秦の始皇帝の命で、波田須にたどり着いた徐福を祀る
「徐福の宮」 今から2200年以上前、秦の始皇帝が不老長寿の仙薬を熱望し、徐福にその入手を求めました。徐福は数十艘の船団を組み東方に向かって船出しましたが、途中台風に遭い徐福の船だけが、この地矢賀の里に流れ着いたと言われています。帰国を断念した徐福は永住を決意し、やがて窯を設け、焼物を教えたと言います。今も残る窯所、窯屋敷という地名はこのことを伝えています。 この地に土木・農耕・捕鯨・医薬などの中国文明を広めたことから、当地では神として崇め手厚く祀ってきました。波田須の地名は、古く「泰住(はたす)」と記され、徐福の品が数々残っていることながら、徐福の渡来伝承が残る全国20カ所以上の中でも有力とされています。徐福の宮の境内には徐福の墓があり、宮の傍らには徐福が探していたとされる仙薬「天台烏薬」が茂っています。
<まめ知識> 徐福の宮の参道修復中に数枚の古銭が発掘され、2002年に中国の学者が鑑定したところ、中国秦の時代の古貨幣「半両銭」と判りました。「半両銭」の出土は国内でも珍しく貴重なものです。 |
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天女座物語シンセサイザー奏者の紫帆りんが三重県熊野市に永年の夢だった海一望の音楽ホール天女座を立ち上げました。そこから生まれる物語です大正ロマンのノスタルジーにひたる
海の見える音楽ホール&カフェ http://higashikishu.org/info/hanamaru.php?itemid=473 カフェの窓からは熊野灘が一望。岬にうちつける白波、キラキラと光る海面 空とつながる水平線を望む 大泊から海岸線沿いに国道311号を走ること約10分。 小道の先に海にせりだすかのように建つ大きな建物。 10年前、ヒーリングミュージックの音楽家である矢吹紫帆さんが、 この地に魅せられ移り住み、天女座をオープン。 元は自動車部品の製造工場だった建物が、1Fに音楽スタジオ、 2Fに約100畳の音楽ホールをもつカフェに生まれ変わった。 まちかど博物館でもあるカフェには、大正時代のピアノやオルガン、 チェンバロなど珍しい楽器が並ぶ。 矢吹さんの即興演奏がはじまることも。 |