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[転載]渡来系弥生人の故郷を中国に求めて&日本での広がり

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 渡来系弥生人は大陸のどこからやって来たのでしょうか。最近の調査により、水稲耕作の発祥の地ともいわれている中国南部が有力視されています。黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人によく似た人骨があいついで見つかっています。
 この時代の中国は、政治的に動乱の時代であり、いろいろな民族が入り乱れて戦いました。日本にやって来た渡来民は、このような動乱から逃れてきた人々だったのでしょうか。
 
渡来系弥生人によく似た頭骨が発見されている中国の遺跡
 
揚州から出土した前漢時代の男性頭骨
(南京博物院保管)
 
 

 
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 弥生時代の中頃(紀元前後)になると、大陸から渡来民が大勢やってくるようになりました。しかし、弥生時代の遺跡からみつかっている人骨が、すべて平らな顔の渡来系弥生人というわけではありません。
 当時の日本列島には、縄文人の子孫たち(在来系弥生人)も住んでいました。
 
弥生人骨の発見地
 弥生時代、西日本に姿を現した渡来系弥生人は、日本列島の東のほうでは、どこまで広がっていったのでしょうか。
 東日本でも、数は少ないですが弥生人骨はみつかっています。たとえば、歯の形態からは、関東西部の三浦半島や長野県にも渡来系弥生人が来ていたと推定されています。
 北海道でも渡来系弥生人の特徴をもつ人骨が1体だけ見つかっています。
 
 
 
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寒冷地適応した北方アジア人
(イラスト 石井 礼子)
新人(ホモ・サピエンス)は熱帯で生まれ、やがて徐々に寒冷な気候に適応していきました。しかし、シベリアの厳寒の気候に適応できたのは、わずか2万年ほど前のことです。体温の発散を防ぐために、身体はずんぐりし、手足は短くなりました。顔の凍傷を防ぐために、鼻は低くなり、皮下脂肪が発達して、まぶたは厚く一重になりました。
やがて、6000年ほど前、このような北方アジア人が、シベリアから南下し、中国の大部分に広がっていきました。2300年前頃には、水田稲作の技術とともに、ついに日本列島にやってきました。彼らこそが渡来系弥生人だったのです。
   
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九州・山口地域の弥生人骨の発見地
 九州では、福岡平野や佐賀平野などの水田稲作に適した地域から出土する人骨は渡来系弥生人です。
 一方、九州でも、長崎県や五島列島などの山間部や、伝統的な漁労を続けていた海岸部の地域から出土する人骨は縄文人そっくりです。つまり、この時代には渡来系弥生人と縄文人の子孫たちが「住み分け」をしていたようです。
 
 
 
 
 
 
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 弥生人は、壺に祖先の顔をあらわしました。東日本では、子供の骨をいれる容器の形をした土偶は、壺の口に顔だけをあらわした蔵骨器へと変わりました。
 のちには、壺の胴に祖先の顔を描いて、お供え物の相手をあらわしました。木偶は女と男の祖先をあらわし、人の顔をかたどった小さな土製品も、できあがると守り神がやどっていると考え、祈りの対象にしました。
 弥生人は、ほかに、サギを稲の精霊、シカを土地の精霊とみなして、稲作の豊かさを祈る心をもっていました。
 
 
口に顔をあらわしたつぼ(レプリカ)
前2世紀
茨城県海後出土
国立歴史民俗博物館蔵(茨城県立歴史館)
口に顔をあらわしたつぼ(レプリカ)
前1世紀
神奈川県上台出土
国立歴史民俗博物館蔵(個人)
胴に入れ墨の顔を描いたつぼ(レプリカ)
2世紀
愛知県亀塚
国立歴史民俗博物館蔵(安城市歴史博物館)

男の木偶(レプリカ)
女の木偶(レプリカ)
前2世紀
滋賀県大中の湖南
国立歴史民俗博物館蔵(滋賀県教育委員会)
顔を描いた土製のお護り
1世紀
岡山県加茂政所
岡山県古代吉備文化財センター蔵
鼻と眉を立体的に表した土製のお護り
1世紀
岡山県上東
岡山県古代吉備文化財センター蔵

人形形土製品(レプリカ)
1世紀
岡山県百間川兼基
岡山県古代吉備文化財センター蔵
顔を描いた土製のお護り
1世紀
岡山県加茂政所
岡山県古代吉備文化財センター蔵

 
 
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 紀元前4~5世紀ごろ、九州、四国、本州で水田稲作が始まりました。しかし、南西諸島や北海道は食料採取に依存していました。稲米は、粒が大きく収穫量は多く、保存もよかったのです。
 ブタの飼育も始まりました。鉄器は実用品として、青銅器は祭り用として発達しました。土地と水、富をめぐって戦いが始まり、交通路の掌握や朝鮮・中国との外交権をめぐる戦争へと発展していきました。
 こうして、集団内にも集団間にも、支配・従属の関係が次第に作られていったのです。
 
青銅のカネ(銅鐸)
1世紀
兵庫県生駒
国立歴史民俗博物館蔵
つぼ
高杯
前1世紀
大阪府亀井出土
大阪府文化財調査研究センター蔵
浅鉢 かめ
前1世紀
大阪府亀井出土
大阪府瓜生堂出土
大阪府文化財調査研究センター蔵

木を切り削る石おの
前1世紀
城山遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵
木を切り削る石おの
前1世紀
美園遺跡出土
瓜生堂遺跡出土
井遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵
石製の穂摘み具(石包丁)
前1世紀
亀井遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵

木製の鍬
前1世紀
亀井遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵
木製の鋤
前1世紀
亀井遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵
木製の杵
前1世紀
巨摩遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵

転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)


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