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Channel: 持続可能な開発(水・土・廃棄物)
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[転載]熊本白川の水害

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平成19年7月7日洪水(梅雨前線)
 7月6日に梅雨前線の停滞により、熊本・阿蘇地方は300mmを越える集中豪雨に見舞われました。7日早朝には、白川が越水する恐れがあったため,熊本市水道町周辺に「避難準備勧告」が出されました。
 代継橋観測所では、7日8時に最高水位4.93mに達しました。
床上浸水  7戸 床下浸水 50戸
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・平成2年7月2日洪水(梅雨前線)
 7月2日、九州南部に停滞していた梅雨前線が北上し、熊本県北部、阿蘇地方が集中豪雨に見舞われました。白川では13箇所から越水し、熊本市街部に氾濫被害をもたらしました。
 代継橋観測所では、2日13時30分に最高水位5.79mに達しました。
 死者行方不明者  14名 家屋全半壊  146戸
床上浸水  1,614戸 床下浸水  2,200戸
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・昭和55年8月30日洪水(前線豪雨)
 8月28日から九州北部に停滞していた前線の影響で、29日未明から午後にかけ県北東部、29日夜から30日未明にかけて熊本県北部が集中豪雨に見舞われました。白川では越水、熊本市街部に氾濫被害をもたらしました。
 代継橋観測所では30日8時に最高水位5.88mに達しました。
 死者行方不明者  1名 家屋全半壊  18戸
床上浸水   3,540戸 床下浸水 3,245戸
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昭和28年6月26日洪水(梅雨前線)
 6月26日に西日本一帯を梅雨前線の集中豪雨が襲い、各地の川で大洪水が発生しました。白川においても、6月初旬から阿蘇地方で降った大雨で地盤がゆるんでいたところへの集中豪雨でした。山崩れが起き、大量のヨナ(火山灰)と流木を含む濁流により、橋、堰が流され、堤防が決壊し、熊本市内を泥土で覆いました。
 死者行方不明者 422名 家屋全半壊  9,102戸
床上浸水  11,440戸 床下浸水  19,705戸
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加藤清正による河川改修
最初に大規模な河川改修を行ったのは加藤清正であることがわかる。肥後入国後に自ら船に乗り、何度も白川を往復して検分したと伝えられている。流域全体に様々な治水対策が行われ、一部は現在も生かされている。
  • 治水工事
    • 鹿漬堰(しつけぜき)- 鹿漬堰(しつけぜき)- 黒川との合流地点に設けられた堰。白川の流速を速め、黒川の流速を遅くするために設けられた。
    • 石刎(いしばね)- 川岸から中央に向かって突き出した石堤。堤防を保護するために流速を下げることを狙ったもので、流域各所に設けられていた。
  • 城下町付近の流路変更 - 諸説あるが、かつての白川は現在の子飼橋~代継橋付近で大きく蛇行し、現在の熊本市役所付近で坪井川が合流、それから現在の坪井川の流路を通り、現在の長六橋付近で現在の流路となっていた。清正は治水及び熊本城の防衛のために新たに河道を開削し、城下町の南端で合流するようにした。熊本城の防衛上の意味というのは、白川を外堀、坪井川を内堀に見立てるというものである。このため、熊本城には水堀が1つしかない。

6・26水害

1953年(昭和28年)6月26日、梅雨前線による集中豪雨で白川が氾濫し熊本市の広い範囲が床上浸水、またその2ヶ月前に阿蘇山が噴火していたことで大量の泥(火山灰)が市街地へ流入した。この白川流域の水害についてを「白川大水害」、または日付から「6・26水害」と呼ぶ。熊本のほか福岡・佐賀などでも大きな被害をもたらしたこれらの水害の詳細は
 
白川大水害
白川に架かる代継橋。白川大水害と直後の豪雨で二度流失した。写真は2005年(平成17年)に架け替えられたもの。
 
 県熊本市では市内を流れる白川が氾濫した。白川上流部では阿蘇郡黒川村で5日間の雨量が888.4ミリを記録するなど阿蘇地域一帯で猛烈な豪雨となった。白川水系流域面積の80パーセントを占める阿蘇地域は阿蘇熔岩を主体とする岩盤の上に「ヨナ」と呼ばれる火山灰を多く含む土壌が堆積していた。
 鹿児島県薩摩半島シラス台地と同様に豪雨が降ると容易に崩壊する土壌であったため、1952年(昭和27年)には「特殊土壌地帯災害防除及び振興臨時措置法」、いわゆる特土法の規定する特殊土壌地帯[注 3]に阿蘇地域は指定されていた[14]。こうした土壌が堆積していた阿蘇地域で4月27日阿蘇山が噴火して大量の火山灰が堆積、そこに大量の豪雨が降り注いだことで大量の火山灰や「ヨナ」が土石流となって広大な白川上流域から黒川合流点より下流の河川勾配が急な峡谷を一挙に下り、下流の熊本市内に流入した[注 4]。さらに熊本市内の白川は天井川となっていて、熊本市役所庁舎をはじめ熊本市中心部は白川の水面よりも低い位置に存在していた[15]
 こうした複合的な要因が熊本市内の被害を増幅させる結果をもたらした。
 
 
 熊本市では京町や健軍といった高台を除く全市の70パーセントが浸水し、熊本市中心部では平均で水深が2.5 - 3.0メートルに達した。また白川の橋梁は17箇所市内に架けられていたが、国道3号長六橋と大甲橋を除いて残らず流失し上流・中流部でも七障子橋・代宮橋・赤瀬橋以外はことごとく流失した。
 特に子飼橋では至近距離にあった避難所で避難していた住民約40名が橋もろとも白川に流され、死亡した[1]。熊本市内は噴火した阿蘇山の火山灰が混ざった大量の泥や「ヨナ」で市街地などが埋まり、その総量は実に600万トンにも及び熊本城の堀の一部を廃土で埋めることになった。
 また養老院が倒壊して52名が一度に圧死するなど、土砂災害による要因が死者を増加させている。熊本市の被害額は約173億円(現在の金額で約1219億円)にもおよぶ壊滅的被害となった。
 また上流の阿蘇郡長陽村南阿蘇村)などでも土石流によって家屋や道路、鉄道への被害が大きく孤立した村落も発生、白川上流部のいわゆる「南郷谷」と呼ばれる阿蘇山カルデラ南部では死者・行方不明者が66名を数えた。熊本県ではこの白川流域で甚大な被害をもたらした今回の水害を特に白川大水害または6.26水害と呼ぶ。
 
 なお白川ではこの水害の半月後7月16日から17日にかけても集中豪雨があり、仮橋を架けたばかりの国道266号代継橋や明午橋、白川橋、泰平橋が再び流失したほか床上・床下浸水の被害を受けている。またこの水害を契機に建築された白川沿いの住宅が、その後の白川治水事業を困難にする要因ともなった。
 
 
 
 
 
 
南阿蘇鉄道第一白川橋梁から上流を見る
 

転載元: 防衛復興ガンバロウ!日本を良くする内部統制(公徳心を高めよう)


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