地球史と文明
我々の生活を支える社会や経済的な営みのしくみを考えるとき、科学的にそして歴史的流れを見つめることが重要と考えます。社会的な諸問題を解決するためにも、素人考えも含みますが、唯物論的歴史観の視点から出来るだけ科学的に我々の人間社会を捉えてゆきたいと考えます。最近、興味深いのは、人間の歴史を自然史の視点から読み解く作業である。寒冷温暖、乾燥湿潤など気候変動、火山活動・海流・地形構造、そして植生や動物など生態的環境変化、これらの変動が人類の食糧源や生活の営みに危機を与えて社会的変動期を迎えるという考え方である。この代表として安田喜憲の「環境考古学」が挙げられる。その一例を紹介します。
文明の危機と民族移動の例
3万年前の民族移動3万5000年~3万年前:最終氷期の亜間氷期の温暖な時代から亜氷期の寒冷な時代へと移行する気候の寒冷化、ネアンデルタール人に代わる、ホモ・サピエンス・サピエンスが爆発的に世界に移動・拡散を開始。寒冷気候に適応し拡散した。(気候悪化と大民族移動)
1万3000年前の民族移動、人類の増大と拡大、
1万3000年前頃から気候の温暖化、ユーラシア大陸北方の乾燥した草原を縮小させ、森林を拡大、現代型新人北方モンゴロイドは、大挙して東方への移動を開始、東方の森林地帯への適応を深め、縄文文化の誕生に大きな影響を与えた。新大陸アメリカへの大移動、
5000年前の民族移動、都市文明の誕生
5500~5000年前:ヒプシサーマル(気候最適期)の高温期の終焉の中で、気候が汎世界的に寒冷化した時代。古代文明が誕生した。
都市文明の誕生、メソポタミア、ナイル、インダス流域は乾燥化した。(北緯35度以南の地域)「乾燥化・砂漠化のなかで牧畜民が大挙して大河のほとりに移動集中、河畔にいた農耕民との文化的融合が都市文明誕生の契機になった。」安田(1989)
3000年前の民族移動
3000年前の寒冷期「鉄器時代初期の寒期」鈴木(1990)
・インドヨーロッパ語族の南方と西方への移動拡散
・紀元前1200年頃、地中海世界は、「海の民」と呼ばれる海洋民族に沿岸部をあらしまわり、ミケーネ文明やヒッタイト帝国が崩壊、紀元前1100年、「海の民」から海洋航海技術を学んだフェニキア人が地中海へ乗り出す。
・カスピ海の沿岸のイラン系スキタイ人の西進、地中海へ達する
・インド北西部では寒冷化とともに乾燥化進行、アーリア人の南下、ドラヴィダ人の南インドへ逃亡
・東アジア中国において、漢民族が成立。周が天下とるがまもなく西周が遊牧民の南下によって滅亡、中国は春秋戦国時代へ突入、
・漢民族の南下により、中国南部から東南アジアの人々の南方への移動
・マライ・ポリネシア諸語を話す人々を海に追い出した 鈴木(1990)
・ラピタ人(オセアニア先住民)人類史上初めて太平洋に乗り出す。ニューギニア沖のニューアイルランド島やニューブリテン島から西ポリネシアやサモア諸島にまで一気に大航海を行った。
・民族の移動は陸上のみでなく海上においても極めて大規模に行われた。
・このころ、日本列島に稲作が伝搬する。東シナ海沿岸に生活する海洋民族モンゴロイド集団が伝達したのでは?大陸での社会的不安や動乱を逃れて海上へ押し出されたボートピープルによって?
古墳寒冷期の民族移動
紀元2世紀と5世紀は寒冷期だった。
・「ゲルマン民族の大移動」ローマ帝国の崩壊へ
・西アジアではササン朝ペルシアが北西インドから中央アジアに達する。
・東アジアでは、鮮卑をはじめとする北方民族の流入、「黄巾の乱」、漢王朝の崩壊。倭国大乱。
・五胡十六国時代:民族大移動の時代。日本では大陸騎馬民族の影響による古墳時代、朝鮮では遊牧民国家高句麗の南下、
・北海道では、オホーツク文化圏が拡大する。(サハリン・カムチャッカまで達する)
・北海道南部の続縄文文化(後北C2式土器文化)の東北地方北部まで南下。
7世紀の民族移動
・ビザンチン帝国のペスト大流行、イスラムアラブ勢力の拡大
・東アジアの緊張「白村江の戦い」、「万葉寒冷期」
中世温暖期の民族移動
ヴァイキングの活躍、
古代東北の開拓と民族移動
740年の8世紀から急速に温暖化「大仏温暖期」、東北への大量の人口流入
モンゴルの大移動
8世紀後半から始まった中世温暖期は14世紀まで続く、しかし、途中3回の短期間の寒冷期を挟む。1回目、900年前後:875年唐で黄巣の乱、907年唐滅亡、白頭山の噴火、渤海の滅亡、2回目、1000年前後、3回目、1200年前後、モンゴル大移動、
小氷期の民族移動
14世紀に入ると小氷期の寒冷期に入る。コスタンチノープルでのペスト発生。ヨーロッパへの蔓延、
など…つづく <a>