熊野市歴史民族資料館にあった半両銭は、なくなっていした。どこへ行ったのでしょうか?
熊野市歴史民族資料館を訪問させていただきました。
徐福伝説の物的証拠として価値のある「半両銭」が、熊野市歴史民族資料館の所蔵していると熊野市発行のガイドブックに書いてあります。
しかし、熊野市歴史資料館長に尋ねたところ
「10年前頃に熊野市歴史資料館から半両銭がなくなりました。なお、区長さんが保管しているらしい。」
とのことです。
半両銭は約2200年前に秦で使用された貨幣で、熊野で発見されるのは、とても貴重な文化財と思います。
熊野市歴史資料館所蔵の半両銭紛失または盗難に対する法的処置を含む適切な対応や、熊野の残されている、大陸からの貨幣などのアジアの歴史を考えるうえで貴重な証拠を回収されることを切に希望します。
徐福伝説の物的証拠として価値のある「半両銭」が、熊野市歴史民族資料館の所蔵していると熊野市発行のガイドブックに書いてあります。
しかし、熊野市歴史資料館長に尋ねたところ
「10年前頃に熊野市歴史資料館から半両銭がなくなりました。なお、区長さんが保管しているらしい。」
とのことです。
半両銭は約2200年前に秦で使用された貨幣で、熊野で発見されるのは、とても貴重な文化財と思います。
熊野市歴史資料館所蔵の半両銭紛失または盗難に対する法的処置を含む適切な対応や、熊野の残されている、大陸からの貨幣などのアジアの歴史を考えるうえで貴重な証拠を回収されることを切に希望します。
半両銭で現在日本で発見されているのは、下記の例です。
(1)福岡県志摩町御床松原遺跡出土……1枚(前漢BC175年以降)
(2)福岡県志摩町新町遺跡出土 ……1枚( 〃 )
(3)山口県下関市武久浜墳墓群出土……1枚( 〃 )直径2.2cm
(4)山口県宇部市沖ノ山遺跡出土 ……9枚( 〃 )
(5)和歌山県熊野市波田須出土 ……7枚の内1枚現存(秦半両、秦の統一以降)直径3cm
徐福に確実に結びつくのは熊野市の波田須出土のものだけです。このことから考えるに、徐福の2回あった航海(前219年、前210年)の内、初回の航海での徐福船団の船がここに着いたのではないかと考えるのが合理的と思えます。
多分初回の航海で徐福は直接長江あたりから東の大海の中に向かい、黒潮や嵐のためその船団が海のもくずと消えたなかで、たまたまた波田須に辿り着く船があったのではないでしょうか。長粒種の稲の流れが、黒潮に沿って和歌山や徳島に着いたのもそのような理由ではなかったかと思われます。
(1)福岡県志摩町御床松原遺跡出土……1枚(前漢BC175年以降)
(2)福岡県志摩町新町遺跡出土 ……1枚( 〃 )
(3)山口県下関市武久浜墳墓群出土……1枚( 〃 )直径2.2cm
(4)山口県宇部市沖ノ山遺跡出土 ……9枚( 〃 )
(5)和歌山県熊野市波田須出土 ……7枚の内1枚現存(秦半両、秦の統一以降)直径3cm
徐福に確実に結びつくのは熊野市の波田須出土のものだけです。このことから考えるに、徐福の2回あった航海(前219年、前210年)の内、初回の航海での徐福船団の船がここに着いたのではないかと考えるのが合理的と思えます。
多分初回の航海で徐福は直接長江あたりから東の大海の中に向かい、黒潮や嵐のためその船団が海のもくずと消えたなかで、たまたまた波田須に辿り着く船があったのではないでしょうか。長粒種の稲の流れが、黒潮に沿って和歌山や徳島に着いたのもそのような理由ではなかったかと思われます。
連絡先 大阪水・土壌汚染研究会 アジア部会 atcmdk@yahoo.co.jp
三重県警察本部 熊野警察署
熊野市井戸町380 |
0597-88-0110 |