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[転載]大海嘯 [鎮魂の詩]  宮古市田老の田畑ヨシさんの歌。~「津波てんでんこ」を芝居で言い伝えて来た。しかし、嘆いています。

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海嘯(つなみ)鎮魂の詩
 宮古市田老の田畑ヨシさん(1925年生まれ)。
この方は、今は宮古市と合併編入しましたが、田老町の方です。
昭和三陸大津波の被災経験を紙芝居にして園児や小学生、そして修学旅行の学生たちに30年にわたり語り継いできました。
始めたのは、田老町役場の「津波防災」のソフト事業の一つとして、行わていて数人このような活動をしていたんですが・・。高齢でできなくなたったり、亡くなったりして・・。
田畑ヨシさんだけが、「昭和8年、チリ沖地震津波体験者」として残り。
今までも、「自らの
被災経験を紙芝居にして」これを続けています。
イメージ 1

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僕も、何度か震災前に、何度か紙芝居を見た事があります。
まさに、田老訛りの口調で、津波の恐ろしさを語っている姿は、自分の母親と重なりました。
年齢が同じなんです。
僕もいつも母親から、母がおじいさんから聴いた明治津波。
自ら体験した昭和津波、チリ沖津波、などの体験を聴かされていましたので、「漠然と津波って怖いものなんだなあ・・。」と、思ったものです。


僕自身が知ってるのは、「
十勝沖地震津波津波
(※「三陸沖北部地震」発生:(昭和43年)5月16日 M7.9(Mw8.2))です。
たしか、小学校5年の時です。学校の裏の山に逃げて、海岸で海水が退いて行き、黒い海底が見えたのを記憶として残っています。津波事態はそんなに大きなモノではなく、津波は同10時20分ごろから三陸沿岸を中心に襲来し、三陸沿岸の一部で3 - 5mだったと思います。
しかし、この時の余震は、何度も起きて、校庭の地割れがあった事を鮮明に覚えています。

これまでで、一番大きかったのは、「明治29年の大海嘯」でしょう。
Sanriku Great Tsunami.JPG

(※ 発生:明治29年6月15日午後7時32分30秒、岩手県釜石市沖、震源として起こった、マグニチュード8.2- 8.5という巨大地震。津波は本州における当時の観測史上最高の遡上高である海抜38.2mを記録する津波が発生し、甚大な被害を与えた)

当ブログでも、以前に取り上げましたが・。

「ずっと津波を気にかけていた」 吉村昭と三陸海岸(上)作家・津村節子その1~田野畑村と長いお付き合い。(名誉村民)   2011/5/30(月) 午前 9:15

http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/60645637.html

被災地岩手・田野畑村を舞台にドラマ制作 NHK、3月に全国放送~原案は、同村を舞台にした故吉村昭さんの小説「漁火」。  2011/12/23(金) 午前 7:29

http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/61196926.html

田野畑村舞台に、NHKドラマ「それからの海」今夜7時半~放送。 被災者が出演、家族の再生を描く=名誉村民故吉村昭原作。  2012/3/3(土) 午前 4:35

http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/61347701.html

小説家吉村昭ルポルタージュ三陸海岸大津波
イメージ 3
のためにこの災害に関する証言収集の一環として岩手県田野畑村羅賀を訪問した1970年昭和45年)、津波当時10歳であった老人(当時85歳、中村丹蔵氏)から海抜50m近くあった自宅にすごい勢いで波が浸水してきたという証言を得たと記している。


文春文庫版p25-27、p117によれば自宅を現地調査の上で執筆しており、自宅で『40mぐらいはあるでしょうか』という筆者の問いに、村長(早野仙平)が『いや、50mはあるでしょう』と答えている。羅賀には、海岸から360m、標高25-28mのところに津波石がある。明治三陸地震津波でうちあげられ、高さ2m以上、重さは約20tあるという。遡上高はもっと高かった。東日本大震災での羅賀地区での遡上高は27.8mだった。




しかし、今回3.11の地震・津波は、恐らく地形によっては、明治津波よりも大きかったのではないでしょうか・・?

明治29年は三陸北部が大きな津波であったのに対して、今回の3,11津波は震源が宮城県沖であリため、宮城、岩手県南部の被害が大きかったと思われます。

また、地震でこんなに地盤が沈下した・・。のは初めてのことだとおもいます。


田畑さんは、嘆いています。
これまで、自分が何度も繰り返して語って来た事を、なんで、行動しなかったのかと・・。
「それは、地震が来たら、1㌢でも高ところに、とにかく逃げろ。」という事です。

それを、しなかったために亡くなった、田老地区の人が沢山います。


その田畑ヨシさん、3.11東日本代震災で[犠牲者の慰霊のために作った詩]を発表しました。
この歌詞に、若手3人組バンド・「サスライメイカー」が曲をつけて生まれた歌です。
とても胸に深くづしりと来ます。画像の選定もいいですね。どの写真も印象に残る、映像です。

【東日本大震災】海嘯鎮魂の詩 田畑ヨシ サスライメイカー

 
 
昭和三陸大津波で母を失い、そいて平成の大津波と、2度の大津波を受けた
田畑ヨシさんが亡くなったと人、後世に伝えたいの思いが込められた詩です。
 
DVDの中でサスライメイカーさんが この詩に 曲をつける。そして 歌うこと。
その重荷を背負うことに 最初 あまりにもの 重さから躊躇した話をしています。
しかし語り継がなければ…といった想いなどがCD化になった。

イメージ 4

海嘯(つなみ)鎮魂の詩 
   突然襲う大つなみ
  永久(とこしえ)忘れんあの怖さ
家と流され諸人(もろびと)は
海の藻屑と消えゆきて
無念の涙ほほつたい
今、静かなる碧き海
悲しき海よ、ふるさとの海

独り残りし幼児(おさなご)も
人の情けにすがりたる
育てはぐくむ慈悲もあり
親にかわりし愛の手に
健やか育ち子とありて
今、静かなる碧き海
母なる海よ、ふるさとの海

慰霊の前にやすかれと
花をばたむけ手を合わせ
愛しき人の思い出を
あたためながら古里の
復興誓い船出する
今、静かなる碧き海
恵みの海よ、ふるさとの海
 
歌詞と曲と映像を見てどうだったでしょうか・・・?
 
3.11の津波の復興は、時間が止まったかのように進んでいません。
もし、今地震があれば、防波堤など崩壊して何もありません。
恐らく今、大きな地震が発生すれば、皆。躊躇なく高いところに避難するでしょうね。

地震から津波襲来までは、逃げる時間があります。ある意味、津波は、地震から逃げる時間を与えられています。なので、高台に逃げれば、人的被害を最小限に抑えれる自然災害でもあります。

岩手の三陸沿岸には、こういう言葉があります。
「津波てんでんこ・・。」
「とにかく、自分の事を第一して、高いところに逃げること・・。」
ただし、この先人や、このような津波体験者が語る事を実際に聴いて。
「要はそれを行動に写せるか否か・・・・?」
その、一点に自分の命がかかっています。

現に、田老町は世界に誇る、二重の防潮堤があったがゆえに、油断を招いて・・。
「逃げなかった人が多くいた」と言われています。あの死者数からすれば、それは容易に感じます。


100年間の間に3度の大津波を受け悲劇を繰り返している歴史の中で・・。
「古きを訪ね、これからの新しきを知る」
これは、命がかかった、「温故知新」であるともいえます。

人間は忘れる生き者、30年間語り続けてた田畑ヨシさんのように・・。
今度は僕達がそのバトンをシッカリと受け、後世に渡さなければならないことだと、痛感するのです。

転載元: 山と土と樹を好きな漁師


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