ツシマヤマネコ
ツシマヤマネコ
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Prionailurus bengalensis euptilurus Elliot, 1871 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Felis bengalensis euptilura | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ツシマヤマネコ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Tsushima Leopard Cat (Leopard Cat) |
ツシマヤマネコ(対馬山猫、学名:Prionailurus bengalensis euptilurus)は、ネコ目(食肉目)ネコ科に属する哺乳動物の一種。近年になって南アジアから東南アジアに分布するベンガルヤマネコPrionailurus bengalensis(シノニム Felis bengalensis)の亜種であるアムールヤマネコP. b. euptilurusの変種として位置づけられた。本亜種は日本では長崎県の対馬にのみ分布する。
ツシマヤマネコの呼称
マンシュウヤマネコ(P. b. manchurica) またはチョウセンヤマネコと呼ぶこともある。その場合、これらのヤマネコのうち対馬に生息するものを特に「ツシマヤマネコ」と呼ぶことになるが、これは亜種のさらに下位グループとなるので、変種(地域個体群)扱いとなる。
また、地元対馬の人々の間では、山に住むトラ毛に因み「とらやま」「とらげ」と呼ばれていた。地域によってはツシマヤマネコの餌となる動物が住む水田付近でも見かけられることから「田ネコ」「里ネコ」と呼んでいた。
特徴
- 体長:50~60cm
- 体重:3~5kg
- 寿命:8~10年
- 生息数:80~110頭(2000年代前半)
- 耳の裏に白色の斑点がある
絶滅の危険性と保護活動
日本国内に分布するネコ類は、イエネコを除けば、対馬のツシマヤマネコと、西表島のイリオモテヤマネコの2種のヤマネコのみである。1965年の劇的な発見と報道(毎日新聞、1965年4月15日)により全国的に知られるようになったイリオモテヤマネコと比べると知名度は劣るが、本種も同様に絶滅が危惧される希少動物である。
1994年、環境庁(当時)によって国内希少野生動植物種に指定されたが、哺乳類では長らくイリオモテヤマネコと本種の2種のみが指定種であった(2004年にダイトウオオコウモリとアマミノクロウサギが、2009年にオガサワラオオコウモリが指定され、現在は5種)。
一方、1998年の「哺乳類レッドリスト (環境省)」(当時は環境庁)発表以来、一貫して絶滅の恐れが最も高い絶滅危惧IA類(CR)(環境省レッドリスト)とされている(イリオモテヤマネコは当初IB類であり、2007年よりIA類となった)。
かつては、単に「山猫」と言えば、それは(野猫を指すことも多かったが、その場合を除けば)特にツシマヤマネコのことであった。
「猿」と言えばニホンザル、「狐」と言えばアカギツネを意味したのと同様である。古くは200年ほど前の文献に「山猫」として記述されており、1902年頃までは、対馬全域に普通に生息していたと言われる。毛皮は利用価値が低かったが、肉は美味であり、島にはもっぱらヤマネコを狩る猟師も存在した。猟犬の導入による減少があったとも言われるが、1945年頃までは、山奥にはまだかなりの数が生息しており、山に入れば必ず目撃されたとされる。
しかしその後、森林の伐採による営巣地の破壊に加え、林業の普及により本来の植生である広葉樹林や照葉樹林そして混合林の伐採された跡に針葉樹の植林が進められたことや、山間部の耕作地の放棄が進んだこともあって、食物となるネズミや野鳥などの小動物が減少した(水路で獲れるウナギ等の魚を含む小動物が豊富であることから、また、外敵より子猫を守りやすいために、本種は特に育児期には、耕作地に出没することが多かった)。
しかも対馬にはツシマテンやチョウセンイタチといった競合者が多く、これらの動物はツシマヤマネコよりも雑食性が強いために、開発が進んだ環境にも強い。除鼠剤や農薬の使用がさらに追い討ちをかけ、近年は野猫や野犬の増加がツシマヤマネコの生存環境をますます圧迫している。
1996年には、野猫ないし野良猫から感染したと思われるFIV感染症(いわゆるネコエイズ)のツシマヤマネコが初めて発見されている。また、ニワトリ小屋を野猫などの被害から守るために農家が設置した罠(トラバサミ)によりケガをする個体も相次いでいる。さらに近年では、開発が遅れていた北部でも道路整備が進んだことで、交通事故により死傷するツシマヤマネコも増加している。なお、対馬にはツシマヤマネコの飛び出しに注意を促す道路標識がある。
このような悪条件のもと、1970年代以前には約300頭、1980年代には100-140頭と推定されていたツシマヤマネコは、1990年代の調査では90-130頭、2000年代前半の調査では80-110頭にまで減少した。
環境庁(現・環境省)は1997年に対馬北部の上県町に対馬野生生物保護センターを開設し、ツシマヤマネコなどの生態調査、交通事故被害やFIV感染した個体の保護、住民への環境教育や啓発活動などを行っている。
対馬南部(下島)での生息について映像や個体等の明らかな確認は、1984年の交通事故で死亡したと考えられる個体の発見以来、長らく途絶えていた。このことからも本種の野生個体がいかに減少しているかが窺える。しかし、2007年3月2日に南部で成獣が撮影され、5月8日に環境省が南部での23年ぶりの生息確認を発表した。
2004年3月から、加齢のため野生に帰せず繁殖もできないオスとメスの個体それぞれ1頭を一般公開している。さらに、環境省は2006年9月、飼育を分散し繁殖を目指すことにし、新たに井の頭自然文化園とよこはま動物園ズーラシアにオス・メス1頭ずつを移送し飼育し繁殖を試みている。
分散飼育の目的は感染症や災害等発生時のリスク回避、および遺伝的多様性の維持である。その後、2007年11月に、富山市ファミリーパークにも個体を移動し、分散飼育を実施した。
2009年12月28日午後、対馬市の下島(しもじま)・厳原町小浦(いづはらまちこうら)の九電工対馬営業所敷地内で同年春生まれと思われる亜成獣のオス(体重 1130g)が保護され、対馬野生生物保護センターに運ばれた。
2011年12月24日から25日にかけて、対馬市内の調査員が下島の山中において生体動画の撮影に成功した。下島では、2007年以降2回の静止画撮影には成功しているが、動画撮影されたのは今回が初となる 。
保護の歴史
1949年 非狩猟鳥獣に指定され、狩猟禁止。 1971年 国の天然記念物に指定。 1985年 「ツシマヤマネコ第一次生息特別調査」実施(~1987年)。 1989年 国設伊奈鳥獣保護区設定、保護事業開始(長崎県に委託)。 1991年 環境庁「レッドデータブック」で「絶滅危惧種」に評価される。 1993年 「ツシマヤマネコを守る会」結成。 1994年 種の保存法(1992年)に基づき、「国内希少野生動植物種」に指定。「ツシマヤマネコ第二次生息特別調査」実施(~1996年)。環境庁が長崎県に委託。 1995年 「ツシマヤマネコ保護増殖事業計画」告示。環境庁・林野庁ともに事業開始。
1998年 「ツシマヤマネコ保護増殖事業連絡協議会」設置。環境庁の新レッドリストで「絶滅危惧IA類」に評価される。
種の保全状態評価
ツシマヤマネコ公開展示施設
日本の施設では35頭(オス19頭、メス16頭)のツシマヤマネコが飼育されている(一時的な保護を含む。2012年3月30日時点)。そのうち公開展示している施設は次の10施設(2012年4月28日時点)。
なお、井の頭自然文化園(飼育頭数 5頭。公開されているトラジロウの他に、非公開のサクラ(メス)、リリー(メス)、フクタ(オス)、キイチ(オス)の4頭を飼育している )のように複数飼育している施設でも全頭数を公開しているわけではない。
非公開の個体は繁殖を目的に飼育しており、また、施設で繁殖した個体を野生に戻すことも目的としているので、人に慣れさせないために非公開としている。
- 対馬野生動物保護センター - 福馬〔ふくま〕(オス)。福岡市動物園生まれ。福馬の様子はインターネットに接続されているライブカメラで見ることができる。センターは保護のみで、繁殖の取り組みはしていない。