韓国の対馬領有権主張
- 李承晩時代
1949年(昭和24年)1月17日、李承晩は対馬は韓国領として日本に「返還」を要求した。また、第二次世界大戦後に日本を占領した連合軍総司令部 (GHQ) に対し、韓国の李承晩政権は竹島だけでなく対馬についても、日本からの割譲を要求したが、GHQからは「根拠がない」として拒否された。
- 「對馬島の日」
条例は「対馬島が韓国領土であることを内外に知らしめ、領有権確立を目的とする」と規定している]。これに対して韓国政府は馬山市に条例の撤回を要請した。
また、対馬市議会の波田政和議長は2006年(平成18年)10月6日、馬山市議会に『對馬島の日』条例の廃止措置を要請したが、これに対して馬山市議会は「対応する価値がない」として条例を廃止しないことを明らかにした。
- 「対馬の領土確認および返還要求決議案」
現在の韓国政府は李承晩時代のように対馬の領有を主張しているわけではないが、2008年(平成20年)7月21日、韓国のハンナラ党のホ・テヨル、チョン・カビュン議員ら50人余の国会議員が「対馬は韓国の領土であり、日本は対馬を韓国政府に即時返還すること」を求める『対馬の大韓民国領土確認および返還要求決議案』を提出し、韓国国会の外交通商統一委員会に付託された。
同案に対して世論調査機関リアルミーターが2008年7月に実施した19歳以上の男女700人を対象にした世論調査によると「日本に対馬返還要求すべき」との主張に賛成する人は50.6%、反対意見は33.5%である。
- 領有権主張の歴史的根拠
李氏朝鮮が応永の外寇の最中、朝鮮国王世宗が宗貞盛に宛てた書簡に「対馬の島たる、慶尚道の鶏林に隷す。本是れ我が国の地なり。載せて文籍に在り。昭然考うべし」と記し、2年後、対馬から朝鮮に派遣された使者は「本島(対馬)は本大国の牧馬の地なり」との返事を送った記録がある(『朝鮮世宗実録』元年7月庚申条及び3年4月己亥条)。
この返答は偽使によるものと考えられ、15世紀の対馬の人びとに朝鮮への帰属意識があった証拠とはならないが、朝鮮側のこうした対馬観を当時の倭寇鎮圧にみられる強硬策の背景として考えることはできる。
16世紀に刊行された朝鮮の地理書『新増東国輿地勝覧』の「八道総図」には対馬が明確に朝鮮領として記述はしていないものの、地図には朝鮮に隣接する領土外地域もともに描かれており、北方国境である鴨緑江・豆満江北側の明の領土が地図内に描かれているとともに対馬も描かれている。
この「領土外地域」を、現代の韓国では「八道総図」で対馬が朝鮮領として描かれていると間違って解釈して、これを根拠に対馬は韓国領だとする主張がある。
- 韓国の対馬領有権主張をめぐる動き
2008年(平成20年)7月23日、韓国の退役軍人らで構成する抗議団21人が対馬市役所前で「独島は韓国領土、対馬も韓国領土」と主張する横断幕を掲げ抗議活動を展開、一部の市民と道路を挟んで対峙し、怒号が飛び交うなど騒然とした雰囲気に包まれた。
2009年(平成21年)3月26日には、ソウルにある日本文化センターに火炎瓶のようなものをもった3人組の男が侵入し、「対馬は韓国領土」などと書いたビラを持って立てこもった。 2009年11月4日には、「対馬は韓国領」などと記載された文書や刃物などを持ちこんで、日本大使館に火を付け、大使館員を人質にしようとした男が逮捕された。
- 歴史教科書への領有権記載運動
韓国の対馬領有権主張はいずれも根拠がなく、低い国民性を垣間見ることができる。